検索
SHARE

本を閉じたとき、心に浮かんだのは母。あなたがいちばん会いたい人は? 『月の満ち欠け』

幼い頃、よく見る夢があった。

私はマンションの裏庭のようなところに立ち、2階のベランダに向かって「おかあさーん!」と母を呼ぶ。母が2階のベランダから顔を出す。「よかった、お母さん、いた」と私は思う。

ところが、母の顔を見て安心したとたん、マンションがなんと、ニョキニョキと上の方へのびていってしまうのだ。ジャックと豆の木のツルみたいに。そして2階にいたはずの母は、どんどん上に向かって伸びるマンションと一緒に、高い高いところへ行って、やがて見えなくなってしまう。

それが正夢だった、とわかったのは10才の冬だった。

母は、私が8才、妹が5才のときに乳がんとわかり入院した。手術してみるとすでに大変な状況だったようで、母のがんは体中に次々と転移し、最終的にはリンパに転移したのだそうだ。スキルス、というがんだったらしい。入退院を繰り返し、母の体は手術の傷あとだらけになっていた。

最後のほうは面会をさせてもらえなかった。母はモルヒネで意識が混濁している状態だからだと聞いた。覚えているのは、薬の影響で髪の毛がほとんど抜け落ち、腕も指も足も、パンパンにむくんでいる母。私が知っている母の姿ではなかった。

だけど、ずっと会いたかった母に、会えてうれしかった。母は、うっすらと、私だとわかったようだった。かすかな声で、私の名を呼んだ気がした。

それが、生きている母との最後の記憶。

2年の闘病ののちに母は他界した。小さいときによく見ていたあの夢が本当になってしまった、と思った。母はもう、二度と会うことができない、高い高いところに行ってしまった。

母の死後は祖父母が私たち姉妹を育ててくれた。父や祖父母には母のことを聞けない雰囲気で、勇気を出して聞いてみても取り合ってもらえなかった。それで私は、母についての感情や思い出を、心の深いところの箱に入れてしまいこんだ。だれにも見つからないように、開けられないように。

それでも、ときどき、母に夢で会うことがあった。

あるときの夢では、母は死んだと見せかけて実は遠い所で生きていて「あんたたちの世話がやんなっちゃってさ」とやさぐれていた。私のことが嫌いでも、生きていてくれたならよかった、と思った。

あるときは、ただ静かに、にこにこと笑っていた。呼びかけても何も返事はない。だけどそこにいてくれたのならよかった、と思った。

母の30回忌を過ぎ、自分が母の享年42を過ぎても、まだ母を思い出す。でも「母に会いたい」などとだれかに打ち明けたことはない。望んではいけないような気がしていた。けれど、私がずっと心の奥底にしまい込んでいた箱のふたを開けたのは、佐藤正午『月の満ち欠け』だった。

物語には2組のカップルが登場する。1組は、許されざる恋に落ちた三角と瑠璃。瑠璃は「あたしは、月のように死んで、生まれ変わる。そしてあなたの前に現れる」、と言ったその言葉どおり、何度も何度も三角を探し続けた。三角は「どこにまぎれていても、瑠璃さんの生まれ変わりだとわかる」と信じ、瑠璃を何年も何年も待ち続けた。

もう1組は大学時代に恋人となり結婚した小山内と梢。幸せだったはずの2人だが、小山内は交通事故で梢と娘を失ってしまう。けれど、ある奇跡のようなできごとによって、ぽっかりとあいた彼の心に、希望の光が差しはじめる。

『月の満ち欠け』は、この2組のカップルの物語がある奇跡によって交錯する、壮大なラブストーリーだ。でも、私は正直言って奇跡や生まれ変わりやファンタジーは好みではない。純愛や真実の愛、などもあまり信じない。“奇跡”や“純愛”より私の心に響いたのは、登場人物の三角と瑠璃、小山内と梢の、大切な人を大切に思う気持ちが、物語の序盤からクライマックスに至るまで、丁寧に描かれている所だと思う。

瑠璃と三角が互いを求め続ける強い思い、小山内と梢が口に出さずとも互いを大切に思うあたたかさと真摯(しんし)さ。折り紙の角と角をきちんとそろえて折り鶴を折るように、「大切な人に会いたい」、その思いが、ページをめくるごとに重ねられている気がする。

本を閉じたとき、私がいちばん会いたい人は? と考えた。心に現れたのは母だった。私は母にまた会いたいと思っていたのだった。生まれ変わりは信じないけれど、「母に会いたい気持ち」を、この物語に出会って初めて肯定できた気がした。かなわなくても、望んだっていい。思い出の箱にふたをしなくてもいいのだ。

もしまた夢で母に会ったら、伝えられるだろうか。「ずっと会いたかったよ」と。

文/早川 奈緒子

writer