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いい本なのはわかった。あとはどう売る? 会社に内緒で行われた翻訳者コンペ「もうめちゃくちゃ杯」の舞台裏

Writer 永井身幸

2018年11月に出版された『ほんと、めちゃくちゃなんだけど 完璧ではないわたしのしあわせの見つけかた』。
この本は、当初予定していた翻訳者が病気のため降板するアクシデントを、編集者の田中里枝さんが「未経験者も応募可能なコンペで翻訳者を決定。しかもその過程を随時ツイッターでアップしていく」という、前代未聞のアイデアと行動力で乗り切った。
コンペ「もうめちゃくちゃ杯」で未経験ながら選出され、翻訳家デビューしたのは森信太郎さん。その森さんと、森さんを世に送り出した田中さんに、本ができるまでの道のりと、これからの翻訳書のあり方について伺った。

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↑『ほんと、めちゃくちゃなんだけど 完璧ではないわたしのしあわせの見つけかた

翻訳予定者が倒れた! どうする? 誰にする? もうめちゃくちゃ!

__『ほんと、めちゃくちゃなんだけど』の原作は、どういうきっかけで見つけたんですか?

田中 イギリスのアマゾンをリサーチしている中でたまたま見つけた本でした。
出版直後から、「ミレニアル世代のブリジット・ジョーンズ」と話題になっていて、非常に評判がよかったんです。アマゾンのレビューにも、こんなにつくものかと思うぐらい圧倒的な数のレビューがついていて。
それじゃあオファーをかけてみようということで、エージェントに連絡して英語版を取り寄せました。

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↑編集者 田中里枝さん

田中 最初は、人気翻訳家でありエッセイストでもある村井理子さんに訳をお願いする予定だったんです。
ところが2018年の年明けに、村井さんからいきなりDMがきて。「ごめん。私、心臓ヤバくて入院することになった!」と。

__それまで、村井さんの体調がよくないという話は聞いてなかったんですよね?

田中 はい。年末には一緒にお酒も飲んでいたくらいなので。とにかくまずは村井さんに元気になってもらうのが一番なので、「大丈夫です、こちらで何とかします。村井さんは治療に専念してください」とお伝えしたものの……

__別の翻訳者を探さなくてはならない。

田中 そうなんです。しかも、村井さんは翻訳者としての腕があるだけではなく、知名度も高い方なので、この本も村井さんが訳してくださるなら売りやすいという側面があった。
だから、ただ新しい翻訳者を探すだけではなく、何か、この本の売りにつながる施策を考えなくてはという状況になったんです。
その時、ひらめいたのが、「翻訳者コンペ」でした。

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↑(左)翻訳者 森信太郎さん

田中 実は、村井さんが倒れる前の2017年11月、翻訳者さん向けのイベントに二人で登壇させてもらって、出版翻訳の実情について話す機会があったんです。
その時、翻訳者、特に出版翻訳は、「デビューするまでの道のりをどうすればいいのか分からない」と言う若手がとても多いという話になって。

__翻訳者になる一般的な方法はあるんですか?

田中 いろいろあります。例えばすでに活躍されている翻訳者さんの弟子について、そこからデビューするとか、いわゆる翻訳エージェントに属して経験を積んで、少しずつ出版社とコネクションを作っていくとか。
とはいえ、そのためにどうするか、あまり知られていないことも確か。それだったら、この本の翻訳者はコンペで探してみてはどうだろうと思い付いたんです。

村井さんに「コンペで後任の翻訳者を決めたい」と伝えたら「いいですね。私も入院とかいろいろあるけど、審査で参加します」と言ってもらえて。
原書のタイトルの「Hot Mess」には「めちゃくちゃ」という意味があるのですが、村井さんの心臓もめちゃくちゃだし、この本の今後の状況もめちゃくちゃだし、これは「もうめちゃくちゃ杯」でいいんじゃないかっていうことで、コンペのタイトルは「もうめちゃくちゃ杯」という名前にしました。

__コンペの告知には田中さんの個人ツイッターを利用されていましたよね。

田中 会社の許可を取ってやろうとすると、オフィシャルなアワードみたいになっちゃうから、社内調整がどうしても必要なんですよね。そうすると時間もかかってしまうから、こっそり自分の個人ブログとツイッターで告知したんです。

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↑翻訳者募集のツイート。(伊皿子りり子は、田中さんのペンネーム)

__なんと! 会社の許可を取ってなかったんですね。

田中 バレたらバレたで、後付けで説明すればいいかな、と(笑)。幸い私の上司は理解がある人で。彼女に話をしたら、「へえ、面白いわね」と言ってくれたので、大丈夫かなと。

__田中さんのツイートを見ながら、一体どういう形でやっているのかな? と思っていました。

田中 主催がどこかわからない曖昧さがあって、怪しいといえば怪しかったんですけど、逆にその怪しさを利用したところもあって。
主催が誰なのか明確にしなければ、そんなに応募が集まらないだろうとも思ったんです。大量に応募がありすぎても、村井さんと私の選考が大変なので。

__コンペを制して翻訳を担当された森さんは、このコンペの存在をどこで知ったんですか?

森 村井さんか田中さん、どちらかのツイッターでした。僕はもともと一読者として村井さんのファンで、ツイッターや連載を読んでいたんです。偉そうな言い方ですけど、人としてすごく好きでしたし。
田中さんと村井さんがコンビを組まれた前作、『ダメ女たちの人生を変えた奇跡の料理教室』も楽しく読んでいました。
「新しいことに挑戦したら、世界が変わるかもしれない」と、そっと背中を押してくれるような本だなあと思って。

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__コンペのことを知った時はどう思われましたか?

森 もしかしたら『ダメ女』の影響を受けていたのかもしれないのですが、「自分も新しいことにチャレンジしてみようかな」と。
その当時、玩具メーカーで働いていたのですが、このコンペに参加することは、自分にとって何のデメリットもない。失敗したところで傷ついたりキャリアが失われたりするわけではいので、「じゃあ挑戦した方がいいに決まってる」と思ったんです。

__これまで、英語はどのように勉強してきたんですか?

森 どこで勉強したというのは特にないんです。学生時代に英文科だったわけでもないですし。
あえて言えば、一年半ほど会社を休んでいた時期があったのですが、その時あまりにもヒマだったので、家でできる生産的なことはないかと思って、英語の勉強をしたくらいで。
田中 森さんは、エントリー段階で課題にした自己紹介が、ダントツに面白かったんですよ。

__自己紹介ですか?

田中 そう。履歴書というのも味気ないので、1000字くらいの自己紹介文を送ってもらったんです。
実は、私、実際の翻訳だけでなく、その自己紹介をかなり重要視したんですよね。1000字って、長くはないけれど、短すぎもしない。人の個性が出やすい分量。どんなキャリアの人だとしても、そこで自分を面白く表現できる人がいいなと思って。

__森さんはどんな自己紹介を書かれたんですか?

森 生まれてからの紆余曲折を(笑)。自分で言うのもなんですが、できるだけさらさら読めるように意識しました。

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田中 そこが圧倒的に心に残った部分でしたね。日々の雑事をサラッと書いているように見せるって、一番難しいので。自分に突出したことはないと言いながら、「特技といえば、アボカドの食べごろを見分けられることぐらい」と、ボソっと書いてあったりして(笑)。
自分をアピールする文章だから、自分を出さないといけないんだけど、その出し方が「主観!」という感じではなく、客観的なもう一人の自分が上手いこと自分を見ているような文章だったんです。バランスがすごくいいなと思って、心に残りました。

259人の応募者の中から森さんが選ばれた理由

__コンペには何人ぐらいの応募があったんですか?

田中 それが、ひっそりと募集したわりにはずいぶん多かったんです。応募者の人数は随時ツイッターで更新していったのですが、最終的に259人のエントリーがありました。

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田中 一次審査では原書の第一章をまるまる訳してもらったんです。

__この本の一章って、結構長いですよね。課題としてはけっこうヘビーですね。

田中 そうなのですが、あえて2週間というタイトな期間で訳してもらうことにしました。この本が分厚いので、スピード感を持ってやりたいというのもあって。
エントリーだけして、一次審査を辞退する人がある程度いるだろうと予想していたんです。ふるいにかける意味でも長い文章を課題にしたのですが、意外と皆さんちゃんと提出してくださって。最終的に230人分くらいの訳文は読んだと思います。

__それくらい、このコンペが翻訳者を目指す人たちにとって貴重なコンペだったということなんでしょうね。森さんは、一次審査の内容を知ってどう思われましたか?

森 まったく初めての経験だったので、この期間でこの量を訳すことがどの程度大変なのかというのも、正直なところ全然分からなかったです。

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__どんなことを意識して訳したんですか?

森 まず、翻訳の上手さでは勝てないと思っていました。応募してくるのはプロの方や翻訳を学んでいる方が多いはずで、そういう人と真正面からぶつかっても勝てるわけがない。だから、原文の意味は尊重しつつも、経験を積まれた翻訳者の方には書きづらい表現を積極的にしようと思いましたね。
「ヤバい」とか、「マジで」のような、人によってはちょっと汚いと思うような口語表現も使ったり。あえて地の文も崩した感じの文章にしました。

__森さんが提出した訳文について、田中さんの評価は?

田中 森さんが話していたところが、まさに評価が分かれるポイントで。無理な人には絶対無理だろうな、という文体でしたね。普通は避けられがちな「ら抜き」表現(※来られる→来れるなど)や「い抜き」表現(※見ている→見てるなど)がガンガン出てきて。

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田中 私自身は、森さんの訳を面白いなと思いながら読んでいました。普通翻訳者は、長く読んでもらうためにも、流行り廃りのない言葉で訳すことが多いと思います。それは重要なことです。
でも、この本の“寿命”はどれぐらいかと考えた時、私は2年もあったら充分かなと思っていて。それくらい、「今の時代」を切り取った本なんですよね。そこを割り切っていたから、森さんが訳してくれたような口語的表現も面白がれたと思います。

__一次審査では何人に絞ったんですか?

田中 11人です。

__残った11人はどういう方達だった?

田中 みんな上手かったし、いろんなタイプの文章を書く人がいました。端正な文章の方もいるし、森さんのように冒険している文章の方もいて。
年齢の幅も広くて、男女どちらも残っていました。本の特性を考えると男性が複数残ったのは、私にとっても驚きでした。

__田中さんは、選考の様子もツイッターでつぶやいてましたよね?

田中 はい。本への注目を集め続けて飽きさせないようにしたいという戦略もありました。ただ、オフィシャルに残る形にはあまりしたくなくて。ツイッターであれば、残るには残るけど、基本的には流れていくものなので良いかなと。

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__選考の途中で会社の人に気づかれて大ごとになったりは?

田中 それはなかったですね。私がツイッターをやっていることを知っている人は社内にあんまりいないと思うし、もし知っていても特に何も言わない。いい感じの距離感を保ってくれた人が多いと思います。

__二次審査では何を訳してもらったんですか?

田中 二次審査では最終章を訳してもらうと同時に、実はもう一つ課題を出していました。

__それはどういう?

田中 一次審査で提出してもらった一章の訳文の推敲です。推敲にあたってこちらから注文を出すので、それをふまえて推敲をしてくださいとお願いしました。11人の方、それぞれに違うオーダーをして。

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__一人一人に違うオーダーを出すというのは、審査する側にとってもものすごく手間ですよね。

田中 確かに手間はかかるんですけど、でも、方向性を調整するやり取りが上手くできる人なのかどうかをこの段階で確認しておいたら、本番の作業もスムーズに進むじゃないですか。

__賞を選ぶだけではなく、あくまでその先に続く仕事のことを考えていたんですね。

田中 そうですね。編集者それぞれでやり方があると思うんですけど、私は、「いいチームになれるかどうか」が重要だと考えています。
私はオーダーの仕方が上手いわけではないし、私の要望を上手く拾ってくれる人じゃないとお互いやりにくい。なので、「こう言ったら、こう直ってくる」という訳者さんの対応を見てみたかったんです。

__森さんにはどんな注文を出したんですか?

田中 私、なんて書きましたっけ?

森 この本には、主人公のお父さんが書いた小説が出てくるんですけど、それを、もうちょっと文章が下手な人が書いている感じに訳してくださいと書いてありましたね。

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田中 ああ、そうそう。本の中に出てくるお父さんの小説はいわゆる素人小説で、英語で読んだら辻褄が合っていなかったり、一文が超長いとか、下手な文章なんです。でもその下手な英語の文章を日本語にそのまま訳してしまうと、単純に訳者が下手に見えてしまう可能性があるので、日本語では違う見せ方をする必要があるなと思って。

__二次審査の選考の基準は?

田中 誰を選ぶかは、最終的にはこの本をどうしたいのかという方針で決めました。
今回は、普通の女の子の普通の日常の話なので、多少粗削りでもいいから、今っぽいノリでぐいぐい進めていく人にお願いしたいと思いました。文章の巧みさよりも勢いの方を採用したかった。

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田中 なので、もしこの本でなかったら仕事をお願いしたかったと思う人はたくさんいました。
例えば二次審査に残ってもらった40代後半の男性は、大人の余裕がある遊び心たっぷりに訳してくださったんですけど、この方には、猟奇殺人の小説とか訳してもらったら面白いんじゃないかなと思いました。
訳文から見えてくる人となりというのがあって。そこが本と合致しているのが望ましいですよね。森さんはもちろんギャルじゃないんですけど、世代はこの本の主人公のエリーと同じ。若い子の感覚みたいなものに共感する部分があると思いました。

森 主人公のエリーは女性だし住んでいる国も違うし、見ているドラマや食べているものももちろん違うんですけど、彼女が悩んだり楽しいなと思ってることが分かるなと思ったんです。同世代の女友達の愚痴を聞いているような感じでした。

田中 そのあたりが、訳にも表れていたと感じます。

翻訳作業は、「英語の仕事」ではなく「日本語の仕事」だった

__コンペで選ばれた後、実際の翻訳作業はどういう風に進めたんですか?

森 Excelで締切を管理しながら、一週間に一回、一章ずつ提出するスタイルでした。

田中 本当に、締切通りにきっちり出してくれたんですよ。

森 一回だけ、一日遅れたことがありましたね。

田中 訳さなくちゃいけない量を日割りにして、毎日きっちり訳していましたよね。訳した量を毎日ツイッターにアップして。

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↑森さんは毎日「作業日報」をツイッターにアップしていた。

__送られてきた原稿はそのつどフィードバックしていたんですか?

田中 つどフィードバックできるぐらい余裕があればよかったんですが。私もバタバタしていて、申し訳ないと思ったんですけどまとめたフィードバックになりがちでしたね。
でも基本的に、訳している間って「頑張ってください」以外言えないんですよ。最初に決めた基本方針からずれていたら調整が必要ですけど、それはなかったので、とりあえず最後まで辿り着いてくれと、見守り活動をする感じでしたね。

__森さんは、「フィードバックしてほしい」と思ったりしませんでした?

森 大丈夫なのかどうかが分からなかったので、そこは不安でした。
かと言って、「どうでしたか?」と聞いたらきっと良いことを言ってくれそうな気がして。それも気を遣わせているようで嫌だなと思っていました。

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田中 いや、直して欲しかったら言いますよ。だって、言わないと後で作業がしんどいじゃないですか。だから、何も言わないってことはいいことなんですよ。

__森さんにとっては初めての経験だったから、それも分からなかったんでしょうね。

田中 そうだったのか。もっと言うべきだったなと今思いました。

__この本は、文化的な背景の理解が必要な本ですよね? 実在する芸能人の名前などもたくさん出てくるし。

森 調べまくりながら訳していました。むしろ、調べないと何も分からないというか。

田中 テレビドラマのタイトル名が出てきたりすると、森さんはちゃんとそれを見てくれていましたよね。

森 難しいのは、あるドラマの役柄の名前が出てきたとして、それがクールな存在として認知されているのか、その反対なのか。それによって全く意味が変わるので、そのあたりは苦労しました。

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森 もちろんネットで調べ物もするんですけど、結局、原典の資料にあたるとかひとつひとつを丁寧に調べるとか、書かれている内容がちゃんと理解できるように何度も読むとか。よく知っているつもりの英単語にも、イギリスでは別の意味があるんじゃないかと調べるとか。
原始的なことをちゃんとやった先に良い文とか良い本があるんだなということが、よく分かりましたね。

__村井さんとはやりとりしていたんですか?

森 この本のためにSlackでワークスペースを作って。僕と田中さん、村井さんが原稿編集チームとして、3人でアップした原稿を相談しながら直していきました。

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田中 村井さんは手術が無事成功されたこともあって、実際の翻訳作業中もずいぶん関わってくれましたね。

森 僕もわからないことがあると、そのつど村井さんに聞いていました。
これまで、翻訳という仕事は、「英語の仕事」だと思っていたんですよ。英語さえわかっていれば、それを日本語に訳していけばいいだけだと。でも実際に初めてみると、どうやらこれは「日本語の仕事」なんだなと。
英文を自分の中の英語脳で理解することはできるんですけど、それを日本語に置き換えることががめちゃくちゃ大変で。だから大事なのは、日本語力なんじゃないかと思いましたね。もっと日本語が上手くなりたいと思うようになりました。

__完成まで、どれぐらいの期間がかかったんですか?

森 本格的に翻訳を始めたのが4月。7月半ばに訳が終わって、そこから推敲に3か月かかって、10月の頭に最終稿を出しました。

__推敲に3か月かけるのは、かなり長いですよね?

田中 今回は初めてということもあって、推敲期間を長めに取りました。一般的には初稿から再校までで、だいたい1か月ぐらいですね。

__推敲ではどんなことを意識されたんですか?

田中 森さんは今っぽい女子の感じを出そうと頑張ってくれて、言葉遣いも含めてとても良かったんですけど、やっぱり微妙に女子だとこういう言い方をしないのではないかという部分があったんですよね。

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田中 主人公は口が悪くて下品な冗談も言ったりする元気な女の子なんですけど、同時に割と繊細なところもあるんです。
女の子って、たとえお笑い芸人みたいなキャラの子でも、四六時中元気かっていうと、そうでもないじゃないですか。飲み会でワーッと騒いだ後に、家に帰って「ちょっとやりすぎちゃったな」って反省したりすることもある。ノリのいいムードメーカーでも、そういう乙女な心を持っているわけですよね。
そこが男性から見ると、「すごく元気な女の子。以上」になっちゃうところがあるかなと感じたんです。森さんは元気キャラ全開の女の子の飛ばしたイメージで訳してくれたけど、そのイメージの2割減のはっちゃけ度でいいんじゃないかと伝えました。

__森さんは、それを聞いてどう思われましたか?

森 やっぱり女性の気持ちを表現するは難しいと思いましたけど、言われていることについては本当にその通りだなと。

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森 「自分がコンペで選ばれた意味は、飛ばすことにあるんだ」っていう、今思うとちょっと誤った頑張り方をしているところもあったなと思います。
なので、弾けすぎている表現を直したり、内省的になっているシーンではトーンを下げたりするように調整しました。

__主人公のキャラクターに関する修正だと、一部だけを2割引きにすればいいというものではないですよね。

田中 そうなんです。これは今回の私の反省でもあるのですが、最初は元気キャラ全開の訳でもいいかなと思っていたんですけど、全体を通してみるとやっぱりどうしても気になって。
結果的に大きな直しになってしまったので、気になったことはもうちょっと早い段階で潰さなきゃいけないなと思いました。

私たちは、世界中の情報に、実はほとんどリーチできていない

__本を一冊作る経験をして、森さんが今感じていることは?

森 原稿をすべて出し終えた瞬間は、「こんなつらいこと二度とやりたくない」と思ったんですけど、本が出版されて、好意的な感想をくださる方がいたり、実際に本屋に行って店頭に並んでいるのを見て、ちょっとずつやってよかったなと思っている段階です。ツイッターなどでフィードバックを見ると嬉しいですね。

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↑11月に発売された書籍。『Hot Mess』のタイトルは『ほんと、めちゃくちゃなんだけど 完璧ではないわたしのしあわせの見つけかた』と訳された。

森「ここは上手く訳せたぜ!」っていう快感もあった気がするんですけど、なんかもう辛すぎて忘れてしまいました(笑)。

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__一番つらかったことは?

森 単純に量が多いという大変さと、仕事と両立しなければいけないという大変さ。

__翻訳されていた時は、完全に二足のわらじだったんですよね。最近、お仕事を辞められたと聞いたのですが。

森 副業ができない会社で働いていたんですよね。今回の本をペンネームで出して、会社に隠し続けて仕事を続けていくか、それとも正々堂々と名前を出して会社を辞めるのか。2つの選択肢があったんです。迷ったのですが、後者の方が面白そうだなと思って、辞めてしまいました。
実は、この本を訳していた時も、途中から主人公のエリーと自分の人生がシンクロするようなところを感じて、自分のことのように思えたりしたんです。
エリーは絵が好きで、大学でも絵を学んでいたけど、今はデザイナーとして雇われている会社でくすぶっている。しかも完全に自分の夢とかけ離れた職業というわけでもなく、少しだけ満たされているから、思い切った転職もできない。この状況、僕に似ているなあと。

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森 エリーにとっての絵は、僕にとっては、文章を書くことや、テレビ番組を作ることといったエンタメの世界でした。出版社やテレビ局には受からなかったけど、最終的に玩具メーカーに就職して大きくはエンタメでくくれるような会社に入りました。不満はないけれど、でも何かど真ん中ではない、くすぶった感じがあったんです。

__今後のプランは?

森 今はせっかく時間があるので、文章を書くことや、英語や翻訳の勉強をしたいですね。

__先ほど、翻訳者はデビューが難しいという話がありましたが、実際デビューした後は、皆さんどうやって次につなげているのですか?

田中 人によっていろいろですが、一冊訳書があると、売り込みしやすくなりますね。

森 僕はまだ売り込みをしたことはないんですけど、これからしていかなきゃいかけないなと思っています。

__今、翻訳書の市場はかなり厳しいですよね。以前講演で、田中さんが、本づくりについて「いい本なのはわかった。あとはどう売るか」という命題があるとおっしゃっていたのを覚えています。

田中 まさにそこが一番の課題です。今のやり方のままでは、特に翻訳書市場がこれ以上大きくならないのではないかという閉塞感がありますね
一番のネックは、やはり読む人が限られていること。値段も高いですし、翻訳書を読むことが、一部の趣味の人のものになっている。そこのハードルを下げていかなくてはいけないんですが、どういう風にやるのかというのが課題ですね。

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田中 「ハードルを下げてあえて分かりやすくするってどうなの?」という意見は確かに一理あるし、たとえ分かりにくくても、読者がそれについてくるべきだという考え方も、ある意味正しいと思っています。
でも反面、「みんなに伝わらないものを商品として作る意味なくない?」といった思いもあって。
極論を言うと、読者にとっては書いた人がどこの国の人かよりも、面白いかどうかがすべてですよね。だから、いちいち翻訳書だと意識をせずに読めるところまで地平を平たくしたい。その模索をしている感じです。

__今回のコンペも、その模索の中から生まれた?

田中 翻訳書を日本人作家の書籍と同じように読みやすいものにしていく時に、読者の感覚と近い若い翻訳者がどんどん世に出ていくことも大切じゃないかと。
すでに名前がある人が訳すものもいいけれど、若い人が出てこないとこの業界はどんどんきつくなるだろうなと思うんです。
翻訳書の居場所が小さくなりつつある中で、私が編集者としてできることは何かを常に考えています。手がけた本を上手く告知することの模索も、続けていきたいです。

__田中さんは、これまでも翻訳書の裾野を広げたいと、よくお話されています。そのモチベーションはどこからくるのでしょうか。

田中 今の時代は、いろんな情報が簡単に手に入るように思われているけど、実は全然手に入ってないからということを知るのがすごく大事だと思っているんです。
ネットでなかなか得られない一次情報は、今でも本から得られることが多いと思います。そのことを強く感じたのは、この本を作った時でした。

__『いま、世界で読まれている105冊』。これですね。

田中 はい。これはある種の海外文学ガイドなんですけど、学者さんや、その国の本を訳されている翻訳者さんに声をかけて、「あなたが携わっている国の本で、今読むべき一冊を紹介してください」とお願いした本を集めています。
一番小さい国だとツバルの本、言語も多様で英語からエスペラントで書かれた本まで入っているんです。

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↑田中さんが担当した翻訳書。『いま、世界で読まれている105冊』は一番左。

__紹介されているのは、知らない本ばかりでした。

田中 日本未訳の本を集めたので。この本のあとがきにも書いたのですが、本一冊、今はアマゾンでパッと手に入ると思っている人も多いけれど、実はなかなか手に入らない本も世の中にはたくさんあるんです。中には命の危険を冒してまで手に入れたような一冊もありました。
私達は何か万能の神様にでもなったような気になって、なんでも知っていると思ってしまいがちです。でも、世界の多くの情報には全然リーチできてないし、リーチできてないんだという事実を知ることがすごく大事だなと思っていて。
翻訳書の世界はそれを教えてくれるところがある。そこが翻訳書を手がける一番のモチベーションですね。

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__今回のコンペからの出版までの道筋も、田中さんだから完遂できたのだと感じました。お二人とも、今日はありがとうございました。

(了)

撮影/中村彰男
執筆/永井身幸
編集/佐藤友美

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田中里枝さん
(株)CCCメディアハウス書籍編集者 国内外のノンフィクション(ビジネス、エッセイ、実用)を中心に手がける。一方でみんなが幸せな気持ちになれる本をつくりたい。個人的には事件もの、戦記など、硬派な海外ノンフィクション好き。著者や翻訳者と共有していきたい課題は「いい本なのはわかった、あとはどう売るか」。
最近の担当翻訳書に『ダメ女たちの人生を変えた奇跡の料理教室』(きこ書房)、『息子が殺人犯になった』(亜紀書房)、『限界を乗り超える最強の心身』『東西ベルリン動物園大戦争』(以上、CCCメディアハウス)など。
twitter: @lilico_i

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森信太郎さん
1987年、三重県生まれ。慶應義塾大学経済学部卒業後、玩具メーカーに就職。2018年3月、翻訳家である村井理子氏急病・降板に伴い開催された『Hot Mess』日本版の訳者を決めるコンペティションに応募。翻訳学習も実務も未経験ながら250人以上の応募者の中から選ばれる。
『ほんと、めちゃくちゃなんだけど 完璧ではないわたしのしあわせの見つけかた』での翻訳者デビューを機に、玩具メーカーを退社。今後の人生の行く末について案じている。
twitter:@morishin5555