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「分断」は避けられるのか。思考の旅をともにする社会文芸誌『たたみかた』が目指す場所

Writer 渡辺絵里奈

昨年4月、「30代のための新しい社会文芸誌」として創刊され、大きな反響を呼んだアタシ社の『たたみかた』。
創刊号では東日本大震災発生から6年経った「福島」をメインテーマとして扱い、今年8月に刊行された2号目では「男らしさ女らしさ」を特集。書き手である「私」がさまざまな人に会いに行き、答えの出ない問いについて自分なりに考える軌跡が丁寧に紡がれた新しい形の雑誌には、SNSを中心に熱く長文の感想が多数寄せられている。
どうして今、社会文芸誌なのか。どうして、こうしたメディアを作ろうと思ったのか。――『たたみかた』に込められた思いを、編集長の三根かよこさんに伺った。

生きていくために、創らざるを得なかった

__今日はよろしくお願いします。創刊号、そして今回の2号目と、とても面白く読ませていただきました。

三根かよこさん(以下、三根) ありがとうございます。

__『たたみかた』は「社会文芸誌」と謳っています。今の時代に「社会文芸誌」というジャンルで雑誌をつくろうと思われた理由は?

三根 「社会」と「文芸」って相反するものですよね。「文芸」は基本的に小説や詩など、つまり一人称的な手法であるのに対し、「社会」はそうじゃない。だから『たたみかた』は、相反するものの“あわい”の部分にある、と思っています。

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↑「たたみかた」編集長 三根かよこさん

三根 よく「ロードノベルっぽい」と言われるのですが、編集者である私が山の仙人、海の仙人のような方たちに出会っていく中で、自分なりの生きる指針のようなものを見出すまでの足跡を描いているんです。その軌跡が「私」を通して、物語として入ってくる。聞き手である一人称の「私」が、実は主人公になっている、という作りになっています。

__どうして、そのような雑誌をつくろうと思ったんですか?

三根 創刊号は「福島特集」だったんですけれど、東日本大震災の直後からフェイスブックやツイッターには、色んな人のそれぞれの立ち位置からの意見が飛び交っていました。
でも、その中ではお互いの主張が食い違い、話し合う道筋も見出せず、分かり合えずにぶつかり合うという“分断”が起きていて……。そして、それは時間が経った今も解決していないんですよね。そういう状況を見ているのが、本当に辛くて。
そんな世界の中で、自分はどう生きればいいのだろう、と考えたのが始まりでした。

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__その答えを求めて、いろんな人に話を聞きに行こうと思ったんですね。

三根 『たたみかた』を創るということ自体が多分、私が生きていくために必要で、やらなければいけない行為だったのだと思います。自分が「思考するため」に創らざるを得なかった、というか。
そのことに自覚的になったのは、今回の号で劇作家の柴幸男さんにお話を伺った時です。柴さんは、「演劇を創ること自体が自分の目的ではなく、ものを考えるために演劇を創らなくてはいけないんです。だから観客の人には、自分の思考に付き合ってもらっているという感覚なんです」とおっしゃっていました。
同じく取材させていただいた漫画家の柏木ハルコさんも、「答えのない問いを考えるために漫画を描いている」とおっしゃっていました。
お二人のお話を聞いて、そういう形の創作もあるんだなという発見があったんです。今はそれを模倣しているだけかもしれないけど、おそらくそういう部分が自分にもあると感じたので。

__一つお伺いしたいのですが、三根さんにとっての「思考」は、インタビューして文章にして終わりではなく、それを世の中に出すというアウトプットも含めまれている、ということですよね。「書き上げた文章を人に読まれる」という過程も「思考」のために必要なのでしょうか?

三根 自分のために創ってはいるんですけど、それによって他者が苦しまなくてすむようにと考えています。誰かが救われることによって私も救われるという仕組みになっているので、やっぱり他者に読んでもらうというプロセスが必要なんですよね。これを読んだ人が一瞬でも認識が変わって、昨日よりも良く生きられるようになる姿を私が目撃する。そこまでがセットで「思考」であり、「創る」ことなんだと思います。

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__誤解を恐れずに言うと、『たたみかた』には「大いなる私物化の公益化」というイメージがあります(笑)。三根さんの欲望のために作られた本なんだけれど、欲望の軌跡を見せることが公益化につながっている。

三根 そうかもしれないです(笑)。結局のところ、物を作るのも、言葉を吐きだすのも、その行為すべてに実は、「私が私のことを知りたい」という動機があると感じます。私を知るために他者が必要になってしまう、という現象が起きてるんじゃないかな。
でも、矛盾してるようですが、読者をここに導きたいとか、啓蒙したいとは思っていないんですよね。読者のみなさんと一緒に考えたいし、これを読んで明日からより良くなってほしいんだけれど、誘導はしない。 私がいろんな仙人に会いに行って、いろんなことを考えていく軌跡を見て、「あなたはどんな感じ?」って聞きたい。『たたみかた』で目指しているのは、そのくらいの距離感です。

3人の「私」の視点へ。編集方針の変化

__創刊号に比べて、2号目ではより聞き手側のパーソナリティが表に出てきているように思いました。それは創刊号を出したあとに何か気付きがあってのことだったんですか?

三根 そうですね……。確かに創刊号は、第三者視点的な取材や、鼎談や対談を収録したものなど、誰が編集しているのか、聞き手の視点が誰のものなのかわからない記事が多かったと思います。
それに対して2号目では、「社会と文芸のあわい」を目指すために、聞いている「私」の立ち位置をはっきりさせることを意識しました。いろんな人の対談やインタビューをただ読むよりは、主人公の「私」に自分を重ねて、「私」と一緒に考えていける形にした方が、読みやすいんじゃないかと。

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三根 ただ、雑誌の中の「私」は、確固たる自己を持っているわけではない。読者の「私」とすげ替えが可能なように作られているんです。厳密には、三根かよこの「私」じゃないんですよね。そこがややこしいんですけど。

__その「私」という存在が、今回は複数になっていましたよね。そこが大きな特徴だと思いました。

三根 創刊号は小野ヒデコさんと二人で孤独に書き上げたんですけれど、今号から瀬木こうやさんにも入っていただいて、編集部が3人体制になりました。
私はいろんなことを考えすぎちゃうタイプなんですけど、ヒデコちゃんは全然違うタイプ。素直にものを書けるところがあるので頼りにしています。
瀬木さんは、本業では通信社の文芸担当の記者。『たたみかた』創刊時に取材してもらったときに、お互いすごくシンパシーを感じるところがあって。手伝っていただきたいですとお願いしたら、「やりたいです」と言ってくださったんです。瀬木さんとは、毎日テーマに関連する記事を見つけてはシェアして議論して、を繰り返しました。

__3人体制にしようと思ったのは、なぜだったんですか?

三根 私の視点から見えるものや気付くもの、読む本にはどうしてもバイアスがかかってしまうので、信頼できる人と一緒にチームでやってみたかったんです。
今回は特に「男らしさ女らしさ」という特集だったので、男性視点が必要だった、というのもあります。女性だけで作ってしまうと、不要なカラーがついてしまうところもあるのかなと。
今回チームで制作したことは自分の成長にもなりました。

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三根 思い込みにとらわれず、対話を促す雑誌にしたいのに、その自分自身に思い込みがあるということを2人に気付かせてもらったり。「これぐらいわかるでしょ」という感じで話すと、「わかる前提で話さないでほしい」と言われることもありました。
彼らと分かり合えないことは、多分読者とも分かり合えないだろうな、ということを認識させられました。
制作中、とくに瀬木さんとはかなりぶつかりました。私は主体性を持ってどんどんやってほしいと思っていたんですけど、彼はあくまで『たたみかた』は三根かよこのものだから、とリスペクトを持って言ってくれてて。
彼にももちろん主体性はあるんですけれど、三根かよこが主体となっている雑誌に自分たちの主体をどこまで表現すればいいかがわからないから悩んでいる、みたいな感じもあり。彼らがどう「私」なる者として語るか、ということについてはだいぶ話し合いました。

__瀬木さんの逡巡はわかる気がします。今回、「僕」という一人称が途中から登場していて、一瞬、誰だろう? と思ったんですよね。おそらく、瀬木さんは視点が3つあることによる読者の迷いをどうやって回避しようか、という部分に悩まれたのではないでしょうか。

三根 本当は登場人物を冒頭で紹介しておけば、もう少しわかりやすかったかもしれないですよね。ただ、創刊号から読んでくださっている方は「こんな人いたっけ?」になるかもしれないけれど、2号目から読んでくださる人も結構いるんです。その方たちは「この雑誌はこんな感じなのかな」ってゆるっと受け止めちゃうと思うんですけど。……難しいところですよね。

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__もう一つ印象的だったのは、創刊号に比べて2号目では、三根さんの「こういう風に読んでほしい」という意図が強く感じられたことでした。例えば「できたら前から順に読んでください」と書かれていたり。

三根 そうですね。今回はバトンでリレーするように、前の人が言ったことを次の人が受ける流れにしているんです。アーティストがCDを作るときに、何曲目にどれを入れるかと考えるのと一緒だと思うんですけど。

__そういう構成にしようと思った理由は?

三根 瀬木さんが入ってくださったことの影響もあるかもしれません。創刊号は前編後編に分かれているだけだったんですが、今回は一冊を通して登場人物12人の話が全部、起承転結で完結するようにつくっていきました。
創刊号をつくり終えた後に、自分もアップデートされたし、1年越しで見えてきたこともあったので、その反省が今回に活かされているのかもしれないですね。3号目も、きっと私の変化によって変わっていくと思うんですけど。

「怒り」の裏にある孤独や寂しさについて考えたかった 

__改めて、今回発売された2号目の「男らしさ女らしさ」特集についてお伺いします。このテーマを扱おうと思った理由を教えてください。

三根 「男らしさ女らしさ」をテーマに選んだのは、自分と他者の境界を考えたいと考えたからです。「個」と「個」を分けるものは身体です。身体があることで人間は、私と私以外のものに分けざるを得ない。そして身体を持つことによって、性別が付与される。ですから、あくまで「身体」の話として「男らしさ女らしさ」を扱おうと考えました。

__もう一つ、全編を通したキーワードが「怒り」ですよね。

三根 世間と私の「怒り」の定義がズレていることは理解したうえで、読者の方にもわかりやすいような見せ方を考えて作ったつもりなんですけれど……。そこはカスタマーフレンドリーではないと言われたりもします(笑)。

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三根 「はじめに」でも書いたんですけど、私は「怒り」という感情は結構複雑だと思っているんです。怒りって、自分が承認されてない時や、自分に存在意義がないんじゃないかと思う時など、自分の価値がないがしろにされているときに感じる感情の一種だと思うんですよね。怒りの源泉には、なにか孤独や寂しさというものがある。
「なぜか自分の存在意義が希薄な感じがする」、そんな普遍的な不安や悲しみ、みたいなものを追いかけています。これもやはり、身体があるからこそ生まれてしまう孤独や寂しさですよね。自分と他者について思索する上で、「怒り」は、外せない概念でした。

__最後は自己肯定のお話で終わっていましたが、それが三根さんが今号でたどり着いた答えだったのでしょうか?

三根 最後に登場していただいた永井陽右さんは、最悪の紛争地と言われるソマリアでテロ組織への加入阻止・脱退促進の活動をされている方です。
彼は「論理的に考えて、生まれてきたことに意味はない。今死んでもいいのに、なぜ自分は死なないのか?」と考え続けていました。そういう青年が、テロリストに共感しているわけでもないけれど、偶然のくじ引きによって決められたテロリストやギャングたちの宿命を変えていく。その実践が「彼自身」を救ったという話が「すごい!」と直感的に思って。
彼の話を聞いて、自分が救われたい救われたい、とばかり思っていたことに気付かされたんです。私の人生をどうにかしたい、というレベルではなくて、救われるためには、救わなければいけないのかもしれない、ということに気付けたというか。

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__Amazonの紹介文で「最後には、『生まれてきてよかった』と思えるような爽快感をもたらす号になっています」と書かれていましたよね。

三根 気づいたら生まれてて、いつか必ず死ぬ。どこまでも孤独な私の寂しさは一生続くんだけれど、最期の瞬間まで自分以外の存在と関わろうとするというところに、人間の寂しさも救いも全部あると感じたんです。
自分の存在肯定には他者や外部の存在が必要である、というのが、私にとってはすごく希望だと思った。だから爽やかという表現をしました。私自身がすごく爽やかな気持ちになったんですよね。

__なるほど。最終的には他者の存在が必要なんですね。

三根 人間同士の最後の境界線は身体であり、皮膚ですよね。そのゼロ地点にまで近づける行為の一つがセックスや妊娠だと思います。他者と最も物理的に近づける行為を人間が根源的に求めてしまうのも、やはり自分の存在肯定に他者が必要だからなのかもしれない。

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三根 寂しさを埋めるためにセックスするんじゃなくて、そこには何か直接的な救いもあるのかもしれないと感じることができました。同時に、他者と「私」が最接近しようとする営みを、怒りや怯えや、自分を興奮させるための道具として使いたくないなとも思ったんです。

コミュニティは「分断」を深める

__『たたみかた』は、創刊時から「立ち位置を決めない」ことをモットーにしてきていますよね。

三根 そうですね。この雑誌をつくった最初の動機が、「分断を乗り越えることができないか」と考えたところから始まっているからです。
主張や意見は人間の数だけあって当然です。Aさんが言ってることとBさんが言ってること、どちらが合ってるか、間違ってるかではなく、同じことをそれぞれが全く違うアングルで見ているというだけのこと。それ自体は当然起こりうる。
では、自分が見ているアングルや自分が作り上げた正しさだけをベースにしてその堝の中に飛び込むのかというと「飛び込まない」と決める姿勢がまず重要だと思いました。他者と自分を完全に切り分けるのです。ただ、他者と自分を切り分けただけだと、完全に分断して分かり合えない私たちだけが残ってしまう。これが分断の構造です。

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三根 次に、その分断の構造を抱えた私たちが、より良く生きていくためには、どうしたらいいのか。今度はAとBとをつなぎ合わせる思考は何かと考える。そんな風に考えを変えながら、創刊号からいろんな人に話を聞いてきました。そして、分断してしまう私たち人間に共通している、もっと根源的な部分に思考を下ろしていきました。水脈が繋がっているところ、とでも言えばいいでしょうか。そうすることで、地理的にとか、日本人だからとかではなく、もう少し根源的な共感を作り出せないかと考えたのです。
「自分の主張だけが正しい」という考えを完全に解除していった先に、本当の意味での共感が生まれるのではないのか、と。

__その思考の過程を、『たたみかた』の2冊を通して、私たちも追体験してきました。

三根 例えば、前回も今回も、どうしてソマリアの悲劇を扱ったの? と聞かれることがあります。けれども、福島のことを自分事化できないのと、ソマリアのことで泣けない構造は一緒なんですね。物理的な距離や関係性の濃淡などによって、共感できるかどうかが決まってしまうと、なかなか問題を解決することができない。
距離や思い入れに関係なく、それに対してAかBかという立場を取るのでもなく、渦中の「外」にいる人たちがフラットに考えるためのトリガーになれたら嬉しいなと思っています。

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__読者にそれぞれ考えてほしいということなんですね。

三根 読んでゴールではなくて、実践まで進めてもらえたら嬉しいなと思っています。実践というとアクティブなイメージですが、例えば今この瞬間の言葉も行いも、すべて実践。他者の死や人との性愛、いろんな場面で事象をどう捉え、考えるのかも実践です。
だから、『たたみかた』がすごくよかったとツイートしてくれた読者が、その翌日に、社会や他者への怒りに満ちた投稿をしているのを見ると、まだ十分な助けにはなれなかったんだなと反省するんです。
もちろん、その読者の方は何らかの必然性があってそうしているんだろうなとは思うんですけど。難しいですね。

__次号はどんなテーマを取り上げるんですか?

三根 いま、「信じること」と「差別」というのが、自分のホットなテーマなんです。来年は年号が変わることもあるし、国家を形作っている構成要素のようなものを今一度、問う時期としてはいいのかなと。
家族や地域を含めて、人はいろんなことを信じています。何かを信じることで生きることができたり、救われることもあります。でもその一方で、何かを信じることによって他者を排斥してしまったり、分断が起きてしまうのも事実です。矛盾を抱えざるを得ないのが人間だから、ままならないですね。

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三根 最近話題の「コミュニティ」についても考えてみたいと思っています。共同体やコミュニティ、SNSなどは、「誰でも入ってきていいよ」と言っていても、同時に排他性を生み出してしまうジレンマを持つものだと思っています。連帯するから分断する、といった仕組みであるというか。
そういったコミュニティ的なものが増えてくると、同時に分断も生まれざるを得ないのかなと考えたりすることもあります。そんなことを考えはじめたらキリがないと言われるんですけれど、これからもキリがないことを考えたいという感じですね。

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三根かよこさん
合同会社アタシ社 ディレクター・デザイナー。千葉県出身。カナダで7年間を過ごす。リクルートメディアコミュニケーションズ在職中に桑沢デザイン研究所ビジュアルデザイン科を卒業し、2015年4月に夫で編集者のミネシンゴと合同会社アタシ社を設立。現在は30代のための社会文芸誌「たたみかた」の編集長、美容文藝誌「髪とアタシ」や書籍のデザインを手がけつつ、企業の外部編集者としても活動する。

(了)

撮影:中村彰男
文:渡辺絵里奈
取材構成:佐藤友美