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重要なのは、AIを使ったかどうかではなく、「AIがあなたなしでもそれを作ることができたか」どうかだ。【今日もコレカラ/第865回】

「non-fungible writer(代替不可能な書き手)」という概念について書いた、ノア・ブライアーのエッセイ The Non-Fungible Output Edition を、とても興味深く読んだ。

私たちはよく、「AI時代にライターはどう生き残るか」という話をするのだけれど、ここに、「代替可能な書き手」と「代替不可能な書き手」という概念を投入すると、話が整理しやすくなるように思う。

このエッセイには、こんなことが書かれている。

The test isn’t whether you used AI. The test is whether AI could have done it without you. If you removed yourself entirely from the process, would the output be materially different? If not, you’re fungible.

重要なのは、AIを使ったかどうかではなく、AIがあなたなしで同じことをできたかどうかだ。もしあなたがプロセスから完全に身を引いたとしたら、結果は大きく変わるだろうか? そうでなければ、あなたは代替可能な存在だ。

自分の介在価値をどこにおくか。
人によってはそれを、インタビューに置くかもしれないし、そもそもその人にアポがとれるといった、コミュニケーションにおくかもしれない。構成の妙におくかもしれない。

私の場合、それは企画かなあと思う。
私がいなかったらそもそもスタートしなかったインタビュー、
私が存在しなければそもそも書かれることがなかった文章。

とはいえ、存在すればいいというわけでもない。
先ほどの文章に続く、この部分がブッ刺さった。

“Culture fails, or should fail, because it’s of poor quality, not what tools it was made on.”

「文化が失敗する、あるいは失敗するべき理由は、それが作られたツールではなく、その質が低いからだ」

ぐぬぬぬ。ぐぬ。

※「今日もコレカラ」は朝7時に更新です。バックナンバーが読めるようになりました。

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