
後ろを振り返れば、そこに。映画『ルックバック』【今日もコレカラ/第972回】
公開初日の初回に観に行ってきた。実写版、映画『ルックバック』。
行間が埋まる、とかのレベルではなかった。観終わってすぐに原作を読み返した。映画に「描かれなかったほう」のセリフが際立つ映画だったなあ。
(ネタバレはしないけれど、先入観ゼロで見たい人は、読まないでね)

とにかく、音がすごかった。
ペン先の音が、会話のようで、喧嘩のようで。走る背中を追いかける音のようで、追いついたりまた距離が開いたり。
どこだったかな。急に絵を描く一筆目の音が “大人” になるところあって、ぞわっとした。
漫画にはできない、映像甲斐のある音だったなあ。
あれは、覚悟の音っぽく聞こえた。
音がないこともすごく豊かな音なんだとも気付かされた。
コンビニのひとコマ、原作では小さいけれど一番好きなコマだったので、こんな映像に! わーん、ありがとうございますってなったところ。
そして多分、原作ファンの多くが一番鷲掴みにされたであろうあの世紀の見開きカットも、やはり素晴らしい映像になっていた。こちらも音の力が、すごい。
ルックバックは、直訳すれば後ろを見ろ、という意味だけれど、タイトルの由来になっている4コマ以外にも、いろんなダブルミーニングになっているのだなと感じた。
キャリアとは、轍(わだち)のことだ。
新雪につく足跡のように、道なき場所を歩けば、そこに足跡が残る。
描いて描いて描いたあとに、後ろを振り返れば、スケッチブックの山が残る。
そしてその過去の時間も人の記憶も、実は後ろにあるわけではなく、「いまの自分の中に」あると知る。
そんな映画だった。
一人が二人になり、二人を内包した一人になる。
終日余韻に浸りながら、目が覚めてもまだ、その余韻が続いていて、ベッドの上でケータイを開いたらヴェネツィア国際映画祭の公式独立賞3冠受賞の速報が流れていた。
おめでとうございます。
夢見心地でパンフ買い忘れたので、また行こう。

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展示から伝わってきたのは、先述の通り、アニメーション制作陣が「線を描く」という行為そのものに強い誇りを持ち、映画という表現のなかで、いかに漫画の強度を再現しようとしていたか、ということだった。
そう考えると、藤本先生は漫画で映画をやろうとしていて、映画制作陣は映画で漫画をやろうとしていたのでは……なんてことを思った。そのすれ違いのような一致こそが、『ルックバック』という作品の、この展示の、強度なのかもしれない。


