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気にしていなかった日々に気づかせる『吹けば飛ぶよな男だが』 

駅のホームに、列を作って並ぶための目印がある。場所によっては2列だったり、3列だったり。あの目印に誰も並んでおらず、自分が最前列のひとり目になるとする。電車が来るまで、あと少し。その間に自分の隣にもうひとり並んだ。最前列にふたり。並んだのは自分が先だ。整理券をもらえるならば、間違いなく1番である。

電車が減速をしながら到着する。ゆっくりと、そしてぴったりと電車の扉がホームドアと重なる位置に来る。やがて電車が止まると、ホームドアがピンポンと軽快な音と共にあく。がこんと音を立てて電車の扉もひらく。

乗車していた人々がわらわらと降りていく。小走りで去っていく人、参考書を片手に持った学生、銘菓の菓子袋を持った人などなど。一斉にすれ違う。いよいよ乗る側のターンだ。整理番号1番のときは来た。いざ。そう利き足を出した瞬間。

整理番号2番の人が、1番の自分より先に乗車していくのだ。

「あっ」と出そうになる声はしっかり飲み込む。あくまで私が勝手に割り振った整理番号なのだから。

このように、私は、自分の中にこんなに些細なこだわりがあるのだなあと気づくときがある。決して相手を責めるような気持ちや、むっとするような気持ちは持っていない。むしろ順番を意識している自分がとても小さく、さもしい気持ちになる。電車に乗れることは間違いないのになあ、と。さらに付け加えると、電車に乗っているうちに順番を気にしたことすら忘れてしまう。それほど些細なことだけれど、自分の中に自分だけのセンサーがあると感じる出来事だ。

そんなホームの並び順のことを思い浮かべたのは、日常の中で自分だけがひっかかっているように感じる出来事が、もっと他にもあるのではないかと考えたからだ。聞かれても即答ができないくらいの小さなこだわり、自分の中のルール。気にしなくとも生きていくうえで困ることはないけれど、どうして私の中でひっかかってしまうのだろう。そう考えるに至ったきっかけが渋谷龍太さんの『吹けば飛ぶよな男だが』だった。

書籍を読んでいる間「私もそれ、考えたことがある」と脳内で何度も呟いた。と同時に「そこまで考えたことはなかった」も同じくらい呟いた。

著者はロックバンド『SUPER BEAVER』のボーカル。このバンドはライブハウス、ホール、アリーナ、そしてフェスに積極的に参加し年間100本近くライブを行う。バンドのフロントマンである渋谷さんは、長い髪を乱しながらスタンドマイクを両手で握りしめ、喉から後頭部まで震わせて歌う。まさに全身全霊で音楽をしている人物だ。

この書籍はそんな渋谷さんがステージの上だけではなく、日々の生活の中で感じた気づきや自身で考え抜いてきたことなどが記されたエッセイだ。バンドマンだとしても日常生活はきっとみんな一緒だ。街を歩いたり、食事をしたり、トイレにも行く。誰も想像できない場面は出てこない。明日も明後日もおそらく送り続けるであろう生活の一場面で思考したことが書かれている。

たとえば、お腹を空かせた渋谷さんがある飲食店へ向かうエピソードがある。目的の店舗は建物の4階。エレベーターに乗り込み「閉」のボタンを押す。そのとき、前方から二人の女の子がこちらに歩いてくる。渋谷さんはとっさに「開」のボタンを押し、様子を見ていると、彼女たちはお礼を言いながら小走りでエレベーターに乗り込むのだ。

「何階ですか」と問うと、彼女たちも同じ階だという。目的地である階には渋谷さんが目指す飲食店しかない。彼女たちも同じ店に行く予定なのだ。やがてエレベーターは順調に上昇し扉がひらく。渋谷さんは「開」ボタンを押し、彼女たちに先に降りることを促す。そして、その後に続くように、渋谷さんがエレベーターを降りて店へ向かうのだ。

先に降りた彼女たちは既に店の扉を開けている。店員に案内される女の子たち。次は自分の番。いよいよご飯を食べられると小さく足踏みをする渋谷さん。わくわくする気持ちをよそに、店員から申し訳なさそうに一言告げられるのだ。満席になりました、と。

二組以上が相乗りする状態に、一方の善意をひとつまみ加えることで、エレベーターは本来の順番を逆転させてしまう魔法の箱に変わる。

文句でもなく、感謝を求めているわけでもなく、不思議な気持ちになると渋谷さんは綴った。エレベーター内で順番が入れ替わる経験は私にもある。先に降りるよう促したことも、促されたことも。そうして気づく。私はこの出来事を「経験がある」と感じているけれど、気に留めたことはあっただろうか。私が譲る側の人だったら、不思議な気持ちになっただろうか。

『吹けば飛ぶよな男だが』は日々の生活で「気づいたこと」で終わらない。

気づいたのはなぜだろう。どうして自分にはひっかかるのだろう。これと似ていること、反対のこと……。渋谷さんは気づいてからが始まりと言わんばかりだ。何度も何度も思考をめぐらせて自分のひっかかりを言葉にする。

書籍では日常の一瞬を切り取ったようなエピソードがいくつか登場する。エレベーターのエピソード然り。幼いころ好きだった遊びや、茶碗に盛られた白いごはんへのこだわり。自分の生活でもきっと出会うであろう場面。「ああ、わかる」「たしかに」と読み進めていく。

けれど、だんだんと「渋谷さんのように、そこまで考えたことはなかったな」という思いが生まれてくる。エレベーターにしても、私が当事者ならば「あれ?」と考えが一瞬だけ浮かんで、きっとすぐに忘れてしまうだろう。私はそこで終わってしまう。もっと気づけたら知らなかった自分のこだわりに出会えそうなのに。

そう思いながら書籍を読み終えて前書きに戻ってみた。すべてに合点がいった。

生きるも、愛も、死ぬも。食べるとか、躓くとか、寝違えるとかも、全て。軽くて、薄くて、脆いのだ。吹けば飛ぶよな話なのだ。だから、丁寧に抱きしめてあげないと。そんなことを、考えた。

ああ、だからだ。だから、私がそこまで考えたことがないと思うことばかりなのだ。軽くて薄いから、記憶にも残してこなかった。でも、その出来事の中に「私にこんな一面があるから」と思えるような気づきもきっとあるのだ。

私もそれを丁寧に抱きしめる日々を送りたい。吹けば飛んでしまうようなことだけれど。飛んでいかないように。

文/のど花

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