検索
SHARE

書くはデザイン。de + sign。【さとゆみの今日もコレカラ/第 120 回】

デザインという言葉が好きだ。

デザインの起源は、de(削る) +sign(新たな形を与える) だと聞いたことがある。

宮大工だった祖父はよく、言っていた。

「優れた仏師は、『木の中には仏様が眠っている。だから、余分な木を削って取り払えばよいだけだ』と言うんだよ。仏様はもともとそこにいるんだって」

デザインとは、飾るのではなく、削ること。

美容師さんと仕事をしている時も、それをよく感じた。本当に一流のヘアデザイナーは、彫刻のように、削る。まるで、その人にぴったりとフィットした髪型がもともと彼女(彼)の中に眠っているのだといわんばかりに、迷いなく削り出す。

ヘアスタイル撮影の時にそれは顕著だった。駆け出しの人は、足す。アイロンやスタイリング剤で「スタイリング」をする。でも、一流は「デザイン」をする。

de + sign されたモデルは、ちょっとびっくりするほど輝く。その場にいる人たちが息を止めてしまうくらい、神々しくなる。本人もびっくりしてる。え、私ってこんなに美しかったの、と、なる。

ライターの仕事も、de + sign でありたい。少なくとも私はそうでありたいと願って書いている。

まずインタビューでその人の核になる思想を探る。大きな木を荒く削っていくような感覚だ。その人の全部は到底わからない。でも、ここを外していけないという魂のようなものを探しながら、掘る。

書くときにさらに削る。その人の口から出た言葉の本質は何だったかを想像しながら削り出す。削っている時は、あれも捨てる、これも捨てるの連続だ。だけど、この方向で削り進めた(de)先に、取材相手の核になる思想が新たな形で浮き上がるはずだ(sign)と信じて進む。できることなら、それが取材相手もハッとするくらい強い or 美しい or 逞しい or 繊細な姿であればと祈りながら削る。

相手のどこを見つめるのか、何を削り出すのか、その行為そのものがライターの「創作」だ。

自分の言葉を足さなくても、削り出す行為そのものが、ライターのゆるぎない個性となって表出する。「自分らしい文章」なんて考えなくても、何を捨て何を残したかに「らしさ」は丸裸になっている。

【この記事をおすすめ】

あらかじめ書く要素や流れを決めてしまうと、その箱にピッタリあてはまる素材こそが良い素材だと勘違いしてしまう。箱に合わない答えを無意識に「価値がない」と判定する。すると、どうなるか。たとえば雑談のような脱線が起きなくなる。

箱に入るものを探すのではなく、まず見て聞いて、観察し、一度混沌の中に潜る。

writer