
やればできるけれどやりません【今日もコレカラ/第788回】
涼しくなってきたので(寒くなってきたので)、また最近ゆっくり走ったり歩いたりを始めている。
走るとすっきりする。走る前はいつも「前悔」しているのだが、走ったあとに後悔することはない。
京都は走るのが楽しい。いつも行き先を決めずに、適当に走る。
先日走っている最中に見つけた素敵な教会でイブのミサを知り、参加させてもらった。讃美歌を聴きながら、祈るべき対象があることはいいことだなあと思ったりしていた。
家に帰ってくることを考えずに走れるのも京都のよいところだ。ある程度走ったら、帰りは適当にバスに乗って帰ってこられる。
往復10キロは疲れるけれど、往路5キロだけ走って、帰りはバスと思えばだいぶいろんな場所に行ける。
「ハンケイ500m」の編集長、新子ちゃんによると、京都にはバス停が1600か所もあるらしい。
今日はふらふらと知恩院まで。
年末の風物詩である除夜の鐘を拝み、そのまま「ねねの道」へ。はじめてここにきたとき、空気の通り方が違う気がした。なんでだろうと思ったら、ここには電線がないそうだ。景観を重視して、全部地下に埋め込んだ場所なのだという。

やればできるんじゃないか、と思ったりするが、それ以外の場所は埋め込まれないのだから、やれるけれどやらないことが、世の中にはまあまあ多いのだろうなと思ったりする。
そんなことを考えながら、走るのは楽しい。
いつか、メドックマラソンを仮装して走りたい。
その前に、カミーノ巡礼に行きたい。
なんにせよ、体である。
やろうと思ってもできないことが増えてきたいま、やればできることはなるべくやりたいなとおもったり(弱めの主張)。
で、最優先は体だろうなと思うのであーる。

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