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「書くこと」にもう興味がない? 「文章を生成すること」と「書くこと」はどう違うか【連載・欲深くてすみません。/第44回】

フリーランス11年目を迎えたライター・編集者のちえみが、書くたびに生まれる迷いや惑い、日々のライター仕事で直面している課題を取り上げ、しつこく考える連載。今日は、あらためて「書くこと」そのものについて考えています。

最近の私は、「書くこと」にあまり関心がない。

おいおい嘘だろ。2022年末から、書くことについてネチネチ考える連載を続けてきて、それはないだろうと思うのだけど、本当にそうなのだ。
この1年で、私の仕事はずいぶん変わった。「文章を書ける人」として仕事を依頼されることが、格段に減った。

納品する成果物が「文章」であることは今も多い。でも、そこで求められているのは、文章を生み出す能力ではなく、他の人には聞けない話を聞き出すことだったり、読者に対して何をどう伝えるといいのかを考えることだったり、他のスタッフやAIと一緒に制作全体を組み立てることだったりする。編集者の肩書きで受ける仕事も増えた。

減った仕事よりも、増えた仕事のほうが多い。ものすごく下品な話をすると、独立して11年目にして、たぶん今年は過去最高の売り上げになると思う。とはいえ来年どうなっているかは、これまで以上にわからない。自分がこれからどんな肩書きを名乗るのかも不明だ。

少なくとも今の私は「文章を書く人」として生き残る方法に、あまり関心がない。

別のことばかり考えている。読者が本当に知りたい話を、どうすれば聞くことができるのか。企業が伝えたいことと、社会が知りたいことの間に、どんな文脈をつくるのか。誰に何を聞けば、そこに新しい意味が生まれるのか。そもそも文章にする必要があるのか。

文章生成だけなら、AIに任せたほうが速い場面はもうたくさんある。「AIだけに頼るとなんたらかんたら」「人間にしか生み出せない文章がなんたらかんたら」みたいな議論はもう、うんざりだ。

洗濯機ができた。それで日々の洗濯には十分なのであれば、もう、洗濯板のことは考えなくていい。
……と、思うのだけど。

そういうことを考えていると、私は無性に腹が立ってくる。今も怒っている。ものすごく怒りながら、この文章を書いている。

ねえ、「書く」って、そういうことだったっけ?

*

「書くこと」の本当の意味を考えていると、私の思考はいつも、2011年にワープする。その年に私は大学を卒業し、就職して編集者になった。そして、その1年目の半ば、いきなり体調を崩し、会社を休みがちになった。
いちおう病名がついたが、どう考えても何かしらのストレスが原因だった。

周囲は当然慌てた。このままだと、新卒で入社したばかりの社員が1年目の途中でドロップアウトする。しかも、当時の職場には情に厚い人が多かった。上司も、人事担当者も、産業医も、なんとか原因を取り除いて、この新人が元気に働けるようにと尽くしてくれた。

ところが、肝心の新人本人が困ったことを言う。
「何がつらいのか、わかりません」

人間関係に問題があるわけではない。いやな人もいない。むしろ、いい人しかいない。
仕事が多すぎるのではないか、と仕事量を減らしてもらった。それでも体調は良くならない。

「できる限りあなたの力になりたい。そのためには、何が苦しいのかを言葉にしてもらわないと、周りも動けないんだよ」
そう言われた。もっともだと思った。私も知りたい。自分はなぜ、こんなに苦しいのか。一生懸命、自分の気持ちと言葉を探した。

ある日、人事との面談でこんな話を聞いた。新人が体調を崩す原因として多いのが、OJT担当者との相性なのだという。OJT担当者とは、新人のすぐそばについて、日々の仕事を教える先輩社員のことだ。

性格やコミュニケーションの相性だけではない。仕事の進め方や考え方の違いによって、双方に悪意や問題がなくても、どうしようもなくストレスが生じてしまうことがあるらしい。

聞いた瞬間「それだ!」と思った。
それだ! それです!
私のつらさを言語化してくださって、ありがとうございます!

自分でも説明できなかった苦しさに、「OJT担当者との相性」という言葉がぴたりとはまった気がした。原因がわかれば、対策ができる。その後、別の人に仕事を教わるようになるなど、仕事をする環境を少し調整してもらった。

けれど、体調は良くならなかった。結局、半年間会社を休むことになった。

*

復帰後、隣の部署の編集長が誘ってくれて、私は別の部署に異動した。すると、不思議なことに、みるみる元気になった。

仕事も少しずつできるようになって、楽しくなっていく。やっぱり少し休んだのが良かったのかな。いや、前の部署は、何かしら合わなかったのかもしれない。……そのくらいに思っていた。

復帰してから、毎日、手帳に1ページほどの日記を書くようになった。

最初は、上司との面談で話したいことを忘れないように、その日にあったことや、誰とどんな会話をしたかを書くのが目的だった。その習慣が4年ほど続いた。

あるとき、ふと思った。入社1年目の、あの頃のことを書いてみようか。もう誰からも「何がつらかったの?」とは聞かれない。人事に説明する必要もない。ただ、なんとなく書きたくなっただけ。

入社した日のこと。部署に配属された日のこと。先輩に教わった仕事。覚えている会話。そのとき私は何を思っていたのか。1日、1日、思い出せる範囲で書いていった。

すると、不思議なことが起きた。
書きながら、脳内で再生される景色が、どんどん変わっていったのである。

例えば、とある仕事を覚えたときのこと。「よし、頑張らなきゃ」と心の中で気合いを入れた……と思っていた。
でも私の握るペンが、その続きを、こう書く。
「この仕事は本当に必要なのだろうか、と一瞬感じた」。

部署の人たちが何かを見て「これいいよね」と盛り上がっている。私も「いいですね」と言う。
でも私の握るペンが、その続きを、こう書く。
「私は全然いいと思っていない。でも、ここでは『いい』と言わないと」。

私は、ただ書いた。

「これが会社のルール、こう振る舞うべき、これを好きにならなければいけない……。誰にもそんなことは言われていないのに、私はそこらじゅうにある『見えないルール』を必死で読み取った。そして、それに自分を合わせようとしていた」。

書いているうちに、当時の息苦しさが、少しずつ見えてきた。仕事を覚えるだけではなく、ものの見方や好き嫌いまで、組織に合わせなければいけない。自分でも気づかない間に、そう思い込んでいたのだ。

OJT担当の先輩についても、書いた。

「先輩は、私が必死で合わせようとしている組織の常識や価値観にはとらわれず、自分が『こういうものをつくりたい』と思う理想に向かって、まっすぐ仕事をしているように見えた」。

……あれ? これは果たして、「OJT担当者との相性が悪い」ということなのだろうか。

私を苦しくしていたのは、組織に自分を合わせなければと、無理をしていたことのほうではなかったか。先輩に対して、その組織との付き合い方が、私とはずいぶん違うと感じてはいたものの、それはストレスの真の原因ではない。むしろ先輩のことは、憧れに近い眼差しで見ていたのではないだろうか。

あのとき「これで楽になれる」と思って飛びついた言葉。でも、書けば書くほど、その言葉では捉えきれなかったことが、次々と見えてきた。

*

言葉は便利だ。正体のわからない苦しさに名前がつけば、それだけで少し安心する。

自分でも理解できる。他人にも説明できる。言葉になった瞬間、物事は扱いやすくなる。だから、早く言葉にしたい。

でも、そういう「早く答えを出すために」「問題を解決するために」という姿勢で生み出された言葉は、複雑なものを、ものすごい勢いで切り落としていく。
しかも困ったことに、他人だけではなく、自分までその言葉を信じてしまう。

私は、あのとき、ただ書いた。書くことで気持ちを整理するのではない。むしろ、簡単に整理しないために、書いた。

書くことによって、自分に起きたことをもう一度観る。そのとき感じていたことにちゃんと触れる。「あれ?」「本当に?」「違うかもしれない」と考える。

私にとって「書く」はそういうものだった。観るとか、感じるとか、考えるとか、そういう行為そのものだったのだ。

たとえば編み物が好きな人に対して「セーターなら、もっと安くてきれいなものが店で買えますよ」と言うのは、馬鹿げたことだ。毛糸を触り、一目ずつ編み、少しずつ形になっていくこと、その過程こそに意味があるのだから。

書くとは、私にとってそういうものだった。文章は他の人につくってもらっても全然構わない。でも「書いている途中で私に起きること」は、誰にも代わってもらうことができないのだ。

「3000字でうまくまとめてください」というお題に対して、もう自分の手で書くことに、こだわらなくてもいいのだろう。
でも、私は怒っている。
ねえ、うっかり「書く」を全部手放して、観ることも、感じることも、考えることもやめて、勝手に不幸になるんじゃないよ。

そう、最近の私は、「文章を生成すること」にあまり関心がない。
でも、生きるための「書くこと」が、今こそ必要だと思っている。

*

月に1回更新してきたこの連載は、これで最終回を迎えます。……と言いながらも、書きたい気持ちが溢れたときに、ひょっこりここに戻ってくることがあるかもしれません。そのときは、ぜひまたお付き合いください。

文/塚田 智恵美

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