
答えは相手が持っている【さとゆみの今日もコレカラ/第 239 回】
不用品買取のチラシがポストに入っていて「え? こんなものも買い取ってもらえるんですか?」のコピーにまんまと心を動かされ、依頼をしてみた。
査定にきてくれた人が、「ゴミだと思うものでも、とりあえず全部出してみてください」と言う。先日の大掃除のときに出てきた、もう二度と使わないだろうなと思ったネックレスやヘアアクセサリー。サイズアウトした子供の服。新品の電化製品、場所をとるだけの古い電化製品。若い頃に買ったブランドバック。
「これはそれなりの値段になるのではないか」と思った商品が 300 円ですね、と言われたり、値段がつかなかったりする。一方で、あ、そういえばと思って後から出したタンスの肥やしに1万円の値段がついたりする。
「ブランド物は、定番のデザインほうが高い値段がつくの? それともレアなデザインの方が高くなるの?」と聞くと、「場合によります」と言われる。「たとえばこの財布は、超レアなデザインですけれど、個性的すぎておそらく欲しい人も少ないんですよね。なので、そこまでの値段はつけられません」
美容家電系は、新品でも値段がつかない。間違って買ってしまった新品の kindle 端末も数百円程にしかならないという。一方で、シックスパッドは使用ずみでもそれなりに高い値がついて、なぜだ? と思う(シックスパッドを買ったときの自分の精神状態もなぜだ? と思う)。
これが売れるだろうと思ったものが売れず、こんなものが? と思うものが売れる。わからないものだ。
こういうことは、相手のほうに解があるから、こちらがどんなに予想しても意味がない典型だなと思う。いろいろ皮算用するよりも、実際にきてもらって回答をもらうしかない。
そして、こういうことってよくあるよなと思う。
「よかれ」と思うことが先方にとって迷惑だったり、逆に片手間でやったことが本筋よりも感謝されたり。
どや! と自信満々で出した原稿が修正だらけだったり、自信ないまま提出した原稿が絶賛されたり。
自分の予想や思惑とはずれることって、本当にたくさんある。正解を持っているのは自分ではなく、先方なのだよなと、当たり前のことを思う。
結局、現金で5万円もらった。
粗大ゴミに出さねばと思っていた大型の家電なども「いろいろ売っていただけたので」と、サービスで持っていってくれた。
そして、彼が「これはうちでは 100 円しか値段をつけられないけれど、メルカリだったら1万円くらいでうれると思いますよ」と教えてくれた商品は、実際メルカリを見たら1万 3000 円の値段がついていた。
答えを持っているのはだいたい「自分」ではなく「先方」で、同じものを差し出しても「先方」が変われば、評価も変わる。
めちゃくちゃ当たり前のことなのだけれど、意外と忘れがちだなと思った。5万円うれしい。


