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カメラが捉える瞬間【さとゆみの今日もコレカラ/第 88 回】

カメラは被写体を写しているようで、実は撮る人自身を写し出している。このことを知ったのは、中学3年生のときだった。

ある男の人が、自宅を訪ねてきた。暑い夏の日だった。良い写真が撮れたのでお渡ししたいと彼は言った。カメラマンだった。

大きく引き伸ばされたその写真には、テニスコートでガッツポーズをする私と、後ろの応援席で飛び跳ねている部員や抱き合っている部員たちの姿が写っていた。一週間前、ソフトテニスの中体連北海道予選があったのだ。

その写真は予選2日目の個人戦のものだった。

前日の団体戦、私は決勝で大事な大将戦に負けた。北海道大会団体戦2連覇の夢は、部長の私が負けたせいで消えた。「夏休みが終わるまでテニスがしたいね」「全国大会で引退したいね」。そう誓い合っていた仲間に合わせる顔がなかった。全員が無言で私を責めているような気がした。その夜、生まれて初めて、一睡もできなかった。

次の日の個人戦。私は部員とどう接していいのかわからなかった。会場にくるまでの車の中では吐きそうなくらい具合が悪かったのに、いざコートに立ったら昨日よりも調子が良いことがかえってみんなを裏切っているようで申し訳なかった。

そんな気持ちが伝わったのだろうか。突然、副部長が全員を集めて円陣を組ませた。「団体戦は負けたけれど、個人戦だって団体競技だと思う。みんなの応援の力で、個人戦優勝を勝ち取ろう」。

泣くのは試合が終わってからだと、下を向いてぐっとこらえた。

一球入魂。使い古された言葉だけれど、この日は私の魂だけではなく、部員全員の魂がこめられていることを感じた。私のボールはきっと、重かったと思う。

その日、私は団体戦で負けた相手を決勝戦で破って優勝した。マッチポイントのボールが相手コートに鋭角に決まった瞬間、私の声よりも先に「ヤッター」という大きな声が聞こえた。後ろでみんなが抱き合って泣いているのがわかった。

その優勝の瞬間、写真のピントはコートの上の私ではなく、応援席の仲間に合わせられていた。ひとりひとりの涙の粒までが見えた。

カメラマンは言った。「あなたがどう闘ったのかではなく、”あなた方”がどう闘ったのかを撮りたかったのです」。彼は、副部長が話したミーティングを聞いていたのだという。だから、思わず応援席に焦点が合ったのだと。  納得がいくまでぶつかり合った仲間たちとの時間。同じ目標に向かって過ごしたその時間が紛れもなく存在したことを、彼のカメラが捉えてくれた。

私はカメラのシャッターが切られる音が好きだ。

その瞬間、ファインダーの向こうには何が見えたのだろうか。カメラを構えた人の想いは写真に写るだろうか。そしてその写真は、誰かにとっての真実を切り取るだろうか。

『カメラは、撮る人を写しているんだ。』

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【この記事をおすすめ】

今日の文章は今月末に発売になる『カメラは、撮る人を写しているんだ。』

(ワタナベ  アニ)を昨日予約したときに思い出した、昔の話。20 歳の時に書いた文章を引っ張り出してきました。『カメラは、撮る人を写しているんだ。』は、ダイヤモンド社・今野さんが担当する新作。

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「意図的に編集して残す文章と違って、写真の場合は写したものがそのまま残るので、あとからなぜ惹かれたのかを考える余地が生まれる。自分を見つめ直すという意味では文章と同じなんですけど、写真はもっと露骨に自分が写る

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