
真似にならないためには、知るべきか知らないべきか。【今日もコレカラ/第624回】
ここ数日、3人の小説家のエッセイを読んでいたのだけれど
1人目と2人目の小説家は「小説家になりたいなら、とにかく小説を読め」と書いていて、3人目の小説家は「小説を読んでこなかったから小説家になれた」と書いていた。
真逆のことを言っているようで、実はわりと同じことを言っているなと思う。
そのどちらも結局、「小説に重要なのはオリジナリティ」であると言っているのだ。
前者は過去作を知ることで巨人の肩の上に立て。そしてかすかにでもオリジナリティを発揮しろと言っている。
後者は過去作を知ると自分に書けるものはもう何もないと思ってしまう。自分にはオリジナリティなどないと絶望するくらいなら、読まないほうがまだオリジナリティを発揮できる可能性があると言っている。
前者と後者は、「オリジナリティ」の定義がちょっと違って、方法論のほうはだいぶ違うのだなと思う。
が、結論は同じだ。
✳︎
作家とライターはまったく違う職業だと思う。
が、その上で、自分を振り返るとどうだろうと考えてみた。
ライターとして雑誌の仕事を受けたときは、徹底して過去の仕事を調べた。過去1年分のバックナンバーを隅々読んで、ライバル誌も読んで、傾向と対策をばっちりして臨んだ。書籍ライターになろうと思ったときは、まず第一人者の講座に通った。
ライターは「職業」だから、先人に学ぶのが早いと思ったし、オリジナリティより技術が重要だと思ったし、実際にそうだったと思う。
一方で、私のブログを読んでくださった編集者さんから書評コラムの連載をもらったときは「書評って、過去に1本も読んだことがないな」と思った。けれども結局、書評とは何かを調べずに読まずに、連載をスタートした。多分、このタイプの仕事は、先人の真似をしないことが大事だと思ったからだ。これは正解だったかどうかはわからない。が、そのメディアで一番長く続いた連載となった。
こんなの正解なんてどこにもないから、自分のやり方でやってみて、失敗してみて、やり方を変えてみてを繰り返すのが大事なのだろうなと思う。
最近の一番の悩みは、じっくり失敗できるほど残りの人生に時間が残っていないことなのだけれど、でも、やっぱりこのやり方しかできないので、この方法で行くしかないんだろうなと諦めている。
書いていてふと思い出したのだけれど、180回まで続いた朝日新聞・telling,さんの連載『本という贅沢』が、先日サイトのクローズとともに終了しました。
クローズからしばらく経って、やっぱりまた書評を書きたいなあと思っているので、書かせてくださるメディアさんがありましたら、ぜひ、お声かけください。私の連載の中では、一番楽しそうに書いているなあと思う連載です(当社比)。
_______________
※「今日もコレカラ」は朝7時に更新です。バックナンバーが読めるようになりました。


