検索
SHARE

2月だもの。猫の言い分を聞き、猫に想いをよせる——2026年2月65冊の中の3冊【連載・月60冊読むkyoの「積んどかない」読書/第3回】

2月は、私の好きな月だ。
理由は単純で、2月22日が「猫の日」だからである。

各地で猫にちなんだ展示会やイベントが開催され、書店にも雑誌にも猫が溢れる。ファッション誌も生活情報誌も、週刊誌まで猫特集。某TV局に至っては局名まで変えて猫番組を流すほどの盛り上がりだ。

愛猫を愛娘と呼ぶほど愛してやまない私にとって、イベント盛り沢山、楽しいことが目白押し。もちろん、読書も捗るというものだ。

猫と暮らしていると、日々の時間の流れが、少しだけ変わる。
こちらの都合では動かない。
呼んでも来たり、来なかったり。
仕事中はわざと邪魔をしたりもする。
理屈よりも、気配と温度で世界を判断している。
そんな存在を相手にしていると、人間の言葉のほうが、どこか過剰に思えてくる。

静かで、さりげなく寄り添い、稀に騒がしい。
猫といると、なぜか物語が読みたくなる。
今月は、ビジネス書等は電子書籍で済ませるばかりで、ほとんどの読書時間を物語の世界で過ごした。

【画像3枚】

……猫に関する書籍が異常に多い。
外出できる時間が少なかったことや、書籍以外に読むものが多かったこともあり新規でお迎えした本は少ないが、蔵書から猫にまつわる本をいくつも手に取った。

その中から、今月も3冊を選ぶ。
迷いはない。2月なのだから仕方がない。全て猫でいくことにした。

最初に挙げたいのは、井上奈奈さんによる絵本『猫の悪口』だ。
2月22日発売、猫の日にちなんだ新刊である。絵本を専門に扱う書店で、サイン本をお迎えさせていただいた。

タイトルだけ見ると、ずいぶん挑発的だ。
だがページを開いてみると、そこに並んでいるのは「悪口」というより、観察と、崇拝に近いほどの愛の言葉である。

わがまま。
気まぐれ。
お高くとまっている。

猫の性格を表現する言葉としてよく使われるそれらは、「悪口」と言えばそうかもしれない。自由気ままな彼らにとっては、そう呼ばれることすら当然なのだろう。
けれど本書では、その言葉が、少し角度を変えて置き直される。

猫は、人間の期待通りには振る舞わない。
それは欠点ではなく、仕様であり、美徳なのだ。

悪口を言いながらも、どこかうれしそう。
まさに猫と暮らすことの喜び、自由への憧れがそこにある。
言葉の距離感が、猫と人間の関係をよく表している。
愛猫家を自称する著者らしい、皮肉と、愛が溢れる絵本だった。

井上奈奈『猫の悪口』(KISSA BOOKS)

2冊目は、猫写真家・沖昌之さんの『ぎおんご ぎたいご にゃんこ』である。

『必死すぎるネコ』をはじめ、ユニークな猫の一瞬を切り取った写真集で知られる著者による、猫の写真と擬音語・擬態語を組み合わせた辞書スタイルの本だ。

猫の動きは、説明よりも音に近い。
くるりと振り返るしっぽ。
ぴたりと止まる耳。
その一瞬は、文章にするよりも、音で受け取るほうが正確かもしれない。

著者の素敵な写真も相まって、なんとも微笑ましい。

何より面白いのは、辞書形式に必須となる「用例」が、全て猫に因んだものになっているところだ。ページをめくるたび、表情がゆるんでしまう。

写真と言葉が重なったとき、「意味」ではなく、言葉が「気配」として立ち上がる。
理屈で理解するのではなく、ただそこにいることを、そのまま受け取る。
そんな読み方が許されている本だった。

沖昌之『ぎおんご ぎたいご にゃんこ』(青春出版社)

3冊目は、アンソロジー形式の短編集『黒猫を飼い始めた』である。

Mephisto Readers Clubという会員制読書クラブで公開された、26名の作家が「お題」に沿って書いた短編小説をまとめたものだ。

特筆すべきはその「お題」である。
書き出しの1行目が、全員「黒猫を飼い始めた」で始まるのだ。

同じ書き出しでも、その後の展開は千差万別。ひと口に「黒猫」と言っても、語り口も、距離感も、存在の有り様や意味するものすらも、それぞれ違う。

黒猫は、ときに不吉の象徴として扱われる。ミステリーであれば、特に。
ある物語では、救いのように。
ある物語では、静かな観察者のように。
ある物語では、生活の中心として。
そして、ある物語では、黒猫ですらない。
不思議な展開でも、なぜか、猫ならばと納得できてしまう。

同じ書き出しでも、書き手によって全く違う物語が綴られる。
猫は、自由に、液体のように……作品の数だけ、姿を変えていく。
こんなにもミステリーの似合う動物は、他にいないのではなかろうか。

小説の凄さを再確認する、予測不可能な2行目。
同じ試みがシリーズ化されているので、今後の展開が楽しみだ。
(また猫にまつわる1行目がお題になることを強く期待している。)

講談社編『黒猫を飼い始めた』(講談社)

猫と暮らしていると、「わからない」ことを受け入れる練習をしている気がする。

なぜ今そこに座るのか。
なぜ急に走り出すのか。
なぜこちらをじっと見つめるのか。

理由は説明されない。
けれど、そのわからなさを愛おしいと感じる。
その自由さや神秘性に、どこか憧れている。

とはいえ、我が家の猫たちは表情豊かで、話しかけるように鳴いてくれるので、たいていの感情は伝わっている。それすら猫側の配慮であり、人の察知能力ではないのだろうと思っている。

重症なのは承知の上だ。
ただ寄り添い、想いを馳せる。
まるで物語のような存在に、今日も心を奪われている。

今月選んだ3冊も、猫を完全に理解しようとはしていなかった。
悪口という名の愛を差し出し、音で追いかけ、物語に託す。
それぞれの方法で、猫との距離を測っていた。

猫と物語の関係は、思っている以上に深い。
『名作には猫がいる』や『文豪の愛した猫』といった著作があることを思い出せば、それは偶然ではないのだろう。
猫は昔から作家のそばにいて、物語の隅にいて、言葉にならない余白と不思議な世界を引き受けてきた。

猫は、ただそこにいる。
そして物語もまた、ただそこにある。
どちらも、急がせない。
どちらも、寄り添う者の想像力に委ねられている。

これから先も、愛猫の気配に耳を澄ませながら、本を読んでいるだろう。
2月は、猫の言い分を聞く月であり、物語を必要とする自分の生き方に、あらためて目を向ける月でもあった。

そんなことを思いながら、今日もまた、猫と物語を「摂取」している。

文/kyo

【この記事もおすすめ】

writer