
「何者でもない」ってなんだろう【今日もコレカラ/第789回】
何者かにならないといけない。
40代の前半まで、そんなことを思っていた気がする。
以前、山里亮太さんの『天才はあきらめた』のレビューを書いた。
「自分は何者でもない」と言うのにも、資格がいるんだなって話 というタイトルで書いたこの原稿に対して、先輩からこんなコメントをもらったことがある。
わー…初めてさとゆみさんがなんの話ししてるかわからなかったw
みんな天才と凡才の二極なんかで許してくれるようなゆるい世界に住んでないはずだと思ってたんだけど違うの?笑
「何者でもない」なんて語義矛盾だ。
「何者でもない」って、語義矛盾だ。
この先輩からもらったコメントのことを、かれこれ6年くらい考えていた。「何者でもない」って、一体なんなんだ。
だから、今日アップされたちゃんめいの原稿、マンガ『起承転転』のレビューを読んで、再び、思いっきり考えてしまった。
「何者でもない」って、何だろう。
そして「何者かになった」って、何だろう。
どうして以前は「何者かにならなきゃいけない」って思っていたんだろう。
そしてなぜ、今はそう思っていないんだろう(これ、今日気づいた。今は思っていない。山里さんの本のレビューを書いたときは思っていたのに)。
「何者か」「何者でもないか」
それを決めるのは多分、自分ではない。
だとしたら、自分以外に自分の人生(の評価)を決定づけてもらって良いのだろうか。
わりと長いこと、私の人生のテーマのような気がしている。
ちゃんめいの原稿を読みながら、ぜひ、一緒に考えてもらえませんか。
私はまず『起承転転』を買います。
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『起承転転』が際立って心に響いたのは、50代に到達した主人公・葉子が徹底して「何者でもない」ことだ。
(中略)
けれど、そうした幾重にも重なる「ない」は、私にとってすごく魅力的に映った。なぜなら「ない」だらけの主人公が物語の中心に据えられていることで、「何者でもない」ことそのものが静かに肯定されているように感じたからだ。
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無形ビジネスは特に属人的になりやすく、同じ会社の中でも人によって仕事量に偏りが出やすいものだと思う。(中略)自分で選んだ好きな仕事だからと、業務の偏りまでも信頼の証として受け入れてしまう傾向があるかもしれない。仕組みの不備も個人のがんばりで乗り越えてしまう、そんな不器用な美徳。


