CORECOLOR.JP

HOME ABOUT US CONTACT

Facebook
Twitter

Interview Design Communication Omotesando

Search

Tag's Archives
建築
展覧会
デザイン
アート
美容
コミュニケーション
書籍
写真
映画
表参道
現代アート
演劇
映像
ヘアサロン
出版
ファッション
ニューオープン
マーケティング
メディア
テレビ
ノンフィクション
Ranking
1. 目立つこともなく。主張することもない。ただ生きるように描…
2. 「誰かの回復の物語が生きる力になる」 soar 工藤瑞穂…
3. 美容の可能性に挑戦し続ける 原田忠さん(資生堂トップヘア…
4. 「伝えたい相手を笑顔にするための コミュニケーションプラ…
5. 日本初上陸! ヘアイベント<NOISE TOKYO>を見…
6. 表現者から、表現者を支える人に。ルフトツーク・ディレクタ…
7. 1秒たりともよそ見できない。一気読み必至の『1秒でつかむ…
8. 7月4日放送「キャンサーギフト がんって、不幸ですか?」…
9. 表参道・青山・原宿近辺で早朝打ち合わせと仕事ができるカフ…
10. いい本なのはわかった。あとはどう売る? 会社に内緒で行わ…
2016.05.12 Thu
身体とファブリックのあいだ → ファブリックとウォールのあいだ 展覧会『MIYAKE ISSEY 展』をみて

160511_ISSEYMIYAKE展

展覧会『MIYAKE ISSEY展』

公式サイト:http://2016.miyakeissey.org/

 

 

「デザインとは発見なのだから」

「衣服を通してよりよい社会をつくる」

「社会に呼応しながら誰も見たことのないものを創造する」

社会に深くかかわり、潜在的な欲望や課題を掘り起こし、目も眩むほどの数と種類のソリューションを提示しつづけるISSEY MIYAKE は、ファッションデザイナーであり、デザイナーであり、プロダクション(生産)・環境・身体・伝統を、手仕事からコンピューテーションまでの幅広いテクノロジーを駆使して統合していくその姿は、理想的なデザイナー像と言えるかもしれない。

 

人の形に合わせすぎていない。

ぜんぜん身体と関係ない幾何学から作られた衣服は身体の輪郭とは異なる新たなラインを描いている。けっこうたくさん描いている。

それなのに、人がそれを纏っている姿はカッコいい。なぜだろうか。

身体に寄り添いすぎず突き放しすぎず、プロダクション(生産)の論理を大切にしつつ、でもそれに傾きすぎることもなく、どの作品もそれを見ると「あ、そうか、これも衣服だよね。衣服ってこういうのもアリだよね」と思わせてくれる。なんというか、身体を突き放す程度と寄り添う程度が絶妙なのだ。フラットな正円に折りたたまれるワンピースが、展開しただけでなぜあんなに女性的な雰囲気になるのか。冷徹な幾何学とあたたかい慣習的な感覚が併存できることがここでは明確に示されている。

シンプルな一枚の状態から想像できないような立体的な衣服のようなものが立ち上がる。見ていると、それをつくるための合理的な折りたたまれ方があるようだ。生産しやすく、自然素材を使ったり端材を少なくしたり、着た時に意外なほどなじむ身体へのまとわりつき感であり、時として日本らしさとかどこかの原住民っぽさがにじみ出ていることもある。たくさんの数の条件を考慮に入れて、ものすごく手数の少ないシンプルな解答がアウトプットされている。デザインはかくあるべし、と言えるかもしれない。

 

 

さて、「一枚の布」や「一本の糸」という着るものの原型まで遡ったアプローチであるために、ISSEYMIYAKEの作品は衣服というよりかは、衣服と床・壁・天井など空間を構成する要素との中間的な存在として展示されていることがある。衣服に進化する前の胚のような存在として、長ーい布が天井から垂れ下がってきて、下の方で機能分化し衣服に進化した部分に人が納まってる展示は何度も目にしたことがある。幾何学的に折りたたまれた服は床仕上げか壁仕上げのようにも見える。

 

こうなると、ぺトラ・ブレーゼの作品のような空間を構成するエレメントとしてのファブリックというところまであと一歩、というところまでやってくる。空間を仕切り、空間の様相を「シフト」させることができるファブリック。(*ぺトラ・ブレーゼが来日して自作を語る際に、”Shift” をコンセプト・ワードとして掲げていたことを筆者は記憶している)そしてそれは、もはや建具や壁や天井まではもうあと一歩であり、空間を守備範囲とする筆者は俄然興味が沸いてくる。

 

こういった要素は建築からみれば構造ではない。2次部材(通常、手すりや階段がこれに該当する)ですらなく、そもそも建材とは思われていない。しかし目線を変えれば、衣服、プロダクト、家具としては構造体と言える。ISSEYMIYAKEの照明のプロダクトでは補助材なしで素材の強度だけで折板の形態が保たれている。このような、建築より小さいレベルでの、ライトなエレメントの構造体としてのファブリック。興味は尽きない。

 

ファブリックを建築の構造体としてみると、フライ・オットーが追求したような等張力局面の世界がよく知られている。筆者も、以前アートインスタレーションとして張力のかかった局面のファブリックを用いた、高さ6.5m、平面的に約300㎡の比較的おおきな構築物のプロジェクトに関わったことがある。意図した空間の形に合わせるために等張力ではない、縦横の応力比が部分によって異なる張力局面で、華奢なスチールフレームにファブリックがかかることではじめて構造体として自立するデザインだった。とても自立するようにみえない華奢な34φのスチールパイプとの組み合わせで、300㎡のフットプリントの2階建ての建物より大きい構築物がはじめて実際に立ち上がった状態をみた時の感動は今でも忘れられない。

 

しかし、建築的構造体としてのファブリックの可能性は、原理的なレベルではフライ・オットーによって探求しつくされているし、建築では建具ですら性能が要求されるためマテリアル的な実践が行いにくい。そこで非張力面としてのファブリックに目線を映してみると、ISSEYMIYAKEやぺトラ・ブレーゼの作品群はたいへん興味深く映る、というわけだ。

(そういう非張力面としてのファブリックによるインスタレーションも、昨年2つほどデザインした。まだまだ探求の途中だ。

http://artenvarch.jp/works/airy-walk-roppongi-hills-artelligent-christmas-2015/

http://artenvarch.jp/works/kichijoji-aqua-illumination-2015%E3%80%80/

共に空間デザインをARTENVARCHが担当)

 

ライトなエレメントによって、物理的なストラクチャーでないものが空間のストラクチャーに対して支配的な影響を与える。そんな空間の可能性に思いを巡らせるよい機会を与えてくれた展覧会だった。

 

文/佐藤桂火(建築家)

http://ksaa.jp/

http://artenvarch.jp/

twitter:@kei_fire


Back
Next

LINEで送る


copyright 2015 CORECOLOR.JP all rights reserved.