
まだ、全然間に合う【さとゆみの今日もコレカラ/第 91 回】
東日本大震災の取材をしていた時、各所を駆け回ってボランティアを取りまとめていた方からこんな話を聞いたことがある。
あの時、全国からボランティアが東北入りした。でも、あまりの被害の大きさに足がすくみ泣き出すボランティアもたくさんいたの。避難所には、家族を亡くした人もいる。そんな人たちとどう接すれば良いかわからないと、何もできずに帰っていく人が何人もいた、と。
そんな状況で、被災した人にそっと寄り添い肩に手を置き、話を聞いてあげることができるのは、たいてい美容師さんだったよ。あの人たちはすごいねと、彼は言った。きっと普段からお客様の悲しみや苦しみに寄り添っているんだろうね、と。
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6年前、岩手県の一ノ関で美容師さん向けの講演をしたことがある。その講演の前日、私はお世話になったという言葉では言い尽くせないほどお世話になった編集さんの訃報を聞いた。乳がんだった。私より年下だった。
「ヘアライターという言葉を、全国区にしましょう」「うちの雑誌をあげて、増田ゆみ(私の以前のペンネームだ)の名前を売ります」そう言ってくださった方だった。
「この子のためにも、少しでも長く生きたいです」と、まだ幼い目のくりっとした息子さんとの写真を送ってくださったのがその1年半前。もうすぐ髪が抜けるクールですと書かれていたので、すぐに医療用ウィッグのヘアカタログをお送りした。
新薬が劇的にきいて、職場復帰したときいて、安心していた。訃報を聞いてから、ものがつかめないくらいずっと手が震えていた。
またいつでも会えると思ってた。また一緒に仕事しましょうよとお誘いくださったときも、いまはちょっと書籍を優先したいので、って、私、なんで恩人の仕事を断ったりしたんだろう。いろんなことがぐるぐる頭をめぐった。もう会えなくなるなんて思ってもいなかったんだ。いつからだってやり直せるって思ってた。
朦朧とした意識で準備をしたせいか、一ノ関に入ったとき、スーツケースの中に、着替えもメイク道具もコンタクトレンズも飲み忘れたらやばい薬も入ってなかった。 コンビニでメイク道具を買い、なんとか会場まで辿り着いた。
主催者の方にお会いしたとき、「今夜、とてもお世話になった方のお通夜があるんです。懇親会はキャンセルできますか?」と伝えた。だけど、「本当に本当に、ごめんなさい。でももし、可能だったら、予定通り懇親会に出ていただけないでしょうか。一ノ関のみんな、本当に楽しみにしているんです」と言われた。たしかに、と思った。お通夜にいったからといって、彼女に会えるわけではない。
その日、会場は、パンパンだった。岩手県の一ノ関に、しかも平日のお昼に 200 人もの人を集めてくださること、どれだけ大変なことだっただろう。2台のバスをチャーターして、釜石から3時間かけてきてくれた人たちもいた。
「被災地の美容師さんたちに、どうしてもゆみさんの話を聞いて欲しくて」。主催者の人にそう言われた。
私がここにいるのも、まわりまわって「ヘアライターという職業を全国区のものにしましょうよ」と言ってくれた彼女のおかげでもある。
スケジュールの都合をつけるのだとしたら、もっとはやく(彼女が職場復帰 して仕事に誘ってくれたときに)どんな無理をしても都合つけるべきだったんだ。
今日、どんなに急いで東京に戻っても、もう間に合わないんだ。もうすでに、全然遅刻してる。半年くらい遅刻してるんだ。間に合ってないんだ。そんな ことを思った。
懇親会にきてくださった美容師さんたちは、一番若くても 10 歳年上。私の母親よりも年上の方も何人もいらした。全員現役の美容師さんだった。
この間、自分へのご褒美で、はじめて5連休をとって MINX の岡村さんのカット講習を受けにいったんですよと、おっしゃった美容師さんがいた。5日も店を閉めていくのは怖かったけれどね、朝の9時から夜の9時まで、あんなカットに向き合ったのは初めてで、本当に楽しかったのよ、と言う。彼女はもうすぐ還暦の美容師さんだった。
ある女性の美容師さんは、主催者の男性を指さしてこういう。「はやく美容師をやめて、船乗りになりたいってばかり言っている彼が、仙台でさとゆみさんの講演を聞いてきてね、『さとゆみを岩手に呼ばないといけない。とにかく岩手に呼ぶ必要がある』って言うのよ。どうしても 100 人以上集めたいっていうから、私その場で専門学校行ってきた。授業のカリキュラムを変えて、この講演聞きにきてくださいって先生に直談判しにいったの」。そう言ってくださった方は、かつて美容専門学校で先生をされていた方。今年、古希を迎えるという。
彼女が呼んでくださった美容学生たちは、ずっとメモをとりながら熱心に聞いてくれた。お小遣い、いくらなんだろう。帰りぎわ、何人もの生徒さんが本を買っていってくれた。「いい美容師になります」って、言ってくれた。ピカピカの笑顔だった。
夜も更けてきたころ、私を岩手に呼んでくれた主催者の美容師さんが、以前ゆみさんに話をしたお客様、この間亡くなったよと教えてくれた。その話を皮切りに、いろんな美容師さんが、自分とお客様との別れ、家族との死別、それから震災で失った人たちの話をしてくれた。
いろんな人生がある。いろんな運命がある。だからゆみさんも、毎日、いっぱいに生きればいいんよ。そう言われて、もう、信じられないくらいぼろぼろ泣いた。子どもみたいにえーん、えーんと声を出して泣いた。泣いている間ずっと、右の手を美容師さんが握ってくれ、左の席の美容師さんは私の膝の上に手を置いてくれていた。
美容師さんたちと会っているとき、私はいつも、癒されるような、救われるような気持ちになる。それは、彼らがもう、まぎれもない「人対人」の仕事をしてきてらして、嘘もごまかしもない世界で生きてきて、まっすぐに人と向き合ってきて、美容師さんの前だと、私、すごく真摯な気持ちになる。子どもみたいに、まっさらな気持ちになる。かっこつけなくていいし、かっこ悪くていい し、背伸びしなくていいし、嘘も方便もいえなくなる。
と、同時に、美容師さんの仕事が、まぎれもない地に足がついた「実業」だとしたら、私のやってる仕事って、なんて「虚業」だろうと思う時もある。
ほんのちょっと文字を入れ替えるだけで、読みやすくなったり、泣けるようになったり、思ってもいなかったりする結論に誘導できたりするのも、文章だ。
ものすごくものすごく注意して自分自身を監視していないと、ライター業は、「土地転がし」ならぬ、「文字転がし業」になる。ころころころころ文字を転がして「感動しました」って言われる文章を書くことなんて、プロのライターなら誰でもできる。
私が、文章に対して、細心の注意を払って、最大の敬意を払って接しているのは、全部、美容師さんたちから教わった「生き方」だと思ってる。
その日、いろんな話を聞いた。父母と同世代の、それだけ長い時間お客様と接してきた美容師さんたちの話に、ずっと耳を傾けていた。
ここに導いてくれたのも、亡くなった彼女だ、と思う。
ひとこと、彼女にお礼を言いたいと思った。
それで、思い出す。ああそうか。もうお礼も言えないんだ。
もうお礼も言えないんだなあ、と思った。
*
2024 年 1 月 29 日。昨日、その時の皆さんに再び呼んでいただき、岩手県の美容組合で新春懇親会の基調講演をさせていただいた。花巻の温泉宿に 100 名に近い組合員が集まった。平均年齢は 65 歳くらいかな、と理事の方が言う。客席には、お着物を召している方も多く、華やかだ。一ノ関でお会いした顔も見える。
講演の後の新年会にも参加させてもらった。コロナがあったから、この規模で開催するのは 4 年ぶりだと言う。美容師の皆さんたちが次々とみんなが壇上に上がり、日舞や、弾き語りや、ダンスを披露する。余興のレベルをはるかに超えている。
スパンコールのミニスカートにピンヒールで踊る真っ赤な髪の女性は、71歳だった。着物姿で妖艶なお芝居を披露してくれたご夫婦は双方 80 歳を超えていると聞いてのけぞった。自分がまだ、お尻に卵の殻をつけたままのヒヨコに思えてくる。
途中、みんなが席を立って踊り出した。今回も私を岩手に呼んでくれた美容師さんに誘われ、私は人生初のジルバを踊った。踊ったことないですと言ったのだけれど「ゆみさんは何もしなくていい」と言われて彼の手でくるくると回らされ、こんな楽しいことってある? と、私はずっと笑っていた。私の手を取ってくれたその彼も、73 歳だ。最後は大船渡の人たちが先頭になり、大船渡の結婚式では必ず最後にみんなで踊ると言うさくら踊りを全員で踊ってお開きとなった。
みんな、若い、すごい。私が息を整えながら感想を伝えると、彼は「ゆみさん、これが岩手の美容師なのよ。みんな、このエネルギーでお客さんを元気にしてるんだよ」と言う。
ああ、本当に本当の「実業」なのだなあと思う。70 歳になっても 80 歳になっても現役の美容師さんたちが、生身の体を使って地域の人たちを美しくしている。すごい仕事だね、と私が言うと、「でも、引退しようとしていた彼を、本一冊で引き留めた、さとゆみさんだってすごいじゃない」と、別の美容師さんが言う。
たくさんの美容師さんと、ハグして握手して、別れた。いま、自分の右手には、美容師のみなさんからもらったエネルギーがつまっているように感じる。
60 歳、70 歳、80 歳。私はあんなふうになれるかな。真面目に楽しくいっぱいに生きていこう。これからの人生のことは、まだ全然、間に合う。
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