検索
SHARE

「伝統」のルーツを知ったら、少し心が軽くなった『着物の国のはてな』

「現代ほど着物をキチキチ着ている時代はない」

この⼀⽂を読んで思わず、あぁやっぱりそうだよな、と声が出た。以前から漠然と持っていた思いに、裏づけをもらったような気がしたのだ。

祖⺟が遺した着物を引き取り、⾃分なりに着始めてから1年。私はまだまだ着物ビギナーだ。だからこそ着付けの練習を兼ね、できるだけ気軽に着物を着るようにしている。こんなことを⾔ったら誰かに怒られるかもしれないけれども、着物なんて極論、ただの服だと思っているからだ。仕事着として毎⽇カジュアルに着物を着て過ごしていた祖⺟を、幼い頃から⾒ていた影響もあるかもしれない。

着物そのものが好きだから、着る。気分が上がるから、着る。背筋が伸びる気がするから、着物を着ている自分が好きだから。着物を着始めた日、家族や周囲からは「急にどうした」と戸惑いの目で見られた。街中で見知らぬ人から声を掛けられる回数が増え、当初はどう対応したらいいのかわからなかった。けれども紆余曲折を経て、私はいつの間にか、気負わずに着物を着てランチや飲み会などにも出掛けられるようになった。

そんな風に過ごしていると、周囲から着物についてさまざまな思いを聞く機会が多くなった。その多くが「本当は着てみたいけど、敷居が⾼くて」「間違った着⽅をしていたらと思うと、怖くて勇気が出ない」などだ。確かに気持ちはよくわかる。実際に着物のルールや約束事は複雑かつ無数でわかりにくいからだ。パッと思いつくだけでも例えば、おはしょり(帯の下の着物の折り返し部分)の幅は⼈差し指1本分程度で⽔平に整っていなければならない、半襟の⾊は⽩が基本である、花が咲いている時期にその花の柄の着物を着るのは無粋とされる、などがある。これだけでもややこしい。

そしてさらにややこしいのは、なぜそれがルールとされているのかと誰かに聞いてみても、理由や根拠がはっきりしなかったり、⼈によって違う答えが返ってきたりすることだ。着物の世界がキチキチと窮屈で、ハードルが⾼いと思われるのも当然だ。そんな⾵に思っていたある⽇、書店でたまたま⼿に取ったのが本書『着物の国のはてな』だった。

筆者はノンフィクションライターの⽚野ゆか⽒。ある⽇、着物をワードローブのひとつに取りいれたいと考えた際に、前述のような着物をとりまくさまざまなモヤモヤに出会ったという。本書ではそれらを解き明かすべく、着物の約束事や「伝統」の⼀⾔で⽚づけられがちなルールや作法の歴史を、歴史学者などへの取材によって明らかにしている。タイトルにもなっている「着物の国」は、まるで⾒通しの悪い着物の業界を、地図も持たずに旅するような⼼持ちだったための表現らしい。

本書で特に印象的だった内容が2つある。まず1つは昭和34年、現在の上皇后である美智⼦様のご成婚前の時期の着物姿について書かれた⼀節だ。皇室史上初の出来事である民間からのプリンセスの誕生は、⽇本中が祝福ムードとなる⼀⽅で、実は相当な数のバッシングもあったらしい。ところが当時の美智⼦様の「着物の着⽅」については、批判的な声はあがらなかったという。

私も画像を検索してみたけれども、おはしょりの幅はその時お召しの着物によってまちまちで、⽔平ではなく斜めになっている着方も多い。シワも⽬⽴つ印象で、率直に⾔って今の着物雑誌のモデルの⽅がずっときれいに着ていると思えた。それなのに世間から批判が上がらなかったのは、当時は着物にシワが⼊ったりおはしょりが斜めになったりしているのは、ごく当たり前だったからだ。

現代の着方のシビアさを思うと、わずか65年ほどの間に「着物の着⽅」についての⼈々の⽬線は、かなり厳しく変化しているとわかる。その背景には昭和30年代に、斜陽産業となっていた着物業界が⽣き残りをかけて⾼級路線に舵を切り、フォーマル着物をメインに販売するようになったことにあるという。「着物=正装」「正しく・美しく着なければならないもの」というイメージが広まっていったのだ。

もう1つ印象的だった内容がある。数ある着物のルールの中でも「絶対にNG」とされているのが「左前」についてだ。左前とは、着物の衿を⾃分から⾒て左側を先に体に合わせ、右側をその上に重ねる着⽅だ。これがNGとされているのは、それが亡くなった⼈の着物、いわゆる死装束の着せ⽅だからである。着物をあまり着なくても「左前がNG」は知っている⼈もいるだろう。ChatGPTに聞いてみたところ、左前は「着物における“絶対にやってはいけないタブー”のひとつ」「洒落では済まないレベルのマナー違反」だと返ってきた。

しかしさかのぼること1300年以上前、少なくとも694年の⾶⿃時代には、右前と左前、どちらの衿合わせも⼀般的にされていたという。「着物は右前でなければならない」と定められたのは、⽇本が国としての意識を強めるにあたって、奈良時代であった719年、当時先進国であった中国の習慣を取り⼊れたからだという。いわば国によって意図的に決められたルールだったのだ。

このようにおはしょりや右前など、現代で「伝統」とされているものも、歴史を紐解いてみれば、何らかの判断や選択の結果として残ってきたのだった。それらは、「斜めでもシワが入っていてもいい」「右前でも左前でもどちらでもいい」から「水平で整っている状態が望ましい」「右前が望ましい」と次第に変化した。そして現代ではそれが加速し「水平で整えられていなければならない」「右前でなければ非常識」へと移り変わっていったのだ。

これを読んで私は、高校時代の大学入試対策を思い出した。私が通っていた高校は当時、特に推薦入試に力を入れていた。特に覚えているのが面接対策だ。予想される質問への回答はもちろん、入室から退出までの所作についても私たちは徹底的に指導された。とにかく大きな声で話すように何度も発声練習をさせられたし、入室時のノックを3回ではなく2回しかしなかった友達は、指導教師に怒鳴られた。小学校で使うような、黒板用の大きな分度器を背中に当てて全員がお辞儀の角度を測られた日もあった。

当時の私には、そのどこまでが本当に意味のある作法なのかよくわからなかった。けれど、当時私の通っていた高校は有名大学への合格率を上げようと躍起になっており、出来ることはとにかくなんでもやるというスタンスだった。私も志望校には受かりたかったし、教師に逆らうのも面倒だったので、言われるがまま練習を続けた。内心は「理由があるのかもわからない作法を、こんなに必死で覚えなければいけないのは今だけだろうな」と思っていた。

けれどもその予測はその後、あっけなく覆された。大学時代のアルバイト先では「お釣りは300円です」と言うと「より丁寧な感じがするから、『お釣りのほうは300円になります』と言いなさい」と指導を受けた。社会人となってからは名刺交換の際に、名刺を相手と同じ高さに差し出すと「名刺の高さは格の高さだから、相手よりも下に出しなさい」と指導された。

とあるルールが、それっぽい意味を加えられて新たなルールを作る現象。そしてその新しいルールが、どこまで根拠と効果があるのかわからないまま際限なくエスカレートしていく現象。そこにはきっとだいたい、誰かの何らかの思惑があるのだろう。

今まで私は、⾃分が着たいから着物を着ていた。これからもその気持ちは変わらないと思う。けれどもそれに加えて、もしも本当は着物を着たいのに「伝統」の重みに⾜元がすくんでスタートを切り出せない⼈が近くにいたら、その「伝統」は、ひょっとしたら元は誰かが何らかの意図でルール化したものかもしれないよ? と伝えたい。それを伝えることで少しでも敷居が低くなれば、着物を気軽に楽しめる人がもっと増えるかもしれない。この本を読んで、そう思うようになったのだ。

先⽇、京都の⽇本酒バーに⾏く機会があった。思い⽴って同行者に⼀緒に着物を着て⾏かないかと声をかけてみたところ、「機会があるならずっと着物を着てみたいと思っていた」という2⼈が⼿を挙げてくれた。店に⾏く前に、宇治川の橋の上で3⼈、はしゃいでお互い写真を撮りまくった。着物にシワが⼊っていようが、⾵にあおられて裾がめくれていようが、私たちはこれでもかというくらいピカピカの笑顔で写っていた。

⽂/梅原 ひかる

【この記事もおすすめ】

writer