
2つの大黒湯【今日もコレカラ/第782回】
京都の家(事務所)は、築98年の長屋だ。先日夜遅くに東京から到着したら、お向かいに住むおかあさんとばったり会った。
「え、こんな遅くにどうしたの?」
と聞いたら
「銭湯に行ってたのよ」
という。
ずいぶん遅いんだねと聞くと、早い時間はほら、舞妓さんや芸妓さんでいっぱいだからねとおかあさんは言う。
「あ、大黒湯ですか? お湯がめちゃくちゃ熱いところ」
と私が尋ねると
「詳しいのねえ。そうそう、大黒湯。一度潰れちゃったのだけれど、若い大学生が立て直してくれたのよ」
と、おかあさん。
やっばり大黒湯の話か。その話なら知っている。
「ちくりんが立て直してくれたんだよね?」
と私が言ったのでおかあさんはビックリしてた。
「あなた、東京の人なのに、なんでそんなに詳しいの?」
ええと、話せば長いが、私はちくりんがバイトをしていた梅湯のファンで、梅湯の壁一面に貼られている梅湯新聞で、ちくりんこと、竹林さんが大黒湯を立て直すために大学を休学していたのを知っていた(ちなみのCORECOLORのコレカラ新聞は梅湯新聞を真似ている)。
で、そのちくりんが、これまたCORECOLORでインタビューさせてもらったハンケイ500mで新連載を始め、大黒湯立て直しのあれこれを書いていたのだ。
vol.1 溢れる銭湯愛の流れ着く先 – ハンケイ500m | 本物を知る京都人のためのオンラインフリーマガジン。 (別サイトに飛びます)
そんな話を、お向かいさんとするとは思わなかった。
「ちくりんには感謝してるのよう」と、おかあさんは言う。私だけじゃないのよ。祇園の舞妓さんや芸妓さんたち、どれだけ助かったことか。
メディアの人間として知っていた「大黒湯」の話。こんなふうに、身近な人の生活に直結しているのを知ると、また全然違った見え方をするなと思う。
たった一人の行動が、地域の人たちみんなの生活を変える。
そういえば、私が大学時代に通っていた銭湯も「大黒湯」という名前だった。
地元の人たちが集う場所で、脱衣所ではいつも、近所のおばさんたちがおしゃべりをしていた。そこで毎日安否確認をしているようだった。大河ドラマの時間になるとガラガラになる。
あの銭湯がなければ、風呂無しキッチン&トイレ共同という家賃3万円の下宿には住めなかった。
いまはもうない東京の大黒湯。
復活した京都の大黒湯。
復活したほうには、なるべくいっぱい通おう。鏡広告も出したいな。
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都の雑誌は、ウェブから情報収集してるのではないか、と思えるような似たり寄ったりの紙面を作っているのですが、編集者が自分の足で歩いて自分の目で見て取ってきた情報なら、唯一無二になると思って。購買意欲をそそらない安易な特集が組まれていく中、自分が本当に載せたい情報を、誰にも文句を言わせず載せるには、マネタイズするしかないと考えていました。


