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真実はいつもひとつ。か?【さとゆみの今日もコレカラ/012】

ダライ・ラマ 16 世に頭をなでなでしてもらったことがあるのが、ひそかな自慢だ。

テレビ制作会社で AD をしていた時、1時間の独占インタビューの機会があった。場所はインドのブッダガヤ。25 年前のことだ。

チベットでは高位の層に対してカターと呼ばれるマフラーのような白い布を差し出すのが慣わしだ。手を合わせて拝むと、僧は布を首にかけてくれる。ダライ・ラマ 16 世はその儀式を行いながら、撮影クルー、一人一人の頭をなでてくれた。

彼は、巨泉英語のような英語を話す。命の危険を感じて亡命した時のことも、一言ずつ区切るような話し方だったから私にもなんとか理解できた。

インタビューの最後に懐中時計を見せてくれた。チベットから逃げる時は何ひとつ持ち出せなかったけれど、スイスに修理に出していたこの懐中時計だけは、巡り巡って戻ってきたんだよ、と。

日本に帰国し、私たちは編集作業に入った。その制作会社には、代々ADに伝わるダライ・ラマ関係の映像スクリプトがある。過去に何度か特番を作っているので、撮りためられた映像がリスト化されているのだ。

中には NHK から借りることのできる映像リストもある。それを見ながらディレクターは「亡命するダライ・ラマが軍に追撃されている映像を借りてきて」と言った。数年前の特番でも使用した衝撃的な映像だ。

ところが NHK のアーカイブセンターに行くと、そのような映像は存在しないという。そんなはずはない。こちとら数年前にも貸出してもらっているのだと伝えるが、受付の人は困り顔で、検索してもヒットしないのですと言う。

当時、日本は中国と緊張関係にあった。以前とは事情が変わったのであろう。天下の公共放送局で、あるはずの映像がなくなる。都市伝説や陰謀論ではなく”ほんとうに”こういうこと、あるんだなあと思った。

体験で学習したことを人は忘れない。以来、真実は人の数だけあるのだ、と銘じている。あちらからとこちらから。見たものは同じでも違うものが見えるのだ。だから私たちは書く。自分ではない視点を獲得するために、書く。

近日 CORECOLOR に載せる、仲間の記事を準備中。国境なき医師団への取材記事だ。命の危険を知りながら紛争地に留まる彼らには何が見えているのか。伝えたい。

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