
さとゆみの「行き詰まり問題」についての考察(「なぜ、さとゆみの文章はつまらなくなったのか?」)【さとゆみの今日もコレカラ/第 252 回】
昨日「なぜ、さとゆみの文章はつまらなくなったのか?」を書いた。(アーカイブを置いたので、もしもご興味ある方がいたらご覧ください)。
6つほど理由を思いついたのだけれど、簡単にいうと
以前はあっけらかんとにこにこ楽しく書いていたのだけれど、「ライターゼミで文章を教え、CORECOLOR の編集長としてここで書く私の文章がどうあれば正解か」みたいなことを意識するようになった結果、手足が縮こまった(ファウルを恐れて縮こまる桜木 by『スラムダンク』的な)。
で、私としては、昨日の文章を書いただけですっごくすっきりした。久しぶりに楽しくわくわく文章を書いた。あの文章自体がそもそも課題に対するアンサーになっていたとも思う。いろんな方の感想や意見を読んで、さらに頭もクリアになってきた。たとえばこちらは小説家の寒竹泉美さんのコメント。
「先生」であることや「編集長」であることを降りて、なんなら「さとゆみ」であることも降りて、ただの、ぽつんとした個人のつぶやきこそが、エッセイとしての面白さに通じるのかなあって、これ読んで思いました。今日の、好き。でもそれはあくまでエッセイとして。これまでの文章も好きだし面白くないと思ったことがない。すっと旗を立てて見通しよくしてくれる感じ。俺らのさとゆみ。あれは確かにコラムというジャンルなのかも。
そう。エッセイならば、「個」として書けばよいのだよ、と、しみじみ思う。
なので、昨日の話でほぼ結論まで到達していたのだと思うけれど、「続きを書きます」とうっかり宣言してしまったので、書きます。
とても個人的な話だけれど、「前は楽にできたことができなくなる」とか「好きだったことが嫌いになりそう」みたいなことは、ひょっとしたらみんなあるのかなと思った。なので、私の具体的なこじらせ例を肴に、ちょっと抽象化できないかなと考えている。
で、課題を整理した結果、まず、初期段階で具体的に想起したのは以下の対処法だった。
①この連載をやめ、また別の場所で書く
自分が編集長である媒体で書くのではなく、別の編集長がチェックしてくれる場所で書く。以前のように別のメディアでそれぞれの媒体に合わせたテーマで楽しく書く。
②人に文章を教えることをやめる
「人に教える」をやめれば、「ちゃんとせねば」と自分を縛ることもなくなる気がする。
③編集長をやめる
編集長をしていることが不自由なのであれば、そのポジションを降りればいいのではないか。いちメンバーとして書けばいいのではないか。
と、このあたりまで考えたとき、そもそもこれ、私の「問いの設定」が変じゃないか? と思い当たった。
つまり
「ゼミの先生だから(編集長だから)、きちんとしなくてはいけないと思って、書くものが(書くことが)つまらなくなった。どうすれば良い?」
という問いの設定自体が間違っているのではないか。
なぜならば、ここに至る 250 日のうち 225 日くらいは楽しく書いていたわけである。その間も私はずっと、ゼミの先生だったし編集長だった。ということは、条件は変わっていないのである。
だとしたら、むしろ「『先生や編集長として書く』と、本当に制限があるのか?」「なぜ突然そう思うようになったのか」のほうに、解決すべき課題があるのではないかと思ったのだ。
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ここまでは一昨日の時点で考えていたことである。
ところが、こういうことを考えていると、向こうから何かがやってくるもので。
ちょうど昨日、スタンフォード大学の人気講座「Designing Your Life」のワークショップが日本で初めて開催され、それに参加してきた。
そして、私が陥った「そもそも前提条件間違ってんじゃね?」というパラドクスには「行き詰まり問題」という名前がついているのだと知った。
たとえば「ヨットが大好きで毎週ヨットに乗りたい。だけどお金がないからヨットが買えなくて無理」みたいな問題は、「行き詰まり問題」の最たるものだという。
この場合、解決すべき課題は「ヨットを買うこと」ではなく、「ヨットに毎週乗ること」のはずだ。であれば、「買わずにレンタルする」「誰かとシェアする」などの解決策もある。
これを私の場合に照らし合わせると「前みたいに楽しく書きたい。でも編集長を(ゼミで教えることを)やめないと、無理」という問題設定をしているから「行き詰まり問題」になっている。
この場合、解決すべき課題は、単に「楽しく書きたい」であるはずだ。
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また長くなってしまっている。
いろいろはしょって、結論は、2つ。
①
「先生(編集長)は、ミスってはいけない」
「先生(編集長)は、いい文章を書かなくてはいけない(お手本でなければならない・品行方正でなければならない)」
と考えること自体がナンセンスだと自分に腹落ちさせる。
だいたいにおいて、それが先生であれ社長であれリーダーであれ、誰もが人生の学びの途中である。私、なんで、正しくなければいけないなんて思い込んだのだろう。というか、これ、私以外の先生や編集長に対しては、全然期待したことない。なんで自分に対してだけ、こんなことを思ったのだろう(これには理由が7つほどあり、こちらはこちらで別の考察と対策をしたが割愛)。
これは想像だけれど、私のゼミにきてくれるメンバーは「さとゆみ、常に、正しくあれ」なんてことを期待していないだろう。それを求めている人は多分私のゼミを選ばない。
さらに言うと、そもそも、どこで学んだとか、どこで書いているかなんて、メンバーにとってはごまんとある属性のひとつでしかない。みんなのプロフィールに私が傷をつけられるようなお偉い様だと思った自分が恥ずかしい。何を背負ったつもりでいたのか。おこがましいにもほどがある。
②
「自分が面白いと思うものを書こう」
「自分が読みたいものを書こう」
私は、CORECOLOR のメンバーに、「セットリストやあらすじではなく、あなたが感じたことを書いてください」「めっちゃ書きたいと思った気持ちがあるときだけ書いてください」「他の媒体では挑戦しにくいことを実現してください」と言い続けている。それを、私も私にオファーすればいいのだと思った。
というわけで、外から見ている人からしたら、何にバタついているのか意味不明だったような水面化のバタ足でありました。結論も非常に普通だったと思う。でも私としては、だいぶ悩んでいたし、悩んでいることを口に出すことも勇気がいった。書いて良かったと思っている。こんがらがった紐を一本ずつほぐした感じであった。
この連載を初めてからずっと、「明日のさとゆみさんは、何を書いてくれるのかなあ」と楽しみに眠りについていた。
そんな気持ちで書いていきたいなと思っています。
よろしければ、ときどき遊びにきてくださいませ。


