
韓国映画『大丈夫、アリス』上映会。受験戦争で追い込まれる学生は対岸の火事ではない
「あの子はまだ塾にいるから、今日は会えないんだよ」昨年、日韓ミックスである私が韓国の親戚の家に立ち寄ったとき、おじさんが私にそう言った。時間はすでに23時を過ぎていた。「こんな時間まで塾にいるの!?」驚く私に、おじさんはこう続ける。「帰ってくるのはだいたい夜中の1時過ぎだな。毎日、車で塾まで迎えに行っているよ」
私は驚きのあまり何も言えなかった。その家の長女は高校3年生。受験生だからといって、毎日夜中まで塾にいるなんて。韓国の受験戦争がすさまじいと知ってはいたけど、ここまでとは……。韓国で大学受験をする高校生は、起きている時間のほとんどを勉強に費やしている。日本の高校生のように、放課後の部活に青春をかけることもできない。
そんな韓国の学生たちの状況を知っていたからこそ、ドキュメンタリー映画『大丈夫、アリス』の日本初上映イベントに私は強い関心をもった。映画の舞台となる「クムトゥルリ人生学校(夢見る人生学校)」は、学生が過酷な競争社会から距離を置き、全寮制で1年間を過ごす場所だと知ったからだ。
映画の冒頭は、一人の少女が勉強漬けの日々で追い詰められていった体験を、当時勉強していた自宅の勉強机で語るシーンから始まる。場面が転換し、クムトゥルリ人生学校にいる彼女の表情は驚くほど明るい。この学校には教科書もテストもなく、生徒たちは自分たちで授業を企画し、ときには楽器を弾く。お互い人に言えずにいた悩みを打ち明ける時間もある。競争社会に追われず、ただ自分でいられる時間が彼らを本来の姿に戻していく。
映画で印象的だったのは、子供たちの発表会に父母が参加するシーンだ。一人の男子生徒の父親が、息子に向けた手紙を読む。その内容は息子への謝罪と親としての愛に満ちた言葉だった。男子生徒は泣き顔を誰にも見せないよう、顔を覆って肩をゆらして泣いていた。
映画上映後にはトークイベントが行われた。登壇者はこのイベントを主催する地域・教育魅力化プラットフォームの代表理事である岩本悠さん、クムトゥルリ人生学校の創設者であるオ・ヨンホさん、『大丈夫、アリス』の映画監督ヤン・ジヘさんだ。進行役を務めたのは
TBS CROSS DIG with Bloombergの竹下隆一郎さんで、以前から動画メディアで拝見していたので、思いがけずお見かけできてうれしかった。
イベントで語られて印象的だったのは「これは韓国だけの特殊な事情ではない」という岩本さんの言葉だ。
「日本の10代の死因第1位は自殺であり、G7の中でもっとも自殺率が高い。日本の子供たちも韓国の子供たちと同様に『失敗してはいけない』『レールから外れてはいけない』というプレッシャーを抱えています」
創設者であるオ・ヨンホさんは、クムトゥルリ人生学校を創設した理由について、「息子が中学生になった途端に表情が暗くなり、口数が減ってしまった。同じように苦しむ学生を救いたいと思って、子供が自由でいられる学校を作ることにした」と語った。
また、ヤン・ジヘ監督は映画製作の動機についてこう話した。「私には成人した二人の子供がいます。いい大学に行けば成功できると考えて、子供たちを急かしてきました。しかし、それでは子供たちは自分が何を好きか、どう生きたいのかを考える時間を持てません。だから、韓国の教育に『,(カンマ)』のような休息の時間があればと思いました。親としての反省と願いをこめて撮った映画です」
クムトゥルリ人生学校は子供たちが自由に伸び伸びと過ごせる場だが、理想だけではない現実もある。学校は中学と高校の間の1年間だけ。卒業生たちはそれぞれの場所へと戻っていく。約6割は高校に進学し、残りの約4割は高卒認定試験を受ける選択をするそうだ。
オ・ヨンホさんは「学生たちには、大学までの時間は人生の30%でしかない、残りの70%は自分自身で自分の『人生の学校』を作っていく必要があると話しています」と語った。
また、クムトゥルリ人生学校は私立であり、学費は月額約110万ウォン(約11万円)かかる。誰もが通える学校ではないが、韓国ではこの学校をモデルにした公立学校も設立され始めているそうだ。
トークイベントの終盤で、この映画の日本での上映は未定であることも語られた。「配給会社が見つかれば日本での上映は可能です。心当たりがあれば紹介してください。自分たちで上映会を企画することも可能です」という呼びかけもあった。
イベント終了後、ヤン・ジヘ監督に話を聞くことができた。私が印象に残ったのは男子生徒と父親のシーンだと伝えると、監督は「とても厳しい父親で、入学前の親子関係は最悪だったそうです。学校が行う保護者向けのプログラムを通じて父親自身が変わりたいと願い、自らの意思であの手紙を読みました」と教えてくれた。
続いて、私は「監督も子供をもつ一人の親として、映画を撮影しながらどう感じたか」と質問した。
「韓国には『4歳の関門』『7歳の関門』という言葉があります。4歳で英語幼稚園に入る試験があり、7歳には私立小学校の入学試験がある。幼い頃から人生のテストが始まり、親が手綱をギュッと握りしめています。そんな状態では、子供は自分の人生の主人公にはなれません。子供たちが咲かせる花はそれぞれ違い、花が咲く時期もみんな違うはずなのに」
私は子育てをしたことはないが、競争社会で教育をする親が、子供の幸せや安定を願って教育が加熱する心情は想像できる。しかし、それが結果として子供を追い込んでいくこともあるだろう。私にできることは限られるが、何かあるのだろうか。そんなことを考えていたら、監督は『大丈夫、アリス』というタイトルの由来を教えてくれた。
「不思議の国のアリスは、ウサギを追いかけているうちにいつの間にか道を外れてしまいます。でも、その先で面白い不思議な冒険に出会います。映画に登場する子供たちにとっては、クムトゥルリ人生学校は不思議の国のようなもの。レールを外れることは脱落を意味するのではなく、子供たちにとって冒険の始まりのように思えました。そんな子供たちにかけてあげたい言葉として、このタイトルをつけました」
日本も韓国も、教育システムや社会の空気がすぐに変わることは難しいだろう。けれど、「休んでもいい」「人と違う道を行ってもいい」と思えるだけで、呼吸がしやすくなりそうだ。
私には子供がいないが、6人の甥と姪がいる。成人した子とはたまにお酒を飲んで近況を聞いたり、旅行に行ったりすることもある。バツイチでフリーランスという、世間からすればレールを外れているように見えるだろう私にできること。それは「レールを外れても楽しそうな大人」でいることだ。親が責任感や愛情から子供の手綱を強く握りしめてしまうなら、私はその横で「こっちの道も楽しいよ」と教えるウサギであってもいいのかもしれない。
文/久保 佳那
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