
展覧会『いま、被災地から ―岩手・宮城・福島の美術と震災復興―』
場所:東京藝術大学美術館
会期:2016年5月17日(火)- 6月26日(日)
アーティストといわれる人たちは、感受性や洞察力が優れていて、他の誰よりも早く異変に気付く。社会の側からみれば、彼らは「世界を視るフィルター」のような存在だ。見逃してしまいそうな、しかし確実に起こっている兆候を捉えるその目は、我々にとって世界をよりよく知るための大きな手助けになる。アーティストと聞くと、内向的な、自分の内側に向かっていくタイプというイメージを持っている方も多いだろう。しかし、この展覧会では、震災によって変わったことも変わらなかったことも感知する、社会に真摯に向き合うアーティストの姿を感じ取ることができる。
展覧会は第一部と第二部に分かれている。
第一部では「東北の美術-岩手・宮城・福島」として、東北の3県における近代美術の発展を支えた作家の作品が展示されている。東北は、「東北学」という文化、地理、歴史、経済にまたがる広大な研究領域があるほどの懐の深い土地で、見れば確かに東北らしさを感じる。ここにあるのは「東日本大震災の前後で変わらない東北」だ。そもそも東北で近代美術が発展して現代に至る間に、関東大震災も、戦争も、幾度もの津波もあり、それらが引き起こした状況にインスピレーションを得た作品も複数ある。歴史を踏まえたこのラインナップの中でみると、なぜ大きな地震や津波の存在を多くの人が忘れてしまったのか、不思議に思う。アーティストはずっとそれを視て感じ取って作品化してきた。災害は昔から何度もあった、実は忘れていただけのものだ。
第二部では「大震災による被災と文化財レスキュー、そして復興」として、被災地での美術作品がどのように被災・損傷し、救出され、修復されたのか、その記録と共に修復された作品を見ることができる。被災して破損してしまった部分を表現にそのまま活かした作品もあり、たとえば数百年後の考古学者からみればこれらの作品は、それが収蔵された地域に起こったことを記録するレコードとしても機能するのではないか、と思わせる。
津波災害が繰り返されてきた三陸沿岸の気仙沼市にあるリアス・アーク美術館は、東日本大震災を「災害史、土地に固有の歴史的事象」として、発災直後から調査記録と被災物の収集に取り組み、地域のミュージアムが行った災害文化の記録と表象のモデルとして注目されているという。キュレーター(学芸員)も、社会を視る目としてのフィルターの役割を、アーティストと一緒に担っている。ちょうどライターと編集者、クリエイターとプロデューサーの組み合わせのように、一緒になって、同じ目標を追いかけている。ほって置いたら見逃されたままになってしまいそうな兆候を感知して、記録し続けているのだ。
昨年、『百年の愚行』の編著者である小崎哲哉さんにインタビューをさせていただく機会があった。小崎さんは、「アーティストは炭鉱のカナリアのような存在、いちはやく異変に気づく。しかし、それは望んでなったわけではなく、感知してしまって、炭鉱のカナリアにならざるを得なかったんだということ思います。それに気づいたとき、自分も何かしなくてはと、どこか突き動かされた部分があったのかもしれません。」と語ってくださったことが思い出される。
アートの社会的な役割の一部について考える得難い機会をもらえる、素晴らしい展覧会。
文/佐藤桂火(建築家/ライター)
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