
愛せるとは限らない【今日もコレカラ/第681回】
大人になって、「思ってたんと違った」と感じることはいっぱいある。
100人中100人が同意してくれると思うのが、歳をとったからといって、賢くなるわけじゃないこと。大人がなんでも知っているわけじゃないこと。四十にして惑わずとか、ありえないこと。
昔、おっちゃん、おばちゃんだと思った年齢に自分がなっても、なんら中身は変わってないということ。思ってたんと違った。
あと、結構びっくりしたのは、50代にも60代にも70代にも恋愛があるということ。
こんなの、間近で観察するようになるまで、マジで想像もしてなかった。
昔は、そういうことを知らしめてくれる小説やドラマや映画も、いまほど多くなかったと思う。
作り手も多分若かったからだと思う。
最近、思ったんと違ったと気づいたのは「自分の子どもだからといって、愛せるとは限らないこと」だ。
「親だからといって、愛せるとは限らない」は、だいぶ市民権を得たと思う。親ガチャとか、毒親という言葉が市民権を得て、それを言い出しやすい空気が生まれたなあと感じる。
言葉が与えられると、感情は行き場を持ちやすい。
親ガチャや毒親に代表される「親だからといって、愛せるとは限らない(愛せなくてもよい)」に救われた人もいるだろうし、傷ついた人もいるだろう。
一方、「自分の子どもだからといって、愛せるとは限らない」も、最近ずいぶん発露されるようになってきたなと思う。
とはいえ、「自分の子どもを、どうしても好きになれない」は、「自分の親を、どうしても好きになれない」よりは、断然言いにくい空気がある。
でも、実際問題、ここにも「思ってたんと違った」はいろいろあるだろう。
子が6人、7人、8人といた頃は、「まあ、相性の良い子と悪い子がいるよなあ」とのんびり受け入れられたのだろうか。
母数の少なさは、「この組み合わせをなんとかせねばならぬ」につながるような気がする。
自分に授かった子を、相性はわからないけれど、「とっても面白い子だなあ」「大好きだなあ」と思えるのは僥倖なのかもと感じるし、でもこれが死ぬまで続くとは限らないよなあとも思うし、どんぶらこっこ。
完結までに30年以上、全3000ページ超、にわたる家族の物語を読み終え、大波に放り出されたような感じになっている。
バーフバリみたいだった!
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