
心を閉じる。好きを減らす。【さとゆみの今日もコレカラ/第288回】
昨夜のアレ。
りり子さんのトークイベント。アレは何の話だったか。梅田のイベント会場から帰る道すがら、ずっと考えていた。

りり子さんは、『三行で撃つ』や『ヤクザときどきピアノ』などの担当編集者。私は『書く仕事がしたい』と『本を出したい』でご一緒させてもらっている。
話は各方向にふくらんだけれど、私にとってアレは、感度の話だった気がする。
自分の感覚を研ぎ澄ませる話であり、それを信じて生きる話であり、その鍵を握っているのが「好き」ではなくむしろ「嫌い」や「違和感」だという話。
トークの間に、りり子さんは「そういうの嫌いやし」と「嫌いなことはできないし」と25回くらい言っていた。私はりり子さんのことが大好きなのだけど、彼女のこの「嫌い」を好きで、信頼しているんだと思った。
先日りり子さんは、こんなポストをしている。
この仕事をしていると、「何事にも好奇心を持て」「好きになる才能」といったことが言われ続けるが、じつはずっと、むしろ逆だと思ってきた。 心を開くのではなく、閉じる。強烈に好きなもの、惹かれるものは限定的であるほど、その輝きが増す。そちらのほうがおもしろいものができるような気がする。
昨夜の話は、このポストのアンサーソングのようだった。
イベントから帰ってきて、倒れるように寝て、目が覚めたら体の表面を覆っていた薄皮が一枚ぺろぺろと剥がれていた。
私もたいがい、自分の感覚にしか従わない人間なのだけれど、でもまだまだ皮膚が厚い。そのぶん感度が鈍い。もっともっとヒリヒリとしたほうがいいし、くらったほうがいい。
来し方を反省しながら早朝、清水さんに向かう道を走っていたら、大谷宗廟についた。見渡す一面、墓、である。墓が点にしか見えないほどに墓だらけだ。
夜景を見ると、「この明かりのひとつひとつに人が生きている」と思うのだけど、墓で埋め尽くされた土地を見ていると「この墓ひとつひとつで人が ”死んでいる” 」と思う。
死んだまま、完全に安定している。
そんな安定の人生がすぐそこに待っているのに、なに、いま、うまく安定しようとしているのだ。
傷つくこともあまりないけれど、嬉しいこともうすらぼんやりしているような、そんな人生、いるか?私はいらん、みたいなことを考えながら、よし、いろんなものを捨てようとギアを上げて宿に戻ってきた。
東京に帰ろう。
生身で生まれて、少しずつ皮膚が厚くなってきた。
ここからは、一枚一枚、皮をめくって、生身になって死んでいくのだ。
✳︎「今日もコレカラ」は毎朝7時に更新し、24時間で消滅します。今日もこれから良い一日を。


