「誰かのために」と思わなくても【今日もコレカラ/第964回】
編集者のりり子さんと、今月スタートする「書く人のための読書会」の打ち合わせ。
オンラインでの読書会でどんなふうに楽しんでもらうか、事前に準備できること、当日ライブでやることなどを話し合った。
ひとしきり打ち合わせが終わった後に話題になったのが、Xでのやりとりのこと。
(りり子)
AIはもっとファクトなどもしっかりしてくると、自力で書くことにこだわる意味は、そうするのが「自分が楽しい」から、みたいなとこに落ち着くだろうな。私は趣味で絵を描き、三味線を弾くけど、それをマシンに代わってもらおうとは思わないだろう、みたいな話。
(さとゆみ)
まさにこれ。
あと私は、自分で書くと「思考ができる」ことに価値を感じている。
思考の旅をする感じ。
だから、AIに書かせないのは、AIに代わりに旅行に行ってもらわないのと同じ。
(りり子)
考えるのもそうやね。自力で書くことは、誰かのためにというより「自分のために」という利己的な動機に近づいていく気がするねんな。
AIが日常的に使われるようになってからずっと考えていることがこれ。
AIを使わず自力で書くことの動機は、「書きたいから」だけになっていくだろうと思っている。
そして、それは、AIがあろうがなかろうが、私にとってはもともとそうだったのだ。
そもそも、ライターになった動機が、「書きたかったから」である。
誰かのために書きたかったわけではなく、誰かの役に立ちたくて書きたかったわけではなく、自分が書きたかったからライターになったのだ。
実際に書き始めたらとても楽しくて、あまつさえ、お金までもらえる仕事だったから、四半世紀もこの仕事を続けてきたのだ。
それをなぜ、AIに譲る必要があろうか。
みたいな話をした。
そして、
どうして「誰かの役に立つ必要があるか」
なんとか「自分が面白くて自分のためにやるのだけれど、それがうっかり人のためにもなってお金にもなるようにできないか」
みたいな話題にもなったのだけれど、その話はまた今度。
たとえば
プロ野球選手は野球をすることでお金をもらっているけれど、
多分彼らは、人のためよりも先に自分のためにプレイしているし
代わってあげるよとAIに言われても自分の手足でプレイし続けるだろう。
それと同じ感じで、書いて、生きて、いけないかなと思っている。

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