
#本を出したい【さとゆみの今日もコレカラ/004】
「本はすべからく、あとがきから読む」編集者のりり子さんが言った。
春に出す新刊の構成打ち合わせをしていたときのことだ。「読者の何割が、はじめにから順に読んでくれるのだろうか」と議論していたら、ビジネス書だろうが文芸だろうが、私はあとがきから読むとりり子さん。
うわあ、勘弁してよ。どうして? と尋ねると、「著者の思いがいちばんダダ漏れるから」とおっしゃる。
「はじめには緊張感や抑制感を持って書くけれど、あとがきは著者の生身が隠しきれなく出るでしょう。本全体が生身である必要はないけれど、生身のその人を好きになりたいから」
ああ、たしかに、それはそうだ。あとがきには舞台がはけた後の楽屋裏がにじむ。
「でも、あとがきを最初に書く必要はないからね」とりり子さんが言うから、そりゃもちろんと思う。だって、あとがきを書くのが楽しみで、執筆期間を走っているのだ。一冊書き終わった時の自分が、はじめにの地平からどれほど遠くまできたのか、どれほど変化したのかを知りたくて書いているのだ。最初に書いてたまるものか。
相対性理論だねと、りり子さんは言う。
さとゆみは書くのがすごく速いけれど、書いている間に、時空を超えて成長するわけでしょ。本を書くことって、そういうことかもね。時間の流れるペースを超えること。
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りり子さんの言う相対性理論について一晩考えた。
高速の乗り物の中では、人は時間をゆっくり感じるという。たしかに、本を書くことは、何十年分の思考を高速で出し入れすることに近い。
かと思えば、涙がこぼれて地面に落ちるまでのわずかな瞬間を、何時間も見つめながら書くこともある。
時間は収縮し、増幅する。
りり子さんと作る本の仮タイトルは『本を出したい』だ。
本を出すという行為は、時空を超える行為なのかもしれないと仮定する。 だとしたら私は、この本の執筆中に時空を超えなければいけないだろうと思う。
はじめには書き終わった。1ヶ月半後の私が、どんなあとがきを書いてくれるのか、楽しみだ。


