江戸時代の女性たちと共に、旅をした夜『江戸の女子旅 旅はみじかし歩けよ乙女』
「へえー」「そうなんだ」「なるほどね」
別府温泉でしっとりツルツルになった指先で、夢中になってページをめくった。
『江戸の女子旅 旅はみじかし歩けよ乙女』。
少し早めの夏休みのお供にと、タイトルだけでポチった。大正解だった。
江戸時代の女性たちが綴った20を超える旅日記を参考に、江戸の女子旅について仔細にまとめた1冊。旅のメンバー構成は? 1日どれくらい歩くの? 行き先は? どんなコースを何日くらいで回るの? 費用はどれくらいかかるの? 旅先では何をするの? 危険はなかったの? どのページを開いても、まるで知らないことだらけだ。
著者の谷釜尋徳さんは東洋大学の教授で、研究キーワードはスポーツ史や江戸娯楽史。学術書の色合いが強いので、文体は淡々として飾り気がない。だが、それが実にいい。変に脚色をされるよりも、ずっと想像力を掻き立てられる。
旅行のために仕立てたよそ行きの着物はすこし短めに。大きな菅笠を被り、足元は足袋に草鞋。いざという時に武器にもなる、長い杖を片手に、街道を1日平均30キロも歩く。たくましい江戸女子たちの姿がありありと目に浮かんでくる。
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到着した日の大分は、梅雨前線の影響で大雨だった。夕食のために外を2、3分歩いただけで、ワンピースの裾とサンダルがビタビタになった。
「江戸時代、雨の日はどうしていたのだろう」
「川が増水すると、『川留』になったというから、ヤキモキしている人が多いんじゃなのかな」
「今では飛行機でビューっと超えられる本州と九州。当時はきっと船で超えたんだよね。でも、“豊後のベタ凪”(この言葉は大分の人から聞いたのだが)なら船酔いはしなかったかも。そうだったらいいな」
濡れた服の冷たさに200年以上前の女性たちを思う。頭の中で、何本ものロードムービーが次々に再生されていく。関サバに目を輝かせる隣のテーブルの外国人観光客を横目に、私は江戸の女性たちと一緒に旅をしていた。そうか、知るということはこんなにも世界を広げてくれるんだなあ。現在と過去が交錯し、旅が何十倍にも豊かになる。
私にとって江戸の旅のイメージは、十返舎一九の『東海道中膝栗毛』(正確にいえば、しりあがり寿さんの『真夜中の弥次さん喜多さん』)とほぼイコールだった。そもそも、物を知らない私がパッと思いつく江戸時代の女性といえば、春日局、篤姫、和宮、新島八重くらいなもの。だから、女性がアクティブに旅をしていた事実だけで心が躍る。急に何万人もの同志が増えたようで、勇気づけられる。
『東海道中膝栗毛』が刊行された19世紀初頭には、お伊勢参りを筆頭に旅ブームが起こっていた。その理由は、参勤交代のために街道が整備されたから、というところまでは歴史の授業で習った気がする。しかし女子旅を可能にしたのはハード面だけではないと、この本は教えてくれる。
貨幣が浸透し、身軽な旅ができるようになったこと。為替が発達して旅先への送金が可能になり、大金を持ち歩く危険がなくなったこと。宿場の位置や宿場間の距離が書き込まれた地図や、名所旧跡や物産の情報、旅のトラブルへの対応方法などのノウハウをまとめた旅行案内書が普及したこと。旅に必要な読み書きの教育を受けた女性が増えたこと。そして何より、世の中が泰平だったこと。複合的な要素が旅行ブームを支えていたそうだ。
「なんだよ。歴史の授業でこんなふうに江戸時代を習っていたら、もっと興味を持てていたかもしれないじゃん」と恨めしく思うほど、知識が縦に横に広がっていく。
恥ずかしながら、私の日本史の成績は、江戸時代以降急降下した。その理由はおそらく、自分との距離が遠かったからだ。小学校の遠足で関ヶ原や岐阜城に行き、戦国の三英傑の足跡が息づく地域で育った私は、教科書で学ばなくても戦国時代に詳しかった。先生たちも郷土の歴史には力が入ってしまうのだろう。ペース配分を見誤り、現代に近づくほど駆け足になる傾向があった。山口県出身の友人が幕末推しなのも、きっと同じ理由だろう。(各県の出身者に聞いてみないと断定はできないが……)。
だが今回、「女子旅」という自分ごと化できるテーマと出会ったことで、私と江戸時代との距離は一気に縮まった。旅先での過ごし方も、有名観光地巡り、食い道楽、お土産を爆買いと、今とほとんど変わらない。さらに当時既にトラベルライター・グルメライターが存在していたことも親近感を覚えた。
旅も本も、たくさんの未知に出会わせてくれる。時間も距離も超えて、江戸時代の旅好き乙女たちと一緒に楽しんだコロナ後初の旅行は、知ることで世界が豊かになることを再確認させてくれた。彼女たちがどういう動機で日記を綴ったのかは、日記なるものを宿題以外で書いたことのない私には理解が及ばないところもある。けれど、個人的な体験記が時代を超えて受け継がれ、今こうして私に女子旅の喜びを伝えてくれていることは希望だ、と思った。
私がこうして書いている言葉も、誰かの未知を知るきっかけになるだろうか。未来の誰かと一緒に旅をすることがあるだろうか。旅は、きっと、続いていく。
文/山田 智子