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目立つこともなく。主張することもない。ただ生きるように描く。絵描き・松岡亮さんインタビュー

2015年7月14日。北海道でのライブペイントを終えて東京に戻ってきた松岡亮氏は、まだ開店直後の無印良品有楽町ATELIER MUJIの真っ白い空間にいた。今日からここで、『あそびとまなびの種』展が始まる。松岡氏は、ここ、ATELIER MUJIを大きなキャンバスに見立てて、絵を描く。

手にコンテを持った松岡氏が、ふっと一瞬下を向いた。一拍後、顔があがり右手が動いたとおもったら、次の瞬間、壁一面に絵が広がっていた。白い箱でしかなかったアトリエは、一瞬にして松岡氏の遊びの舞台に変わっていった。

今回のインタビューは、この無印良品でのイベントに先駆け行われたもので、イベントの会期前半戦が終了したところで公開するものである。世界各国からオファーされ、呼ばれた場所におもむき街の空気を描き出す松岡氏。「呼吸をするように描く」「遊ぶように描く」と評される異色の絵描き松岡氏の、地図のない人生について聞く。

真剣に遊んでいたら、一緒に遊んでくれる友達が世界じゅうにできた

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___職業として、絵を描いて生きていこうと決めたのはいつぐらいからですか?

松岡 20代前半です。父親が絵を描き、母親が服を作っていた環境で育ったので、小さなころから絵は身近なものでした。でも高校までは美術部でもなくて、ラグビーに明け暮れていたんです。東京選抜にも選ばれそうだったので、自分はラグビーで進学するんだろうなと思って勉強をぶん投げちゃっていました(笑)。

ただ、高校の美術の先生が変わった人で、いつも僕のために美術室を開けていてくれたんですよね。だから午前中はろくに授業にも出ず、美術室で絵をずっと描いていました。美術室とグランドとの往復。それが高校時代です。

結果的に大学に行かずラグビーを辞めたのは、セレクションにまつわる政治的なやりとりを目の当たりにしたから。それまでグランドの上では頑張ること、速いこと、強いこと、美しいことがシンプルに評価されてきたのに、それとは違うものさしでいろんなことが決まるのを見て、「あ、ここは違う。自分がいる場所ではない」と思ったんです。

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___では、高校卒業後は?

松岡 親には「芸術大学に行け」と言われました。でも「いやいや、僕が子どもの頃からあなたたちに教わってきたことは、『絵を描くことは、大学に行って学ぶ事ではなく、生きることから生まれる大切な遊び』ということだったよね。僕に芸術大学に行けというのは矛盾してるでしょ」と思ったんです。

今思えば「同じ志を持つ人と出会いなさい」という意味だったと思うのですが、当時は理解できなくて。それでお金をためて家を出て、一人で海外に行っちゃったんです。はじめはアメリカで、次はヨーロッパ。南米にも行きました。

___そこではどんな生活をされていたんですか?

松岡 もうただただ、その場所に住むというだけですね。NYだったらジャズを聴きに行ってお酒を飲んで、安ホテルで飯を食いながら、ぼーっとして。人と話して、またお酒を飲んで、そして描いて。 帰国したあと、そんなふうに海外で描いていた絵日記を友達に見せたんです。でも、10人、20人に会って絵日記を見せるのが大変になってきたので、それを展示してくれる場所を見つけて絵を貼ってもらったんですよ。

そうしたら、「この絵をCDジャケットにしたい」「Tシャツにしたい」といってくれる人があらわれて、「じゃあ、酒代で1万円でいいよ」と。 そのうち、そのお金が1万円ではなく10万円になり、そのお金でまた旅に行って描き、「うちの店に来て大きな絵を描いていいよ」と言ってくれる人があらわれ、そこに来てくれる人が100人、300人になり……。

その中にヨウジヤマモトのパタンナーの方がいて、ヨウジさんの目に触れる所に繋げてくださって、パリコレで発表する服の絵を描いてほしいと言われたんです。

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___まさに絵に描いたようなサクセスストーリーですね。

松岡 でも、そのヨウジさんのお話は、最初はお断りさせていただいたんです。「いや、僕、『こういう感じで描いてほしい』と言われても描けないかもしれないです。描くときはゼロになって、ポーンってはじけるように描くから。もし『こういう絵が欲しい』という希望があるなら、他の人がいいと思います」って。

そうしたら、打ち合わせの後に1人のパタンナーの方が「好きに描いてくれていいから」と言ってくださったんです。なので、好きに描かせてもらいました。本当はその中から1点選ばれる予定だったらしいのですが、その絵のほとんどをヨウジさんが選んでくれたんです。

___それは……すごいですね。では、オファーがあって描くことはないんですか?

松岡 あまりないですね。例えば「りんごを描いてください」と言われたら、りんごを食べてみて何も考えずに絵を描いて、「これをりんごだと思ったら、りんごとして使ってください」というようないい加減な感じです。

生意気かもしれませんが、相手の方とそういう話し合いをしながら、それでもそれを美しいと思って僕と一緒に遊んでくれる人であれば、僕は嘘をつかずに本気で描きます。 でも、本当にりんごの絵が欲しいなら、紹介できる人はいっぱいいるから、と。

___では「何かの目的のために描く」のではなく、描くことが生活の一部で、それを周りに人たちが仕事にしていってくれた感じなんですね。

松岡 そうです。広がりや規模は変わりましたが、根っこは変わらないです。僕は描く。真剣に遊びながら描く。その遊び相手が香港やパリや日本に少しずつ増えて「亮さん、今度こんな感じで遊ばない?」と言われて「わかった。じゃあ、遊ぼう。僕は絵を描くよ」という感じです。

___アーティストにとってこの上ない生き方ですね。でも、一方でその生き方を貫くために、他の人では断らなさそうなヨウジさんのお話でも、最初に「多分ムリだと思う」ということを正直に伝えられているんですよね。

松岡 僕がやることで迷惑をかけるのは申し訳ないし、そのオファーなら、僕がやるよりももっと上手にできる人はいると思うから。

ただ、もし僕でやると言ってくださるなら、信用してくださいと言います。あなたが思っているとおりのものは生まれないかもしれないけれど、絶対にその空間に必要なものは生み出してくるからと。

今はあなたの番じゃないだけ。だけど準備してなければ順番は来ない

___松岡さんのお話からは、「俺の絵を見て欲しい」というような自己顕示欲が全く感じられないのですが、「認められたい」とか「上手いと言われたい」というような気持ちは昔からずっとなかったのでしょうか。

松岡 10代後半の頃はありました。雑誌の表紙やギャラリーの展示に知り合いの絵を見つけて「どうして俺はここに呼ばれないんだろう?」と思うことはありましたね。

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___そう思わなくなったのは、なにかきっかけがあったのですか?

松岡 1枚1枚、自分の絵と向き合いました。そのとき「そっか。時間軸が違うんだ」って気付かされることがあったのです。今やっていることの答えが出るのは1分後かもしれないけど、100年後かもしれないって。
今描いた絵は、今すぐ答えが出るものじゃないとわかったとき、何を焦ってるんだろうって思ったんです。
それを強く感じたのが、保育園の先生と再会したときでした。

___そのお話、ぜひ伺いたいです。

松岡 20代のときに、渋谷でエキシビジョンをやったことがあるんです。明治神宮や代々木公園で花を摘んで洋服に落としこんだり、布に刺繍をして絵本を作ったりしていました。そのとき、保育園の先生から電話がかかってきたんです「亮、いま、東京に絵本の読み聞かせに来ているのよ」って。

僕、両親の実家が長崎で、東京で生まれてすぐに引っ越して小学校に上がるまで長崎で生活していたんです。その先生は、僕の育ての親のような存在でした。その先生が長崎から東京に来ているというので、「僕、いま渋谷でエキシビジョンやっているんで、来てください」と言ったら、2人のおばあちゃん先生と一緒にきてくれたんです。

先生が作品を見ている間、僕は何も言わずに花を活けていたんですけれど、見終わったあとにこう言ってくれました。
「私は絵本の読み聞かせを何十年もやっているけれど、あなたは言葉がなくても伝わる絵本を作ったのね」と。その言葉はとても嬉しかった。

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それで、先生が帰るというので、そのとき作っていたポスターを手渡したんです。そのポスターはローマ字で書かれていて、おばあちゃん先生だからその文字が読めなくて、「亮、ここになんて書いてあるのか、私に読み聞かせてください」と言われたんです。

そこには、こう書いてありました。

新しく生まれてくるものとの出会い。
その子どもの頃に知った感動を今も続けています。
あなたは何処にいますか?
私はここにいます。

それは、先生のために書いた文章ではなかったけれど、先生に渡した瞬間、「ああ、僕は先生にこれを渡すために、この言葉をポスターに綴って東京で配っていたんだ」って思いました。

子どものころに、先生に何百という絵本を読んでもらって、一緒に絵も描いて、一緒に遊んでいたときの気持ちを僕はそれと意識せずに言葉にしていたんです。20年前のできごとが、20年たって今の自分を作っていることがわかった。そして、その感謝を直接伝えることができる瞬間でした。

あなたは何処にいますか?
私はここにいます

その言葉を読みながら、僕、涙がとまらなかった。そのとき、「あ、そうだよな。何を焦っているんだ」って思ったんです。

今作ったものが、いきなり花を咲かせるわけじゃない。種かもしれない。どうして種を見て焦ったり泣いたりしているんだろうって。焦るくらいなら、作ろう。ただ、ひたすらに作ろうと思いました。

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___それはいつぐらいのことですか?

松岡 20代の前半かなあ。そこからは、誰かと比べたり急いだりせずに、すーっと、自然に絵が描けるようになりました。

___その思考をはやいうちに手に入れたのは、きっと幸せでしたね。

松岡 だから、僕はいつも若い人たちに言うんです。「今回は、たまたまぼくの番だけど、つぎはあなたの番だよ」って。自分自身が若いときに「なんで僕じゃないのかな」って思っていたから。

香港だろうがパリだろうが、ヨウジヤマモトであろうが、今回、たまたま彼らがぼくを知っただけだし、つながっただけだよって。そして、今回はぼくの番だけど、次はあなただから、準備しておくといいよって。

それは明日かもしれないし、十年後、一年後、一カ月後かもしれないけど、準備しておけばきっとチャンスがやってくる。でも、やってなければ「はい、やって」って言われたときにできないから、やっていたほうがいい。

今はたまたま僕が日の目を見てるように表向きは見えるだろうけど、僕とあなたは何も変わらないです。次は、僕じゃないから。次は、あなただから。それをみんなに伝えたいのです。

プロだったら絵で食べようなんて思うな。腹いっぱい食べてから描こうよ

___自分が描きたいものを遊びながら真剣に描く。それが仕事になっていく。ものづくりをする人たちからしたら、本当にうらましい状況なのではないでしょうか。

松岡  確かに、うらやましいとはよく言われます。でも「絵でメシを食えていいですね。僕も絵でメシを食いたいです」って若い人たちに言われると、「いや、ちょっと待て。それは違う」と答えます。

___というのは?

松岡 「絵でメシを食うなんて誰にでもできるよ。そうじゃなくて、ちゃんとメシを食ってから絵を描こうよ」ということです。

みんな絵でメシを食おうとするから、貸しギャラリーに大金を払って、それで「10万円で絵が売れた。私は絵描きになれた」って言います。でも、10万円でどうやって暮らしていくの? って思うんです。

バイトしていてもいい。働いていてもいいです。僕はメシを食ってから絵を描いてきた。絵でメシを食っていこうなんて思っていないんです。他に仕事をしてようがしてまいが、絵のプロなんだからプロとしてのプライドを持とうよ、と伝えます。

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___その価値変換は、なかなかできないかもしれないですね。

松岡 僕自身、海外に行く前に「絵を描く以外に何か仕事しているの?」と聞かれたとき「してます」と言ったら「ああ、じゃあ、絵は趣味で描いているんだね」と鼻で笑われたことがあります。でも「それは絶対に違う」と思ったんですよ。オレは本気で描いている、と。

メシ食って、腹いっぱいになって、自分の好きなように描けたらどれだけ楽しいか。それが本当の絵描きじゃないか、と思うんです。

絵でメシ食うことは、学生でもできます。大人だったら、ちゃんと仕事して、お金もらってきて、腹いっぱいメシ食ったあとに腹いっぱい絵を描けばいい。ただ、そんなことを若い人に一生懸命言っているときって、昔に比べて、おしゃべりになっちゃったなーと思います。

「松岡さん、自由だよなあ」「うらやましいです。私もそうなりたい」ってみんな言ってくるから、「それなら……」と今いったようなことを話すんだけれど、みんな「いや、それは無理です。絶対無理です」っていうんだよね。

___自由になりたいと多くの人は言うけれど、実は本当に自由になりたい人って、そこまで多くないのかもしれないと感じます。

松岡 それ、すごくわかります。今みたいな話をしても、「いやいや、それは松岡さんだからできるんですよ」とか「松岡さんみたいに好き勝手やっている人には私の気持ちはわからないですよ」って言われることもあります。「そうかそうか、ごめんごめん、じゃ、いいや」って言ってしまうのですけれど。

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___自由って、責任と対になっているものですよね。

松岡 そうそう。やりたいことなんて、誰でもできるんです。それよりもまず、やるべきことをやろう、と。

娘にいつも言っていることも、挨拶をしなさい、ありがとうを言いなさい、歯を磨きなさい、ご飯を食べなさいということです。それが大人であったら、メシを食えるように稼ぎなさい。その上で、何のたくらみもなく、やりたいことをやるんです。

___たくらみもなく描くという表現は、印象的です。

松岡 そうやって、やるべきことをやってから、やりたいことをやっていったら、いつのまにか「松岡亮は何をやるべき?」と聞いたときに「絵を描くこと」と周りが言ってくれるようになったのだと感じています。

僕は、有名な美術館に飾られるのでも、個人の家に飾られるのだとしても、同じ気持ちで書きます。その絵を愛してもらえるのであれば。それが100円だろうが、1億円だろうが、僕には全く関係なく、ただ、描きます。

ライブイベントで誰も見てなかろうが、1000人が後ろにいようが、それも関係ありません。僕は、絵と向き合うだけ。絵を裏切らないことだけです。絵が終わる瞬間に僕はその場を離れるだけ。とてもシンプル。

そして、それができるのは、メシを食ってから描いているからだと思います。

地図を持たないから迷わない 選ばないから後悔しない

___在廊して描くライブペイントだと、期間中に描かなくてはいけないと思うのですが、そのプレッシャーはないのですか?

松岡 それはぜんぜん大丈夫です。その空間に一枚だけ描いてもいいわけだし、全部埋めなくてもいいので。その瞬間、僕がそこで花を活けるような感じなんです。ぱっと花をそこに置いて、「うぉ、きれい」ってなれば、それでいいのではないかと思います。

1時間のライブなのに、5時間くらい描いてて、お客さんが誰もいなくなって、最後おじさんがほうきで掃除してるときに終わったこともあります。誰一人いなくなって、関係者も寝ていたこともあります。逆に1時間の予定だったところを、10分とかで終わっちゃうこともある。

___花を置いて帰ってくるようなものという例えでお話すると、なぜその場所に置くと美しいのかというのは、意識されていますか?

松岡 ただ、置くだけなんです。何も考えていないです。置いたものに対して「この空間のボリュームがこうだから」というような説明もしません。「置いたから、見てよ」という自己主張でもないんです。

ただ、そこに置くまでには責任を持って生きていこうとしています。やるべきことをやって生きてきているから、その場所に置ける。

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___責任、なんですね……。できあがった作品を見て、自分で出来がいいとか悪いとか、感じるものなんでしょうか。

松岡 「わー、めっちゃきれいだな」って毎回思いますね(笑)。何も考えていないし行き先を決めずに描いているから、僕自身がいつも一番驚きますね。

___描いているときに苦しくなったり、もう描けないと思ったりすることはないんですか?

松岡 ないです。それは、多分、地図を持たないからだと思う。地図を持って歩き出していないから、迷う必要がない。

家を出て山ほど歩いて、疲れたときに腰を下ろしてみたときに、「うわ、めっちゃきれいな景色。オレ、ここに来るために歩いてきたんだな」って思うから、そこに絵ができるんだと思います。

みんな地図を持っていて、目標も設置してるから苦しいんじゃないかな。地図見たら、めっちゃ山があるし、崖があるし、登るの無理そうって思うんじゃないかなと。

___まずは、歩き出してみるということですよね。

松岡 なぜかみんな、描く前に質問しますよね。「どうやったらうまく描けるようになりますか?」って。でも、やっぱり描いていかないとわからないんです。何枚も何百枚も何千枚も真剣に描くから、見えることがあるのかなと。すべては、絵が教えてくれました。

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___自分が選ばなかった道のほうに、もっといいものがあったんじゃないかという思いにかられる人もいるのかもしれません。

松岡 それは、ちゃんとあきらめていないからかもしれないと感じます。「あきらめる」の語源って「明らかにする」ってことだから。

自分を見つめて、自分がやるべきことが100個あったら、それをちゃんとひとつひとつやるんです。自分が何ができるか、できないことは何なのか、ちゃんとあきらかにしてあきらめていく。そして残った何かを大切にする。

___100個あった選択肢を1個にするのって怖いと思うのではないでしょうか?

松岡 選択するのだとしたら、間違うかもしれないから、確かに怖いと感じるでしょう。でも、あきらめていったら、最後にはそれしか残っていないんですよね。

100個のうち、99個はボコボコにされて、傷ついて、そこに残ったのは1個しかない。そうしたら、それをやればいい。それについては、誰も何も言わないんです。その1個は「それでもあなたはそこにいていいよ」という証だから。

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___器用になんでもできる人ほど、あきらめがつかないのかもしれないですね。

松岡 そうそう。もったいないと感じます。もちろん、それでも楽しければいいんです。でももし、悩んでいるとしたら、あきらめていった方が、もっと楽しいし、力も抜ける。あきらめた結果、残っていったものは、もともとあなたが持っていた何かだから。

絵を見て豊かになろうとしなくていい。豊かになってから絵を見よう

___絵には「評価」や「値段」がつきものだと思うのですが、自分の絵に対する評価に対して、どう向き合っていますか。

松岡 僕は学校で絵を習った絵描きじゃないから、それが一番の強みかもしれないと感じます。道ばたで絵を描いて、いろんな人にぱっと見せて「いいね」も「全然よくない」も、たくさん聞いてきたから。100人中99人がダメって言っても、ひとりが「いい」って言ってくれたら、そこに美しさがあるかもしれない、と感じるのです。

絵なんて、すべての人に必要なものではないのです。「うわっ、いいな」って思ったら、その絵とコミュニケーションをとればいいものだと思います。

本当に不思議なのは、絵を見て、泣く人もいるし、笑う人もいるということ。僕の絵にまったく興味がない人もいる。だから、自分に嘘をついて描いて、人に良く思われたいと描いても仕方ないと感じます。

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___絵に興味を持ってもらえないと傷つきませんか?

松岡 それは、傷つきますね。

___傷つきますよね。それは、いまでも?

松岡 褒められたいと思って描いてはいないけれど、やっぱり「あんまり好きじゃない」と言われると、傷つきますよね。でも、最近はそういうときは、この人の内側に何かあるんだろうなって思うようになりました。絵がいい、悪いじゃなくて、その前の段階で。

だから「なんかこの絵、嫌な感じがする」と言われたら「どういう感じで?」って聞きます。そうすると、「実は私、いま、こんなことがあって……」という打ち明け話になることが多いです。

___相手の状態が、絵を見る心に投影されるんですね。

松岡 絵は、鏡なんでしょうね。

よく、「抽象画がわからない」という人がいますが、「大丈夫、絵はあなたを攻撃しないよ。あなたが攻撃しなければ」と伝えています。犬やネコと一緒なんです。めっちゃやさしいんです。だからゆっくりしゃべってみてって。しゃべりかければ、絵はしゃべってくれるからって。

絵を見て豊かになろうなんて、嘘だから。豊かになった人が絵を見て、ともに上にあがって、ともに横に広がっていくものだと、僕は思っています。

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___おっしゃるように、優れた絵も、そして文章も、「ここではないどこか」に連れて行ってくれるように思います。

松岡 ああ、それよくわかります。僕、ずっと本が読めなかったんですよ。一行読んだだけで、思考が飛んでいっちゃうの。ひとつひとつの言葉は読めているんだけれど、その言葉を自分の言葉に置き換えているうちに、自分のことばかり考えちゃうです。どうしてこんなに読み進められないんだろうって思ったんだけれど、あれはいい体験をしているってことなんですね。

___私は、そう思います。何回も読んでいるのに、毎回「こんなこと書いてあったっけ?」と感じさせてくれる本は、ふくよかな本だと思うんですよね。

松岡 絵も同じだと思います。

___絵を観ているときって「あなたにとって大事なものは何ですか?」と、問われているのかもしれないですね。

松岡 そうそう。そして、それを感じられる場所に、みんながそれぞれ戻っていく。絵の前に佇む時間って、その時間なのかもしれないと思います。だから、絵なんて難しいことを考えずに見ればいい。「めっちゃ絵、きれいだね」って笑いながら話すだけでいいと思います。

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___自分の絵が買われて、手元を離れていくことは、寂しくないですか?

松岡 それは、寂しいです。子どもみたいなものだから。でも、可愛がってくれる人におまかせしたい、と思います。

絵なんて、花みたいなものだから。大切にしてもいいし、しなくてもいい。骨董品みたいにしまいこまれたら、栄養ももらえないし、花は咲きもしない。でも、あなたが話しかければ絵は話をしてくれるし、あなたが水をあげればそこで成長する。何年かぶりに会ったら、その絵って渡した時と全然違う顔しているから。

僕、絵を手渡すときには言うんです。「あなたが死ぬときに、一緒にお棺で燃やしてください」って。この絵は別に宝物でもないし、値が上がっていくものでもないんです。その絵を愛してくれた人の人生と一緒に、命を終えていいものなんです。

___描いているところを拝見すると、とてもピュアな魂を感じます。

松岡 「なぜ絵を描くんですか?」とよく聞かれるんですが、僕はいつも「なぜ描かないんですか?」と答えています。ただ、描くだけなんです。何も難しいことはないし、技術も才能も何も必要がない。責任をもってやるかやらないかだけの違いだと思うのです。ものを作る人達はそれを毎回試されるわけだから。

___その「責任を持ってやれること」が、松岡さんにとっては絵であるように、きっと私たちにも、その場があるのかもしれないですね。

松岡 そう思います。そこで評価されるかどうかは関係ありません。何万人が評価しても、自分がダメだと思ったら、腹を切る覚悟はあります。そこはもう、本気です。

だからこそ、いろんな出会いや、小さな出来事や、言葉や、音楽を、丁寧に受け取れるように毎日をシンプルに生きるようにしているのだと思います。でもそれも全ては、絵が教えてくれたことです。

こんな生意気な事を言っていますが、 私も若造ですし、まだまだ描き足りません。 でも10代・20代の友達や私の娘にとって微力かもしれないけれど、 動き出す力になればと思い、これからも遊び続けようと思います。 ありがとうございました。

(了)

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撮影/中村彰男
執筆/佐藤友美

松岡亮氏のライブペイント  『PLAY-PRAY PAINT!』
開催日:2015年7月14日(火)~7月20日(月・祝)
2015年8月10日(月)~8月16日(日)
会場: 無印良品 有楽町 ATELIER MUJI
申込: 不要 ※見学自由(無料)

松岡亮氏個展  「実と花 時と間 葉と月」
開催日:2015 年 8月1日(土)- 8月31日(月)  12:00 – 20:00
定休日: 水曜日
会場:BLOCK HOUSE 〒150-0001 東京都渋谷区神宮前 6-12-9

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