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誰かの目を、借りて。——2026年9月51冊の中の3冊【連載・月60冊読むkyoの「積んどかない」読書/第10回】

読書の秋。本屋や図書館の特集棚を眺めるのが楽しい季節だ。とはいえ、私自身の読書量も選び方も、相変わらず。気になる本を見つけては手に取る、いつも通りの毎日である。

それでも、同じ本が棚の並べ方ひとつで違って見えることがある。
同じ街でも、見る人が変われば知らない景色が現れる。

自分にとっては見慣れたものでも、他者の目を借りて眺めてみると、思いがけない発見が次々と現れる。

9月に選んだ3冊は、そんな「ものの見方」を楽しむ本だった。
発酵。ミステリー。秋葉原。相も変わらず、まるで共通点がない。

けれど、そこにあるものや場所を観察し、著者独自の視点で読み取り、読者には見えていなかった世界を見せてくれるという点では、3冊はよく似ているのではないかと思う。

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最初に挙げるのは、小倉ヒラク著『発酵文化人類学 微生物から見た社会のカタチ』である。

「発酵」と「文化人類学」。なかなか手強そうな言葉が二つも並んでいる。微生物の話なのか、人類学の話なのか、それとも食文化の話なのか。答えは、全部である。

味噌、醤油、日本酒、ワイン、ヨーグルト。普段から何気なく口にしている発酵食品を入口に、微生物と人間がどのように関わり、それぞれの土地の気候や暮らし、文化をつくってきたのかをたどっていく。生物学だけではない。歴史があり、民俗があり、哲学があり、芸術があり、経済まで出てくる。

なのに、びっくりするほど楽しく読める。

専門用語も登場するが、その説明は驚くほどやさしい。発酵についてあまり知らない読者でも、いつの間にか微生物と人間の長い付き合いの中へ連れて行ってくれる。

章の名前からして楽しい。

「ホモ・ファーメンタム」
「手前みそとDIYムーブメント」
「ヒトと菌の贈与経済」
「醸造芸術論」

発酵というひとつの現象から、こんなところまで話が広がるのかと、ページをめくるたびに驚かされる。

例えば味噌。いつもなら「身近な発酵調味料」で終わる。けれど、微生物の側から見れば、そこには菌があり、土地があり、気候があり、人間が積み重ねてきた知恵がある。発酵食品ひとつを眺めるだけで、その土地の文化や人々の暮らしまで見えてくる。同じものを見ているのに、本を読んだだけで、世界はずいぶん違って見えるものだ。

味噌汁も醤油も日本酒も、もう以前と同じようには見られなくなる。その覚悟を持って、読んでほしい。

食卓に並んでいるのは、ただの調味料や食品ではない。その小さな一品の向こう側には、微生物と人間が長い時間をかけて作りあげた文化がある。『発酵文化人類学』は、これまで見えていなかった発酵の世界を、ぐっと身近なところまで引き寄せてくれるような一冊だった。

『発酵文化人類学 微生物から見た社会のカタチ』小倉ヒラク(KADOKAWA)

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次に挙げるのは、有栖川有栖著『作家の犯行現場』である。

本書は、雑誌『ダ・ヴィンチ』の連載「有栖川有栖 ミステリー・ツアー」を中心にまとめられた紀行エッセイである。

軍艦島、鍾乳洞、湖底に沈んだ村、趣向を凝らした建築。全国各地にある、どこか物語を呼び寄せそうな場所を、有栖川有栖さん自身が訪ね歩く。

作家が、ミステリーにまつわる名所を巡り、その土地の空気を感じ、そこに残る物語や記憶をたどっていくのだ。面白くないわけがない。

ただの観光案内ではない。そこに立ったとき、何を感じ、どんな物語を思い出すのか。この場所なら、どんな事件が起こりそうなのか。ミステリー作家の目を通すと、実在する風景が少しずつ「物語の舞台」に見えてくる。

面白いのは、有栖川さんが「名所だから見る」のではなく、「物語を書く人」として場所を見ていることだ。たとえば、崖。私なら「高いな」「怖いな」で終わるかもしれない。けれどミステリー作家なら、その高さだけではなく、そこへ至る道や周囲の地形、人目につくのか、逃げ道はあるのか。そんなところまで目に入るのかもしれない。なんとも物騒だが、そういう想像力が面白い。

仮に同じ場所に立ったとしても、私と著者では見えているものが違うのだろう。そして、その違いを一冊まるごと体感できることこそ、この本の楽しさなのだと思う。

『作家の犯行現場』は、ミステリーの名所を巡る本であると同時に、作家が世界のどこに目を留めるのか、その視線を少しだけ借りられる一冊だ。そして今では、かつてそこにあった風景や時間まで、ページの中から覗くことができる。

場所が面白いのか、そこを見る人が面白いのか。
きっと、どちらもなのだと思う。

『作家の犯行現場』有栖川有栖(新潮社)

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最後に挙げるのは、写真家Junya Watanabeによる写真作品集『電影都市秋葉原』である。

私が購入したのは、書泉ブックタワー。専門書からサブカルチャーまで、階を上がるたびに扱う世界が変わっていく、じつに秋葉原らしい「マニア御用達」の書店だ。秋葉原を写した写真集のサイン入り特装版を、この場所で買う。それだけで、なんだか少し嬉しい。

今ではアニメやゲーム、コンピュータ、ネットカルチャーの街として知られている秋葉原だけれど、その風景の奥には、電気街として栄えてきた秋葉原の時間が今も残っている。

看板がひしめく路地、電飾の光、雨に濡れた道路。古い電気街の面影と、アニメやゲームの街としての現在が幾重にも重なる。写真の中の秋葉原は、どこか映画のセットやSF作品の一場面を眺めているようでもある。「電影都市」という言葉が、実によく似合う。

写真はもちろんだが、章の名前もまた素晴らしい。なかでも、私は「電子密林」という章がたまらなく好きだ。電子部品、配線、看板、雑居ビル、人、光。それぞれが無秩序に入り組みながら、それでもひとつの街をつくっている。秋葉原を「密林」と呼ぶだけでも面白いのに、そこへ「電子」がつくことで、あの街独特の雑多さが突然ひとつの風景として浮かび上がる。

そして、「電子密林」に惹かれる理由は、その言葉の響きだけではない。この章は、昔ながらの電気街の象徴的存在、秋葉原ラジオセンターに店を構える人々とともにつくられたものだ。著者は約1年半にわたって各店へ継続して足を運び、店の方々からさまざまな話を聞きながら撮影を続けた。そこには、普段はなかなか見ることのできない場所を写した写真も収められている。写真集全体でも、街の外観だけではなく店内の写真を数多く収めるため、企画書を用意して一軒一軒店舗を訪ね、協力を依頼したという。

秋葉原を外から眺め、格好のいい風景だけを切り取ったものではない。何度も足を運ぶ。顔を合わせる。話を聞く。街の「中」へ入っていく。そうして築かれた人との関係があったからこそ、残すことのできた風景がある。

写真は、そこにあるものをそのまま写すものだと思いがちだ。けれど本書を眺めていると、そうではないことがよくわかる。

街は変わり続ける。今ある景色も、やがて過去になる。
写真には、街で営みを続ける人々と、著者が見つめた時間が残っている。

見慣れた場所のはずなのに、誰かの目を借りると、知らない都市になる。

『電影都市秋葉原』は、私が知っている秋葉原を写した本でありながら、私の知らない秋葉原を見せ、その時間を残してくれる写真集だった。

『電影都市秋葉原』JUNYA WATANABE写真作品集(芸術新聞社)

*

味噌や醤油の向こう側に、微生物と人間が積み重ねてきた文化を見る。
何気ない風景の中に、作家だからこそ見つけられる物語の入口を見る。
見慣れた秋葉原の街に、写真家が人と関わりながら見つけた光や時間を見る。

本を読むということは、知らないことを知るだけではない。同じものを見ながら、自分とは違う誰かが何を見ているのかを知ることでもある。

自分ひとりの目では、見えるものには限界がある。
だから、本を開く。

著者の目を少しだけ借りて、いつもの食卓や、見慣れた景色を眺める。

すると、昨日まで何でもなかったものが、少しだけ違って見えてくる。

文/kyo

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ぐみ

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尾崎 ゆき

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