
「書きたいことはないけれど、書きたい」【今日もコレカラ/第780回】
人の文章に手を入れて直すって、難易度の高い外科手術に等しい仕事だよー!
編集者としていちばん緊張する場面だよー!
免許も持ってない顔も名前も明かさない人がやっていい所業じゃないよー!
切り刻まれた側の傷を引き受ける覚悟も想像力も技術もないまま屈折した承認欲求を排泄してんじゃねえよ
https://x.com/aikonnor/status/2001678566216630483?s=20
編集者の今野さんが、こんなポストをしていた。
福岡でエッセイ講座が終わり、まさにいっときも気の抜けない外科手術から戻った気持ちで、マッサージを呼んだ。「ガッチガチですねえ」と言われた肩こりが、この投稿を見て少し緩んだ気がする。
そうだよね、人のエッセイにコメントするなんて、全身緊張していて当たり前だよね。
エッセイに正解なんてない。
そしてエッセイは「わたくしごと」だから、否定されると、内臓まで切り刻まれる。感想言うにしても、コメントをするにしても、一番緊張するのが、エッセイだ。
何度もワークをして、グループで話をして、だんだん打ち解けて、それでやっと実際に書いた文章を真ん中にして話ができるようになる。
ライティング講座では、「書きたいことは、とくにないんです」と言う人が一定数いる。エッセイ講座でもやはり、「書きたいことは、とくにない」と言う人がいる。
「書きたいことがないのに、なぜ書くの?」と不思議に思う人もいるかもしれない。でも、この気持ち、私はよくわかる。
「書く」という行為はそれそのものが、自分に近づく行為だ。自分を知る行為でもある。書くことは自分の輪郭を確かめるようなものだし、書くことで自分や自分の過去をちょっぴり愛し直せることもある。
好きになれるかもしれないと思って、祈るように書く。
それはほんと、命懸けの行為なんだよ。
命懸けの行為に命懸けでこたえたいなあと思って臨んだ7時間でした。
みんな、また、会おうね。
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実際、紙に印刷されたものを読んでみると「私は、こんなに文章が下手だったのか」と、がく然とした。


