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ウクライナ国立バレエ『ジゼル』で垣間見た希望。偉大なものは世界をひとつにするのか

2025年1月5日 14時57分、私は上野駅の改札を出て小走りになっていた。それは、まもなく迫るバレエ公演『ジゼル』の開演時間に間に合わせるためだった。

何度も観たことがある演目だし、と謎の余裕をかましていた自分を捕まえて説教したい。今回は、初めて生で観るウクライナ国立バレエ団の来日公演だというのに。

会場入りをスタッフに促されながらも、最後のかけこみで公演のパンフレットを買った。どれだけ知っている演目でも、思い出に残すため記念買いは外せない。

開演1分前のところで座席へたどり着いた。間に合ったことに安堵する。すでに腰掛けている観客の足を踏まないよう身体を縮こめながらすり抜けて、椅子に座った。会場が暗くなると、オーケストラのもとに指揮者が現れ、約2分間の前奏が会場を包み込んだ。

正直に言うと、私はここ数年、落胆していた。ウクライナ侵攻が始まってしまったこと。今なお侵攻は続いていること。そして、ロシア作品の上演自粛の動きや文化交流の停止など、政治の問題が発端となって芸術の世界にまで暗雲が立ち込めていること。気持ちが沈む原因はたくさんあった。

パンデミックも侵攻も予想だにしなかったころ、ロシアのボリショイ劇場へ足を運んだ私は、たまたま近くの席にいたロシア人女性が語っていた言葉に心打たれた経験があった。

お年を召していて、劇場に相応しくドレスアップしたその女性は、幕間に私の方へ近づいてきた。そして、私が日本人ながらロシア語を理解することがわかると、矢継ぎ早に語り始めた。彼女は、自分の誕生日には欠かさず劇場へ訪れることにしているらしい。私たちが観ていた演目を原作から読んだこともある彼女は、こう話してくれた。

「フランスの小説をもとにアメリカ人が振付けたバレエをロシア人が踊って、観客の中にはあなたのように日本人もいる。偉大なものは世界をひとつにするのよ」。

今の情勢は、私が受け取ったときから大切にしている言葉を打ち砕いてしまいそうな、残酷な世界だ。

それでも、あのロシア人女性が語ってくれた言葉を信じたい気持ちが勝る私は、ウクライナ国立バレエ団の来日公演チケットを発売初日に買って、この日を待ち侘びていた。回想をしているうちに、続く演奏につられて緞帳が上がっていった。

第1幕

村娘のジゼルは、同じく村人の格好をしたアルブレヒトと惹かれ合い、恋に落ちる。しかし、アルブレヒトの正体は貴族であり、同じ身分の婚約者もいる事実を知らされたジゼルは、ショックのあまり死に至る。

第2幕

命を落としたジゼルは、女王ミルタ率いる精霊のウィリから仲間として夜の森へ導かれる。ウィリたちは、夜になると墓地に現れ、墓を訪れた人の命を奪っていく。ジゼルの墓前で後悔に嘆くアルブレヒトも標的となるが、精霊となったジゼルはなお、かつてと変わらない愛をもって、アルブレヒトを救おうとする。

フランスのパリ・オペラ座で生まれた『ジゼル』は、代表的なクラシックバレエ作品のひとつで、世界中の劇団が上演している有名な演目だ。かくいう私も、ロシアに計5年間住んでいたころは劇場通いを続け、YoutubeやDVDでいくつもの劇団の『ジゼル』を何度も繰り返し観たおかげで、音楽もエピソードもばっちり頭に入っている。

そのはずなのに、この日の舞台には、既視感が無い。
1幕目の舞台上につくられた村は、緑の中で黄、赤、白と色づいた背の高い木々に囲まれていて、青空が見え隠れしている。見慣れないデザインに、ウクライナにもこんな景色があるんだろうか、と想像する。振付やオーケストラの演奏も、ところどころ違うことに気づく。特に2幕目では、ロシアでは観たことのなかった群舞の振付が際立っていた。
これこそ同じ演目を何度も鑑賞する醍醐味だと嬉しくなった。

ふと、思う。
確立されたクラシックバレエの歴史には、ロシアが大きな役割を果たしている。現に、この『ジゼル』も、発祥の地であるフランス・オペラ座での上演が中断されていた時期がある。その間、同演目が潰えなかったのは、ロシアが継承して公演を続けていたからだ。そうして紡がれた作品は、世界でふたたび日の目をみることができたのだ。

それなのに、どうして世界はこんなにもバラバラになってしまったんだろう。
そんな疑問がよぎると、喉がぎゅっとなって息苦しかった。
ジゼルとアルブレヒトの物語のはずなのに、今の情勢と重ねてしまう。

今や多くの国がロシアを敵国としてみなし、抵抗と制裁を表明している。侵攻が正しかったとは、決して思わない。今なお苦しんでいる人たちはたくさんいる。
だけど、二項対立でロシアを非難し、国際社会から排除し続けることが根本的な解決策になるだろうか。
これから先、私たちはどこへ向かうのだろうか。

第2幕、ジゼルの墓がひっそり佇むのは、森の奥深くだ。夜になってウィリたちが踊る幽玄な光景の中で、儚く軽やかに舞うジゼルを見つめながら、疑問が浮かぶ。
排除を徹底したこの先、どうやって世界とロシアは繋がっていくのだろう。 
アルブレヒトがジゼルの墓を訪れるシーンでは、フルートとオーボエが物憂げな旋律を奏でている。

この情勢下、多くの国でロシア発着の直行便が就航停止となった。そんな国の人たちは、ロシアの出入国スタンプがいくつも押されたパスポートを持つ私を、快く受け入れてくれるだろうか。
アルブレヒトを追い詰める女王ミルタと精霊ウィリたちの厳しく冷たい目が、私の不安を反芻させた。
侵攻が長引いているこの現状で、隔たりはどんどん大きくなっているように感じる。

ネガティブな考えが頭の中をめぐっても、舞台上のシーンは音楽に乗って進んでいく。
過ちを犯したアルブレヒトを殺そうとするミルタとウィリたちに、ジゼルが立ち向かうシーンだ。
アルブレヒトに裏切られ、傷つけられたはずのジゼルは、死による償いではなく、愛による救いを選んでいた。

この瞬間、思いがけず、私たちの未来を投影した。
もしかすると、私たちにとっても排除ではなく愛による救いが、これから必要とされていくのかもしれない。

幕間で目を通したパンフレットの内容が頭をよぎった。
ウクライナ国立バレエ団の公演ながら、ゲストにはドイツのハンブルク・バレエ団で活躍するダンサーたちの名前が並ぶ。演目は、フランス生まれ、ロシア育ちの『ジゼル』。ウクライナ国立バレエ団の現芸術監督は、日本人だ。そして、この日本の会場で、観客の中にはロシア人もいる。

偉大なもののおかげで、ひとつになった世界が今、ここにある。

ボリショイ劇場で出会ったロシア人女性が、この先の誕生日も今までと変わらず、着飾り、劇場へ向かっている姿が心に浮かぶ。

見落としていた事実に気づいて、いつの間にか涙がマスクを濡らしていた。
嗚咽が音楽を邪魔しないように、そっと呼吸をしながら、湧き上がる拍手のタイミングに合わせて鼻をすする。

舞台も終盤に差し掛かっていた。朝のシーンを告げる鐘が鳴っている。
バレエ演目のラストシーンは、劇団や監督によって、解釈と演出が異なることが珍しくない。
私がこれまで観てきた『ジゼル』は、ジゼルのおかげで助かったアルブレヒトが、ひとり墓前でジゼルとの永遠の別れを噛み締める結末だった。

それに対して、今回の公演では、アルブレヒトは最後に息を引き取ってしまうが、死後の世界でジゼルとの再会を果たすクライマックスだった。
1幕でジゼルとアルブレヒトが無邪気に過ごしていた世界は、もう無い。
けれど、2人は見つめ合いながら、手を取り合っている。その世界を受け入れ、これから先を一緒に過ごしていくんだろう。

私たちの世界も、そうであってほしい。
そして、きっと、それは実現できるはずだ。
その希望を手にした時には、涙も自然と乾いていた。

会場を出ると、『ジゼル』の各シーンを収めた写真が展示されていた。
今日観た物語と一緒に、私の思考の旅ももう一度味わって帰路についた。

会場展示(第1幕のシーンより)

会場展示(第2幕目ラストシーン)

文/ウサミ

ウクライナ国立バレエ『ジゼル』公演

2025年1月5日(日)〜同年1月19日

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