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日常のていねいな観察が、毎日を愛おしくする。『気づいたこと、気づかないままのこと』

高校を卒業するまで、父と母、年の離れた姉と兄、父方のおばあちゃんの6人で暮らしていた。幼稚園の頃に母が働き始めたので、私のお世話係はおばあちゃんだった。おばあちゃんは「うめ」という名前の通り、厳しい環境でも美しく咲く梅の花のような人だった。早くに他界したおじいちゃんの分まで家族を想いやり、いつも笑顔を絶やさない。クラッチ操作が必要な愛車の軽トラックを颯爽と運転する豪快さを持ちながら、畳む洗濯物はいつも角がピンと立っていた。

おばあちゃんは時々私にだけ、特製のお汁粉を作ってくれた。このお汁粉には、彼女が「うどんこ」と呼ぶお団子が浮かんでいた。料理上手だったおばあちゃん。けれど、当時私が唯一苦手だったのが、このうどんこ入りのお汁粉だった。おそらく初めて食べた時においしいリアクションをしてしまったのだろう。おばあちゃんは私の好物だと信じきっていた。

やがてお汁粉には一般的にお餅や白玉が入ると知り、ますます謎が深まるうどんこの存在。中学生になった私は「おばあちゃん、この『うどんこ』ってなんなの?」と思い切って聞いてみた。おばあちゃんは「うどん粉と水をこねて作るんだよ。おいしいでしょう? おばあちゃんが子どもの頃は、ぜいたく品だったの」とうれしそうな返事。苦手だなんて、今更言えない。

家を出て、大学生になっても社会人になっても、うどんこ入りのお汁粉は続いた。最後までおばあちゃんは、私がうどんこ入りのお汁粉が好きだと信じていた。おばあちゃんを悲しませずにすんだのだ、という自分だけの達成感。そんなおばあちゃんとお汁粉の思い出を振り返ったのは、古賀及子(こがちかこ)さんの著書『気づいたこと、気づかないままのこと』を読んだからだ。

著者の古賀さんはWebメディアの編集部員であり、ライターでもある。6年以上日記の公開を継続されていて、その作品は日記エッセイとして書籍化されている。そんな古賀さんが「エッセイスト」の肩書きで初めて書いたのが、この書籍だ。20年来日記を書き続けている私は、古賀さんの経歴に興味を持ち書籍を手に取った。

身の回りのなんでもない日常を、ただじっくりと観察する古賀さん。観察対象を、いいとか悪いなどと評価することはない。モノもヒトもありのままに受け入れる。書籍の帯には、「とりとめなくてくだらない だからかけがえない記憶」とある。古賀さんは、自分の中に残っている誰かに話すほどでもない記憶を、ていねいに振り返る。

振り返った記憶とは、細部までしっかりと向き合う。新宿郵便局へ友人の代理で局留の恋文を受け取りに行く時は、薄暗い室内で漏れる明かりの具合や受け取るまでの動作をひとつずつ思い出す。幼少期の友人らと過ごした団地では、建物の様子やにおい、湿度にも意識を広げる。こまやかな場面の描写に、まるで自分がその場にいるような感覚になる。

日常が舞台のため、母や妹、子どもたちなど、とりわけ家族のエピソードが多い。古賀さんは、祖母の家に住んでいた期間があったので、祖母とのエピソードもある。その家には亡くなった祖父が好きだったいちじくの木があり、祖母はいちじくが嫌いだったという。実は古賀さんも食べられない。そうとは知らない祖母は、庭で採れたいちじくの実を古賀さんにあげた。自身が居候したために、日々変わらない暮らしを愛する祖母の日常を乱してしまったと悔やむ古賀さん。だからこそ、もらったそのいちじくを「私は喜んで、盛大な感謝をこめて祖母の前で食べた」そうだ。

このいちじくのエピソードを読んで、私は思わずおばあちゃんとお汁粉の話を思い出したのだ。でも、正直にいうとそこまで最初は細かく思い出せなかった。浮かんだのは、「うどんこが苦手だったこと」と「おばあちゃんに秘密を隠し通したこと」の2つだけ。そこから古賀さんのように小さなことにも意識を向け、自分の記憶と向き合ってみた。ぼんやりとしていた記憶が、はっきりとしてくる。しだいに周辺の記憶まで呼び起こされ、細かな部分も思い出すことができた。おばあちゃんの笑顔が浮かび、胸の奥がじんわりとあたたかい。

読み終えた後、今度は古賀さんの真似をして日常を過ごしてみた。夫に頼んだ洗濯物干しをこっそり観察してみると、めんどくさがって洗濯物のシワのばしをサボっていた。息子が私に内緒でどんぐりを隠し込む時には、鼻息が荒くなりがちになると発見した。実家に帰れば、食器棚に謎の置物が増えていたり、神棚に私の知らない宝くじが置いてあったり、普段気にかけないところがどんどん目に留まるようになっていく。あれ? 私の毎日っておもしろいかもしれない。

いろんな気づきで毎日が少しずつにぎやかになり、小さな新発見を楽しめる自分になってきた。気づいたことも、気づかないままのことも、きっとそのままでいいのだ。今ある日々をじっくり味わうように過ごすと、いつもの日常がぐっと愛おしくなる気がする。

文/金子 明日香

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