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頼られプレゼント【さとゆみの今日もコレカラ/第 184 回】

CORECOLOR のインタビュー原稿やレビューは、私以外に毎回2人のメンバーが誤字脱字、固有名詞などのチェックをしてくれている。

これは持ち回りのボランティアで、その時々のタイミングで都合がつく人がチェックを手伝ってくれる。

もともとはメンバーの誰かが、「原稿を全てをさとゆみさんがチェックするのは大変じゃないですか?」と声をかけてくれて始まったシステムだ。私が見落としていた視点で原稿に指摘をしてくれるケースも多く、この仕組みがなければ CORECOLOR は運用できていない。

この役割はグループ内でチェックボラと呼ばれているのだけれど、面白いのは、かなりの確率でボラさんのほうから「今回は(ボラをさせてもらって)ありがとうございました」と言われることだ。

普通に考えると、お礼を言うべきはチェックしてもらっているほうで、書き手や編集者である私がありがとうを言う立場のはずだ(それはもちろん言う)。だから、チェックしてくれている人が「ありがとう」と言うのは一見不思議な現象なのだけれど、そう言いたくなる気持ちはなんとなくわかる気がする。人の役に立てたという実感は、その人自身も幸せにするのだと思う。プレゼントは、もらうのも嬉しいけれど、渡す方だって同じくらい嬉しいものだ。

過去に『こんな夜更けにバナナかよ』の作者の渡辺一史さんにインタビューさせてもらったことがある。

この作品は、進行性筋ジストロフィーを抱えながら家で生活したい鹿野さんと、ボランティアメンバーのノンフィクションだ。作者の渡辺さん自身がこのボランティアの一員で、長年鹿野さんを支えてきた。

しかし渡辺さんは、「はたから見ると僕たちが鹿野さんを支えているように見えるけれど、実は支えられているのはボランティアメンバーのほうだったもいえる」と話してくれた。鹿野さんの、時には無茶とも言える欲求にこたえることは、自分の存在価値を強く感じる機会だったと言うのだ。

人に迷惑をかけるなと言われて育ってきた。手を貸して欲しいときにも、なるべく自分でなんとかしようとしてきた。私だけではなく、そういう人は多いのではないだろうか。

でも思い切って、手を貸してほしいと言葉にしたとき、「頼ってくれて嬉しかった」とか「お役に立てて嬉しかった」と言われることは意外と多い。

そうだよ、自分を振り返ってもそうじゃないか。人から頼られたり相談されたりするときに、迷惑だなんて思うことはない。むしろ頼られると自分が肯定されるようで、こちらこそ私を思い出してくれてありがとうと言いたくなる。私を役立たせてくれて嬉しいと言いたくなる。

私が誰かに支えられることは、多分同時に、その相手を支えているのだと思う。

あなたが誰かに支えられることも、多分同時に、その相手を支えているのだと思う。

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ボランティアの人たちもそうで、鹿野さんを支える一方で、鹿野さんに支えられてもいる。鹿野さんは自らの体を使って、介助の仕方や、人工呼吸器の痰の吸引の仕方などを教えるんだけど、教わったボランティアが、「今日はありがとうございました」と言って、鹿野さんに頭を下げて帰っていくのを見て、頭がねじれるような思いをするとかね。

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