
そんなに簡単にわからないしわからなくていいし【さとゆみの今日もコレカラ/第378回】
誰かに何かを質問された時。
なんとか答えようとするのも誠実だけれど、わからないと答えるのもまた誠実だと私は思う。
みんなで話をしている時に、いっぱい相槌をうつのも優しさだけれど、安易に相槌をうたないのもやはり優しさだと思う。
10代の頃のノートに、当時考えた小説のプロットがあって、それにはこんなあらすじが書かれていた。
夫と子どもを事故で亡くした女性がいる。彼女のもとに、週刊誌の記者が訪れた。
それまで彼女は、すべての取材を断ってきた。しかし、インターホンごしに「僕にも同い年の子どもがいるので、あなたの気持ちがよくわかります」と言われ、その男だけは家にあげることにした。
取材を重ねるうちに、二人は親密な関係になる。実は、彼女には、計画があった。「あなたの気持ちがわかります」といった男に、「ほんとうに」自分と同じ気持ちを味わってもらおうと思ったのだ。
記者と親しくなった彼女は、男の妻と子どもを葬ろうとする……。
非常に暗い。暗いし、当時の私は、「あなたの気持ちがわかります」と言う人を、小説の中で消したいと思うくらいに憎んでいたみたいだ。
そんなに簡単に、わかられてたまるものか、と思っていたのだと思う。
今は心も身体もだいぶまあるくなって、そこまで極端なことは思っていないけれど、「わかるー!」という言葉を慎重に使う人が好きだったり、人より相槌を打つ回数がだいぶ少なかったりする。
人は人のことをそんなに簡単にわかったりできないし、そもそもわからないと困ることもない。わからないまま相手を好きになることはできるし、理解と共感は違う。そんなに簡単にわかり合えないという前提でいると、ときどきふっとわかる瞬間に感動する。
というようなことを、ここ数日、ずっと考えている。
今度、インタビュー取材で大事にしていることについて話をするのだけれど、わたしのインタビュー取材は、この前提に立脚していると思う。
この話は続きます。
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