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一人と孤独【さとゆみの今日もコレカラ/第 93 回】

小学生の息子が「ねえ、ママ。自分が疲れているかどうかって、どうすればわかるの?」と聞いてきた。

熱があったり咳が出たりしていれば病気だとわかるけれど、自分が疲れているかどうかは何で計測すればよいのかと、彼は聞く。

難しい質問だ。

ひと月くらい前の問いだったけれど、私はまだ彼にこれ、という答えを渡せていない。

難しいはずだと思う。大人になっても、自分がいま疲れていることを自覚できないことは多い。身体の疲れだけではない。心が傷んでいることによる疲れも自分で気づけない時がある。

昨日、明らかに調子が悪かった。よく寝たはずなのに、目が覚めたら爪の先まで悲しくやるせない気持ちがひたひたしていて、体が重かった。このままベッドで横になっていたい気持ちにムチを打ち、シェアラウンジに出勤する。いくつかオンライン打ち合わせがあったことが、幸いだった。今すぐ横になりたい身体を、なんとか自立させる。

あ、そうかやっぱりダメージを受けていたのだとわかったのは、デザイナーさんと打ち合わせをした時だった。来月、CORECOLOR で初めての広告を出す。そのキャッチコピーについて相談していた時、言葉の持つ力、のような話になって、どちらからともなく「やるせない話でしたね」となった。ドラマの原作者と脚本家、制作チームと業界の慣習の話である。

その話に及んではじめて、ああ、私は前日からずっと、このことで悲しく辛く怖い思いをして震えていたのだと気づいた。

言葉を扱う仕事をしている者にとって、あの悲しい出来事は、どの立場の当事者にもなり得る話だ。どの立場の人も、自分だったかもしれないし、自分の友人だっかもしれない。そして、SNS で双方を追い込んだ人たち(今も追い込み続けている)もやはり、自分だったかもしれない。

打ち合わせの帰り道、突然思い立って友人のライターさんをご飯に誘った。 10 分で行きます、といった彼女は髪をバッサリ切っていて、すごく可愛いと伝えたら、やはりどうにもこうにも辛かったので、切ったんですと言う。その話をしようと思って彼女を誘ったわけではなかったけれど、私もたぶん、どうにもこうにも辛くて今日誰かと、それも信頼できる誰かと会いたかったのだなと思った。

最近書いた原稿の話、美味しいごはんの話、いま注目しているメディアの話などをして別れた。お互いに何かを議論したわけでも解決したわけではないけれども、私たちは明日も誰かの言葉を預かって書いていくことを、真剣にまっすぐに恐れながら震えながらも続けていくのだろうなという感覚が残った。

書く時は一人だ。一人で書くし一人で悩む。でも同じように一人で書き一人で悩む人がいることを知っていることに、支えられる。一人だけど孤独にならない。

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