
知的体力!と繊細さん【今日もコレカラ/第774回】
現在ご一緒している著者さんが、非常にかっこよくてしびれている。
3歳年上の社長さま。
インタビューやミーティングのアポがなかなかとれないくらい、スケジュールはいつも真っ黒。の、はずなのに、先日送ったばかりの構成案に補足資料と参考原稿をどっさりつけて戻してくださった。
マネジメントをしている広報の方も「え、これいつ書いたんですか?」とびっくりしていた。「ん、この間の週末に」と、社長はおっしゃる。
50代なのに体の線がしゅっとしている。運動をされているのだろう。顔もまったくたるんでない。
「体力が違うんですかねえ」と私がつぶやくと、「歳をとってくると体力というよりは、『知的体力』みたいなものが大事になってくるよねえ」とおっしゃる。「読もう、書こう、と思ったときに集中できる力、みたいなのが大事だよねえ」と。
そして「僕もダメなときは全然ダメなのだけれど」と、謙遜される。
知的体力!
いやまさにそれなであります。
気づけば、「ま、いっか」が脳内の口癖になっている。ほんと、知的体力がダダ落ちしている証拠だ。
で、量と質はある程度比例するから、知的体力が落ちると、知的な感性も鈍るんだろうなと思う。
それはやばい。やばいすぎる。この仕事をする上で致命的だ。
そういえば、金原ひとみさんの新作『YABUNONAKAーヤブノナカ』でも、知的に不感症になっていくさまを、「文学◯ンポ(自主規制伏字)」と表現していて、その言葉の鋭さに一刀両断されてマジで血を見た。ほんと連呼しないでほしいし痛いですし苦しいですし身に覚えありすぎますしと、本を読みながら泣いて詫びた(誰に?)ところでした。
実際、歳をとって今のところ一番怖いのは、文学的感覚が鈍ることである。
感動が雑。感想が雑。いろいろ雑になっていく。
まさに不感症である。
体力と知的体力にも相関性がある気がする。
物理的な体力がなくなると、本も読めないし書けなくなる。相関して知的体力も落ちる。
ファットになると文章もファットになるなあと思うし、体がだれると文章もだれる。
そう思っていた。
……ところが!
先日、某「見える人」と、体型と敏感さについて話をしていたら、「いや、それ、わりと逆」と言われた。
「ふっくら体型は、おおらかな人が多い。痩せている人は神経質な人が多い。そんなふうに言われるけれど、実は、逆なんだよね」
と言うのだ。
いわく、「ふっくらしている人は、皮膚が薄いといろんなことに耐えられないくらい敏感だから贅肉をたくわえているんです」とのこと。
この理論でいくと、わがままぼでぃのわたしはだいぶ繊細さんということになる。
……全然信用できない。
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