世界はいつだって地続きだ。モイセーエフバレエがつなぐ、私と娘の10年
ぽこ、ぽこ、ぽこ。
おへその下らへんが、内側から蹴られている。正体は、私のお腹の中にいる娘だ。2016年、当時住んでいたモスクワからの本帰国を控え、どうしても観納めたいと足を運んだモイセーエフバレエの公演でのことだった。世界各地の民族舞踊を舞台芸術に昇華させた一団だ。お腹が痛いとか苦しいわけではなく、「ああ、この子も元気に踊ってるなあ」と思った。
それから10年の月日を経て、彼女は今、隣にじっと座っている。
私にとって、実に10年ぶりとなる彼らの公演だ。ずっと恋しかった舞台に、日本で立ち合えるのは感慨深い。心から楽しみにしていた一方、私の趣味に付き合ってくれている娘の反応を気にしていた。
魅力を伝えたい。
だけど、押し付けたくはない。
観てもらったそのままを、感じてほしい。
そうしたら、いったい彼女は何を思うんだろう。
時間に余裕を持って席に着いたが、そんなことを考えていると、満席の会場を見渡す余裕はなかった。
しばらくして開演時間を迎えた。数十秒間のオープニングの音楽が流れて緞帳にスポットライトがあたる。照明が消え、会場が真っ暗になったあと、舞台の明かりが灯る。すると、いつの間にか幕は開いていて、そこには男女50名のダンサーが並んでいた。歓迎の拍手とほぼ同じタイミングで導入曲も鳴り止み、静けさが彼らの動きを待つ。
熱気に包まれる直前の、この空気。
モスクワのときと変わらない。
ああ、懐かしい。
*
私が娘と同じくらいの年齢だったか。いや、もう少し幼かったかもしれない。学校からの帰り、通学路の途中にある公園の側道を歩いていたら、どこからともなくサッカーボールが足元に転がってきた。
見上げると、同じクラスの男の子たちと初めて見る人たちが合わせて10人くらい、まばらに立ってこちらを見ている。名前も知らない人たちは、自分や同級生と比べて、ずいぶんと年上のようだ。みんな、背の高さは違っていたし、髪や肌の色もバラバラだ。どうやら、彼らはひとつのサッカーボールで一緒に遊んでいたらしい。足元のボールを彼らに返しつつ、その空間に興味があって、少しだけ寄り道をした。
サッカーに夢中になっている人たちの横で、休憩しているお兄さんがいる。ちょっと日焼けした、黒い髪の人だった。私には聞き慣れない言葉で、ほかのお兄さんたちと話している。目が合うとにっこり笑って、手をひらひらと振ってくれた。クラスの子は、別のお兄さんに肩車までしてもらっている。知らない人に対する緊張より、好奇心が勝って「どっから来たと?」と自分から声をかけてみた。すると、お兄さんは流暢な日本語で答えた。いわく、その公園から10分ほど歩いたところにある、国立大学の留学生だという。
「へえ。みんな、そうなん?」
「そうだよ。だけど、みんな違う場所から来てるんだ。」
今、みんなは同じ空間にいるのに、違う場所、だなんて言葉が不思議だった。
「それっち、どこ?」
「中国とか、カナダとか。僕は、ハワイから来たんだよ。」
「ハワイ?」
無知な私は、ズケズケと質問を続ける。それに対して、お兄さんはイヤな顔ひとつせず、近くにあった木の棒を右手に取ってしゃがんだ。そして、足元の砂に日本とその海の外に広がる簡単な地図を書いてくれた。
「ここが、日本でしょ。今、僕たちは、このあたりにいる。」
テレビの天気予報で、見たことのある形だ。
「僕が生まれた場所は、このあたりだね。あの彼は、僕よりもっと遠いアルゼンチンから来ているんだよ。」
普段の天気予報ではなじみのない地図に、距離の感覚は掴めない。
だけど、この人たちは私の隣にいる。
やっぱり、よくわからない。
ただ、自分が知っている場所ではないことだけは理解した。知らない地名が次々に飛び出してきて、頭が追いつかず、私は「ふうん」と言うのが精いっぱいだった。
*
タン、タタン、タン。
舞台上のダンサーたちが踏み鳴らすステップの音が、絶えず鳴り響く。大人になった今でも、私には知らない国がたくさんある。だけど、モイセーエフバレエは、そんな場所に輪郭を与えてくれる。
ロシアはもちろん、モルドバ、スペイン、ブルガリア。そして、公園で出会ったお兄さんが「もっと遠い」と言った、アルゼンチンまで。
そんな踊りの数々を生み出したのは、モイセーエフバレエ創立者のイーゴリ・モイセーエフだ。ボリショイバレエ団出身のダンサーだった彼は、各地の人々が受け継いできた民族舞踊に心惹かれた。そこからソ連各地を巡って踊りを集め、1937年に民族舞踊のアンサンブルを立ち上げる。それだけに留まらず、海外公演で訪れた国々との交流からも、続々と新たな作品を生み出していった。彼が目指したのは、民衆の踊りをそのまま再現することではなく、その魅力を損なわずに舞台芸術として磨き上げることだったという。
モイセーエフの作品は、約5分間のものが中心だ。それぞれの地域や民族に受け継がれる舞踊や音楽を取り入れ、時にはストーリー仕立てになった作品が、オムニバス形式で繰り広げられていく。
公演パンフレットによると、モイセーエフバレエには300作品ものレパートリーがあるという。今回の来日公演はAプロ・Bプロの2種類のプログラムで、全部で16演目・9カ国の踊りが上演される。それでも、全作品の中ではほんの一部にすぎない。ロシアに住んでいたころ、劇場へ通い詰めた私でさえ、初めて観る演目がいくつもあった。彼らが教えてくれるのは、国の名前だけではない。民族や、ときには遠い昔の歴史までも教えてくれる。
タタール人、ナナイ人、バシキール人。 そして、中世の草原を駆けた遊牧民・ポロヴェツ人。
似たように見える衣装も、よく見ると、刺繍や装飾がそれぞれに異なり、細部まで趣向が凝らされていた。たとえば、『ハンガリーの踊り「ポントゾー」』。無地の黒だと思っていた男性ダンサーのズボンは、よく見ると腰のポケットあたりがアイレットレースになっていた。ここまでこだわるのか、と徹底ぶりに驚いた。
*
留学生のお兄さんたちと話してから、どれくらい経っただろう。
私は、いつの間にか人間関係がうまくいかなくなっていた。今ふり返ると、自分の未熟な言動や、ささいな誤解、互いに譲れなかったことなど、いくつもの理由が重なっていたように思う。当時の私にとっては、地元が世界のすべてだった。それだけに、深刻な問題だった。小学校中学年あたりから長い間チックの症状が止まらず、中高では朝になっても身体を起こせず学校に行けない日々が多くあった。どうやったらこの世界から逃げられるんだろう。そんなことばかり考えて過ごしていた。
だけど、世界はいつだって地続きだ。
過去に起きたことは無くならないし、ひっくり返らない。
思春期の私は、そんな現実に絶望していた。
*
ドタ、ドタ、ドタ、ドタ。
音楽のない舞台に転換し、激しく走りまわる音が聞こえてくる。と思うやいなや、丸い顔をした2人組が、舞台袖から取っ組み合いながら登場した。『ナナイ民族の遊び「ふたりの赤ちゃんの闘い」』だ。
ふたりは自らの身体ひとつで、攻防を続ける。壁際に追いやったつもりが、相手は壁に足を突っ張り、勢いよく押し返してくる。足を引っかけて相手をよろけさせようとするも、重心を取られて一緒に転ぶ。賢く手を打ったつもりが、裏目に出てしまう場面の連続だ。同じ土俵にいる当人たちにとっては真剣勝負でも、なんだかその姿がいじらしい。時には宙へ浮かび上がるほど激しくぶつかりあってから、床にひっくり返る。彼らがすったもんだする様子に、会場からは大人と子どもの笑い声が聞こえる。その中には、前のめりで舞台を見守る娘の笑い声も混じっていた。
お互いの策略も尽きて体力勝負になってきた。すると、気合いを入れ直した一方が相手を持ち上げ、そのまま千鳥足で歩き出す。ふらりと身体が傾き、進む方向が変わる。よろめきながら、また向きが変わったかと思うと、舞台ギリギリの縁まで辿り着く。幼くつたない彼らが、このまま落ちてしまうのではないか。会場がどよめき、ハラハラと見守る。持ち上げられた子の両足は、すでに縁からはみ出している。落ちる、落ちる、落ちる……!
――その瞬間、衣装をひるがえして、ひとりの男性ダンサーが現れた。
なんと、2人の子どもの正体は、彼だったのだ。丸い顔は人形で、上半身と下半身を巧みに使い、たったひとりで2人の子どもを演じていた。想像もできなかった結末に、会場中で感嘆の声が漏れる。娘も丸い目で私の方をふり返り、「すごいね!」と小声でささやいた。
いま思えば、かつての私も、ひとり相撲を取っていたのかもしれない。自分のいる世界がすべてだと思い込み、こんな自分を受け入れてくれるところなんて、どこにもないと思っていた。けれど、地元を離れ、関西やロシアに住み、さまざまな地域を旅行した。今度は私自身が「違う場所から来た人」として、たくさんの人と出会ってきた。過去の苦しさまでが嘘だったわけではない。それでも、あの頃の自分を、以前とは少し違う目で見られるようになった。
*
パン、パン、パン。
公演中は幾度となく、踊りや音楽に合わせた手拍子が、客席から鳴り響いた。私と娘も、自然と手を叩く。モイセーエフバレエは、ダンサーだけではない。客席にいる私たちも、その一員だ。そう思えるほどに、会場は一体になった。
そう感じさせてくれた演目のひとつは、『舞踊絵画「リンクにて」』。雪が降る街中のアイススケート場で繰り広げられる作品だ。舞台に本当に氷が張っているかのようなダンサーたちの動きに、目を凝らす。一瞬の静けさのあと、男女1組のささやかな恋の物語がはじまる。そこから、走馬灯のようにたくさんの登場人物がアクロバティックな動きを披露しながら、目の前をすり抜けていく。
最初は、その男女が物語の主役なのだと思っていた。けれど、2人の傍らを通り過ぎる人々も、それぞれの時間を生きている。誰ひとりとして同じ踊りはなく、視線をどこへ向けたらよいのかわからない。一人ひとりの技量の高さと、互いに呼吸を合わせる力。その両方が、この群舞を支えている。高度な技術を求められる振付にもかかわらず、ダンサーたちは終始、笑顔を絶やさない。観ているこちらまで気持ちが明るくなり、顔がほころぶ。
最後のシーンでは、ダンサー全員が舞台に集まる。それぞれが呼吸を合わせてその場で回転し、舞台全体がひとつの大きなメリーゴーランドになったかのようだ。タイトルどおり、絵画のような群舞。その粒々の煌めきをいつまでも見つめ続けていたくなり、「この瞬間が終わってほしくない」と、つい願ってしまう。名残りを惜しむ間もなく、舞台はゆっくりと暗転していった。
*
公演を観たあとの帰り道、娘とどちらからともなく、さっき観たばかりのステップをまねてみる。足を鳴らしてみては、ぜんぜん違うね、と笑い合った。「喧嘩の踊り、2人じゃなくて1人だったなんてびっくりした」「くるくる回っていくところ、すごかったよね」。お気に入りの場面を、代わる代わる挙げていく。そのうち、どれがいちばん好きだったかを、たずねてみた。彼女は、最初の演目『ロシアの踊り「夏」』と答える。モイセーエフバレエの代表作のひとつだ。
「だってね、みんな一人ひとりが同じ動きをして、だけどダンスがどんどん広がっていって、すごいんだよ。」
10年前はお腹の中にいた彼女が、言語化できない興奮を精いっぱいの言葉で聞かせてくれた。当日のプログラムには、この演目について、こう書かれていた。
――「夏」は愛と美と自然への賛歌である。デュエットの踊りから始まり、色鮮やかであたたかい太陽のもとで輝きだす恋愛感情、生きる喜びを賛美する円舞へと徐々に大きくなっていく。
一人ひとりの動きが重なり、ひとつの輪になって広がっていく。娘が見たものは、モイセーエフバレエそのものだったのかもしれない。
民族舞踊を、その魅力ごと舞台芸術に磨き上げる。通りすがりの一人ひとりにまで、それぞれの物語を与える。観客が見落としてしまいそうな細部にも、手を抜かない。モイセーエフバレエの踊りは、民族と人への敬意と親愛をもって成り立っている。
ダンサーたちは鍛錬を重ねた全身で、その踊りを惜しみなく表現する。一朝一夕では真似できない繊細な動きも、目を見張るようなテクニックも、ひとつひとつ丁寧に積み重ねられていく。どんなに情勢が変わろうと、彼らのまなざしの先にあるのは、その土地に生きてきた人々であり、民族の魂だ。だからこそ、創立から今日まで、その営みは途切れることなく続いてきた。それを見ていると、なんだか祈りにも似たものを感じた。
そうだ、世界はいつだって地続きだ。
過去は変えられなくても、私の知らなかった世界はその先にも続いている。
今の私は、そんな事実に支えられている。
自分とは違う人や民族に線を引いて、遠ざけたり恐れたりするのではなく、まずは知ること。目の前にいる相手から目をそらさず、ひとりの人として見つめること。きっと、それが、違う場所から来た誰かと、ともに生きていくためのヒントなのだ。
砂の地図を目にしたあの日の私も、モイセーエフバレエを堪能した今日の私も、そして、娘も。私たちはみんな、知らなかった世界の発見者だ。過去も、今も、これからも。この世界を、慈しんでいきたい。
*
いつか娘も、人との関わりに悩んだり、自分の気持ちを持て余したりする時期を迎えるかもしれない。それでも、あまり心配はしていない。モイセーエフの踊りに目を輝かせ、心が動いたことを自分の言葉で話してくれた彼女なら、きっと大丈夫だ。そう願う気持ちもまた、祈りに近いのかもしれない。
モイセーエフバレエは、まもなく創立90周年を迎える。きっと、これからも彼らは各地の踊りに息づく魅力を世界中に届け、人々の心を動かしていくのだろう。この夜、私たちもまた、彼らが蒔いた種を受け取った。それが育っていった先には、観客にも、そして娘にも、実りと花があふれるはずだ。
2026年10月27日(火)〜10月30日(金)
モイセーエフバレエ2026年来日公演
https://moiseyevballet.jimdofree.com/
文/ウサミ
【この記事もおすすめ】
- Writer
- #ウサミ