
直感は過たない【さとゆみの今日もコレカラ/第 111 回】
大手企業でキャリアコンサルティングをしていた友人が、こんな話をしていた。
「転職した人を追跡調査するんです。すると、『直感で転職先を決めた』という人ほど、明らかに転職先への満足度が高いんですよ。『データをいろいろ調べて比較検討した』という人よりも」
なるほど、なんとなくわかる気がする。
直感とは、経験値の集積だと言われる。
なんとなく好きも、なぜか嫌いも、良い予感も悪い予感も、経験の集積だ。生理的に無理、も過去にこのタイプが無理だったことの記憶の集積だ。
直感に従う方が満足度が高い結果を得られるのならば
①データを集め論理立てて思考したことよりも、
②思い出せないけれども身体が記憶していることの声に従った方が大抵上手くいく
と言えるだろうか。
だとしたら、論理的に思考することは、幸福から離れる行為なのか?
私はなんでもすぐ忘れる。ほとんどの記憶は取り出せない。でもそれらが血肉になって身体に刻まれ私の直感を支えているのであればそれはそれで良いと思える。
一方で私はなんでもすぐに考えてしまう。空気のようにふわふわ頼りない考えを、言語化して見える化してしまう。言葉にしたその思考は、固体になり、容易に変容しない。
むしろその方が、忘れるよりもよほど危険な行為なのではないか。
直観は過(あやま)たない。過つのは判断である。
友人が教えてくれた。多分ゲーテの言葉だと思う、と添えられていた。
人は自分で気づいたことしかできないと私は思っている。
しかし、自分で気づいたことを修正するのは非常に難しい。
思考し固体化し持ち運びできるようになったその気づきを、いかにいつでも気体に戻すことができるか。いかに過去の自分を疑えるか。
それを疑える自分は多分、直感が支えている。疑うべきタイミングもおそらく、直感が知らせてくれる。
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「何をしている時に楽しさを感じるか」は必ず聞きます。人によっては、その楽しさは仕事の中に無い場合もありますが、何に快楽を感じるのかは、その人の大事な価値観だと思っているので。


