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58歳の余命宣告。死の淵でも救いはある。山本文緒さん『無人島のふたり』に描かれた最期の日々

本書は、58歳で余命宣告を受けた作家・山本文緒さんによる、最後の日々を綴った日記だ。昨年10月、文緒さんが膵臓がんで亡くなったことは、ネットニュースで知った。10代のころから彼女の本を読み続けてきたけれど、亡くなったと聞いても、大好きな本は今も私の手元にあるし、いつでもその言葉に触れられる。文緒さんの死に対して、何の実感もなかった。

文緒さんは、私にとって本当に特別な作家の一人だ。

不幸のどん底でもないし、悲劇のヒロインというわけでもない。だけど、どうしてもちょっと息苦しい。そういう人たちの、言葉にならない思いをすくい取って物語を紡いでくれたのが、文緒さんだった。小説『ブラック・ティー』や『絶対泣かない』に登場する、ちょっと闇を抱えた人たちが、私の心の拠りどころだった。

死ぬことは全然、怖くない。私はずっとそう思っていた。引っ込み思案で自分の思っていることの半分も話せない。そんな私がこの世で唯一心を許して、何でも話せると思っていたのが、2つ下の妹だった。だから、妹が20歳で事故に遭って亡くなったとき、私もあとを追って死のうと思った。あの世に行けば、妹に会えると考えたのだ。でも結局、そのときは死ぬことを諦めた。いつかまたあの世で妹に会える日が来るまで、しかたがない、私は生きようと思ってこの23年を過ごしてきた。「死んであの世に行けば妹に会える」と思うことが、私の希望になった。

それなのに、『無人島のふたり』を読んでいたら、初めて死ぬのが怖いと感じた。ある日突然がんと診断され、病気が分かったときにはすでにステージ4b。治療法はなく、抗がん剤で進行を遅らせることしか手立てはないという状況。「(余命の)4ヶ月ってたった120日じゃん」と気が付いたときの文緒さんの気持ちを思うと、これ以上は読み進められないと思って、いったん本を閉じた。

「緩和ケア」という言葉は知っていても、中身については全く知らなかったと彼女は綴っている。少女漫画などで、若い男女がベッドインしたときによくある、電気が消され、次のシーンはもう窓から朝の光が射し込み、鳥がチュンチュン鳴いているという表現、いわば「朝チュン」のような印象だったと。でも「朝チュン」のごとくぼかされていた部分が、本書では「書きすぎかもしれない」とあるほどに、具体的に書かれている。

特に怖いと感じたのが、体の状態だった。調子が悪かったり、薬が効かなかったりするときは、吐き気がする。倦怠感が半端なくて寝ることしかできない。体力が落ちて、買い物にも1人で行けない。横になっても縦になってもしんどい。中毒なくらい見ていたスマホも、見る気すら起こらない。死んだあとのことは怖くなくても、死ぬまでの過程があることを私はすっかり忘れていたのだ。「朝チュンのよう」とはなんて言い得て妙なのだろう。

ページが進むにつれ、文緒さんの死が近づく。私が本を読み終わるということは、彼女が死ぬということだ。今はどのくらい死期に近づいているのか、そのときがいつ来るのか、それだけが気になって、何度も目次の日付を確認した。まだ7月だから大丈夫。もう9月だから、そろそろかもしれない(でも、肝心の最後の日付は目次に載っていないのだった。編集者さんの優しさなのだと思う)。文緒さんはその間、遺された人が困らないようにと着々と準備を進めていた。遺言書を書く。お葬式のことを相談する。会いたい人に会って最後のお別れをする。病気は徐々に死を迎える精神的な辛さはあるかもしれないけれど、彼女に言わせると実は「お別れの準備期間があるすぎるほどある」のだった。私の妹はある日突然亡くなってしまったので、お別れの言葉すら言えなかった。私も妹とちゃんと最後のお別れがしたかった(でも、それはそれで辛いのだろう)。そして私が死ぬときは、どちらがいいだろうかと考えた(選べないけれど)。

それにしても、どんなに辛い状態にあっても彼女は日記を書いて、本を読んでいた。もうすぐ死ぬと分かっていても、読みかけの本の続きが気になって読んで、「死ぬことを忘れるほど面白い」「未来はなくとも本も漫画も面白い」と言っている。死の淵にあっても、救いはあると分かったことが、私にとっても救いで希望だと思った。

亡くなる9日前が最後の日記となっていた。ページをめくるのが辛いほど、過酷な過程もあったけれど、文緒さんらしい皮肉のきいたユーモアもあって、ときどきクスッと笑いながら読み終わった。そして読み終わって初めて死を実感して、涙が止まらなくなった。私がどれほど彼女の文章に救われてきたかを、ようやく思い知ったのだった。彼女がもうこの世にいないことを、今もまだふと思い出しては、涙が込み上げる。でも一方で、爽快な気持ちにもなった。本書を読んでいるときは、まるで命を削って日記を書いているように感じていたのが、読み終わってみると、彼女は書くことで命を長らえていたのだなと分かった。「死」は悲しいに違いない。けれど、最後の最後まで書きつづけ、亡くなった後にもこうして日記が本となり、読者に届けることができるなんて、作家として最高の最期じゃないかと思う。

ちなみに、文緒さんが私にとって特別な作家であるのには、もう一つ理由がある。noteというSNSで、文緒さんが私をフォローしてくれたのだ。私にとって書くことの神様であるような存在の人に認知され、その上フォローまでしてもらえるなんて。そのときはただただ嬉しいと思っていたけれど、今思えば、まるで神様に書くことを許可してもらったようで、今頃になって震えてる。

文/江角悠子

無人島のふたり 120日以上生きなくちゃ日記

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