
呼吸の深さと文章【さとゆみの今日もコレカラ/第 150 回】
先日、初めてボイストレーニングを受けた。
学生時代に演劇をかじっていたので、これまで大きな声を通すことにはあまり不便を感じていなかったのだけど、近年、話し続けると喉が辛い。声が枯れる。
そのことをプロのミュージシャンの方に相談したら、、さとゆみさんの声の出し方は声帯に負担をかける話し方だと言われ、ボイトレをしてもらうことにした。
ボイトレでは、呼吸の深さ、長さ、そしてその呼吸をどう効率的に使って発声するかを教わるのだが、講師の方がのけぞってしまうくらい、私は肺活量がなかった。いわく 80 代くらいの肺活量だという。
姿勢を見てもらうと、呼吸しても横隔膜がほぼ動いていない。だから息継ぎが早い。持病のせいで肺が変形していることも理由だが、それにしても、肺に空気が入っていない。どおりで四六時中息が苦しかったはずだ。
試しに歌った「シャボン玉飛んだ〜♪」というワンフレーズすら、最後まで呼吸が持たない。ボイトレ云々の前に、人間の健康状態として問題だと、先生に指摘された。
それで、合点がいったことがある。
私の文章は、人と比べてだいぶ句読点が多い。
人は文章を音読する時だけではなく、黙読するときも、無意識のうちに句読点で息継ぎをしている。だから、一文が長すぎると(読みにくくなったり日本語がねじれたりするだけでなく)読者の呼吸が苦しくなるというのが私の持論だ。
それはそれで、今もそう思っているのだけれど、私自身の呼吸が浅いから、句読点を早めに打ちたくなるのだと気づいた。
『女は、髪と、生きていく』
『髪のこと、これで、ぜんぶ。』
この2冊は、私の自著のタイトルだが、この読点の打ち方が、非常に私っぽいといろんな人にいわれた。私の文章に息継ぎの読点が多いことがバレているからだろう。
また、一度でも私と話をしたことがある方や、ポッドキャストを聞いてくださった方には、「さとゆみさんの本を読むと、さとゆみさんの声で脳内再生される」と言われる。おそらく実際の私の発声における息継ぎの多さと、私の文章がマッチしているのだろう。
一説によると、人間が一生でできる呼吸の数は決まっているのだとか。そうなると、呼吸が浅く、息継ぎが多い私は、早死にすることになる。
目下、空気をちゃんと肺に入れる練習をしている。これにて呼吸が深くなった暁には、私の文章の句読点の位置が変わるのかどうか。とても楽しみである。


