
マイナス 25 度のすっぽ抜け【さとゆみの今日もコレカラ/053】
私の育った街は寒かった。平和の「和」に「寒」いと書いて「和寒(わっさむ)町」という。冗談のようだが冗談ではない。
冬は平気でマイナス 25 度になる。マイナス 44 度までは体験したことがある。寒いというか、もはや痛い。
そんな和寒町で、私たちソフトテニス部の中学生は6時から毎日朝練をしていた。
体育館の暖房がかかるまでには時間がかかる。手がかじかみ、よくラケットがすっぽ抜けた。寒くてちゃんとグリップを握れないから、ボールを打った瞬間にラケットが飛んでいってしまうのだ。危ないから最初のうちはフルスイングしない。
吐く息は白い。それでも 2、30 分練習したら、体は温まり汗をかく。当時はみんな背中にタオルを入れて練習していた。練習後、汗を吸ったタオルを背中から抜く。運動着を濡らさないための工夫だ。濡れた服で家まで帰ったら服が凍る。風邪をひかないように編み出された技。
7時には解散するから、朝練は正味 45 分。そのうち半分は寒くてフルスイングできない。体育館の天井は低いからロビングも打てない。甚だ効率が悪いと思っていた。
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夏の全国大会は、高知県で開催された。北海道人が経験したことのない灼熱。テニスコートに陽炎が見える。湿度が高くて呼吸が苦しい。立っているだけで汗が吹き出す。まさかこんな場所で試合をするの? 闘う前から絶望的な気持ちになる。
その時だ。
突然私は、マイナス 25 度の体育館を思い出した。私たちも「まさかこんな場所」で、毎日練習してきたなあと思ったのだ。炎天のコートの上で一瞬、冷たい風が頬を打った。
そうか、この瞬間のためにあの寒い体育館で練習してきたのかと理解する。
上手くなるためだけではなかった。手に息を吐きかけ温めながら、それでも毎朝ラケットを振り続けた。その自分だけは揺らぎなく信頼できた。
全てが溶けてしまいそうなこのアホほど暑い土地で、それでも私は毎朝ラケットを振ったという事実が、両脚を支えた。
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極寒の中の朝練習は効率が悪いと思っていた。悪いはずだ。時間をかけることでしか身につかないことを、私たちは体得しようとしていたのだ。
あの時に得た自分への信頼は、47 年の人生をずっと支えてきてくれた。今となっては、効率が悪いどころではないと思っている。
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