
今はこちらにいるけれど【今日もコレカラ/第691回】
昨日は、早稲田大学の社会人向け講座で登壇させていただいた。
実はこの講座、昨年は自分が講座生として受講していたもので、「来年はぜひ講師できてください」と言っていただいたものだった。
先日、私の師匠にあたるブックライター上阪徹さんと1日集中講座をご一緒させていただいたときも、「前は私、受講生のほうだったのだよなあ」と思ったし、宣伝会議さんで講師をさせてもらうようになったときも、7年前には私、受講生の席にいたんだよなあ、と不思議な感じがした。
不思議な感じはしたのだけれど、そういえば昨年早稲田大学の講義を受けたときは「私が講師だったら、こんな話をする」と思いながらメモをとっていたし、宣伝会議のときも「いつか、講師に呼ばれるくらいになりたいな」と思って、みんなが帰ったあとの教室で、こっそり演台に立ってみたりしていた。
もっと古い記憶を遡ると、小学時代も、「私だったら、こうやって教える」と思いながら、先生の話を聞いていた。話がつまらない先生の授業は改善案をメモしながら授業を受けていたりした。
その後、某大手塾の小学生の探求学習の教育指導案を書くことになったときは、その時の「私だったら、絶対もっと面白く授業できるのに」と思った気持ちをぶつけていた。
そういう気持ちで受講していると、いつか実際にその場に立つことができるようになるのかもしれない。
先週の金曜日、朝の報道番組に出演したとき、現場の写真を撮ってくれる人がいたらありがたいなと思ったので、誰か同行してもらえないかと、さとゆみゼミで募集した。複数の人が応募してくれたので、webのあみだくじで決めた(さとゆみゼミはなんでもかんでもあみだで決めます)。
あみだを引き当てて現場にきてくれた人は「いつか出演したい番組なんです」と言っていた。
そういう気持ちは声に出すのが大事だと思う。そして、そういう目線でその場にいる人は、多分いつかそうなると思う。
今はこちらにいるけれど、来年はあちらにいるかもしれない。
そう思いながら過ごすのって大事だなと思う。
「何年か後には、きっとそうなっているよ」というと、彼女は頑張ります! と言って帰っていった。
なってるよ、きっと。
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今作ったものが、いきなり花を咲かせるわけじゃない。種かもしれない。どうして種を見て焦ったり泣いたりしているんだろうって。焦るくらいなら、作ろう。ただ、ひたすらに作ろうと思いました。


