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自分を取り戻すため【さとゆみの今日もコレカラ/第362回】

(本人の許可をもらって書いています)

NHKカルチャーセンターさんでのエッセイ講座。東京青山の2クラスと大阪梅田に1クラス。先週で全てのカリキュラムが終了した。

梅田のクラスに、鹿児島から通ってきてくれた女性がいる。過去に私のライティングゼミをオンラインで受講してくれた人だ。

昨年鹿児島に温泉旅行に行った時、旅先の旅館で初めて彼女と会った。年齢は私よりも少し上くらいだが、お孫さんが2人いる。

1回3合のお米を、1日3回炊いていると言っていた。義母と母と夫と自分、娘と娘の夫と孫2人。朝ごはんが終わったら昼ごはんのことを考えて、昼ごはんが終わったら夜ご飯のことを考える。気づけば1日が終わる。

20代の頃はコピーライターとして深夜まで働きづめだったそうだ。でも今は、ずっとご飯を炊いているんですよ。飯炊きおばさんですよう。おどけるように、彼女は言った。

それから1年半経ち、彼女から「梅田のエッセイ講座に申し込みました!」と連絡があった。「え? 鹿児島から?」と聞くと、鹿児島から通うという。

ご家族は大丈夫なのだろうか。先日福岡でゼミの同窓会をしたときも、「はじめて九州新幹線に乗りました。大冒険でした」と言っていた。それを、今度は大阪梅田だよ。

彼女からは、こんな返事がきた。

最後の1名に滑り込みセーフでした。義母の体調が思わしくなく迷いに迷って、申し込み完了しました。飛行機も取れました!さとゆみさんにご報告しようと思っていたら、義母が6月末に亡くなりました。

バタバタと日にちだけが過ぎてまだ夢の中にいるような気持ちです。でも、申し込んでおいてよかったとあらためて思っています。福岡よりもさらに冒険でございます。遅ればせながら、どうぞよろしくお願いします。

大恩の母でした。最期まで看取ることができて本当によかったです。

終わりとはじまりの特別なスタートラインに立った気持ちです。講座の1週間前が四十九日にあたり、義母が背中を押してくれたと勝手に信じて突き進もうと思います!大阪で無事に会えることを祈っていてください。

そうして、彼女と大阪で再会を果たした。慣れない土地で迷子になりそうだという彼女を、仲間が待ち合わせをして梅田まで一緒にきてくれたり、空港まで連れ立って帰ってくれたりしたという。

講座の課題で「なぜ、書くのか」というテーマでエッセイを書いてもらった。その一部を抜粋する。

私は、いつも家族のご飯をつくっている。

私が15歳の時、母が統合失調症になって家事が一切できなくなった。それ以来、父と7歳下の弟、11も歳の離れた妹のご飯を私がつくることになった。

結婚してやっと自由になれたのも束の間。18年前に義父が、15年前に実父が亡くなり、義母と母の二人とも引き取ることになってからは、8人分のご飯をつくってきた。

2人目の孫が生まれたばかりで人生最大級のてんてこ舞いだったある日、家族全員がコロナになった。皆を看病した末、最後に感染した私は自らホテル療養を志願した。

耳の激痛を訴えたけど、隔離中で受診が認められず、中耳炎で私の左耳の鼓膜が溶けた。

聞こえが悪く、会話についていけない自分はまるで蚊帳の外にいるような感覚だった。自分の声だけがくぐもって大きく聞こえる。

そして気づいた。「このままで終わりたくない」という自分の声に。

書くことは、ご飯をつくることに似ている。

材料を選んで、調理して、「人を喜ばせたい」と毎日毎日向き合っている私。だけど、自分のことは後回しで、立ったままご飯を食べていた。書く仕事もまた、委託で自分の名前を出すことなど考えたこともなかった。

「人を喜ばせたい」の中に、私が入っていなかったことに、抵抗したい自分を見つけた。

なぜ書きたいのか。

自分を取り戻したいから。

自分を蔑ろにしてきた自分自身から。

講座の最終回が終わり、みんなで打ち上げをした。彼女は最初30分ほど出席して、飛行機の時間があるので先に出なくてはならないと席を立った。

たった2時間半の講座のために、毎回、鹿児島から通ってくれたのだ。自分を取り戻すために。

名残惜しそうにする彼女を、私はぎゅーーーっと抱きしめた。

書くことが、これからも彼女を支えてくれますように。そう祈りながら、ぎゅーーっと、ぎゅっと。

写真は彼女からもらった、鹿児島のペーパーウェイト。

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円グラフなんて、小学生以来。それでも試してみようと思ったのは、著者の日課に「ごはんをつくる」という項目が1日3回あったから。

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