
大切にされたい【さとゆみの今日もコレカラ/第 166 回】
あれは 30 代の頃のことだったか。仕事でご一緒したあと意気投合して、プライベートでも会うようになった実業家の方がいた。彼女とレストランで食事をしていると、ひょっとして◯◯さんですか?」とよく声をかけられている。ファンが多い方である。
その方が、先日とても寂しい思いをしたのだと話を始めた。それは多くの著名人が集まるチャリティの集いだったという。芸能人や政治家などに混ざって会場にいたら、いろんな人から非常にぞんざいな扱われ方をしたそうだ。その方は「私は有名人ですよ、敬いなさい」みたいなところが1ミリもない気さくな方だ。その場でも、ちやほやしてほしいと思ったわけではない。でも、自分の存在を雑に扱われたことは、あとからボディブローのようにじわじわと効いてきたという。
「透明人間になったみたいに、ほとんど誰にも相手にされないの。そしてそれを自分が気にしていること自体も嫌で、そんな自分のことが嫌いになっちゃった」とおっしゃる。自分の存在価値ってなんだろうと思ったそうだ。
そのときは、へええええ、こんなにキラキラと輝いた人でも、自分の存在価値を疑うことがあるのか。扱われ方が変われば、人は自分がおぼつかなくなる。スタンフォード監獄実験のような話だなあとぼんやり思っていた。その後、その話を思い出したのは、自分自身が不思議な経験をしたからだ。
コロナ前のことだ。
とても興味のあったクリエイターの方と食事をご一緒できることになった。私はその人の作品がすごく好きなので、浮かれぽんちで会食に参加したのだけれど、その人は私の存在にあまり興味がないようだった。失礼な態度を取られたわけでは全然ない。過去に見た事があるその方の作品の感想をお伝えした時に、あれ、思ったより手応えがないな、ここで盛り上がるかなと思ったのにな、というくらいだった。
でも、もっと親密な話ができると思っていた私は、焦って次から次へといろんな話を繰り出した。その方向が、なぜだかその人の話ではなく、どんどん自分の自慢話になっていくのだ。
私はこんなことができるんです。こんな人とも知り合いです。今思い出しても恥ずかしいほどの一人プレゼン大会である。もしも横で聞いている人がいたなら、凄まじいマウンティング女に見えたかもしれない。というか、私自身がそんな話をする人と同席したら、ドン引きするだろうなと思った。
そんな話ばかりするものだから、いよいよその方も困惑し、沈黙の時間が増える。ああこの話もハズしてしまったと思うとさらに焦って「私はあなたが耳を傾けるべき話を持っている人間ですよ。もっと大切に扱ってください」 と、自分の話をすることになる。ときどきその方が自分の作品について話をしてくれたときにも、もっと質問を重ねるべきなのに話題泥棒をくり返した。自分で自分がとめられない。もう、地獄の無限ループだった。
家に戻ってから、自身を風呂に沈めてぶくぶくにしてしまいたいくらい落ち込んだ。
なぜこんなことになってしまったのか。尊敬する人を目の前にしたときの、自分の承認欲求に驚いたし、その醜い発露の仕方にもショックを受けた。その自分を途中で止められなかった自分にも嫌悪感でいっぱいだった。私ってこんなヤツだったのかと、心底がっかりもした。あれからだいぶ経つけれど、今でもその時の気持ち悪さは自分の内側に残っている。
さて、この春、また同じような経験をした。マジかよ。もう 48 歳だぜ。今度こそ、穴を掘って自分を埋めてしまいたい。そういう自分はもう、きれいさっぱりいなくなったと思っていたのに。
いくつになっても、自分にがっかりするものだなあ。そうじゃない自分を積み上げてきたつもりだったから、がっかり感も以前の比ではない。
今度こそしっかり覚えておくのであーる。
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最近の私はしんどい時期にこんなことをやっている。家で一人きりになって、とにかくネガティブなことを言いまくるのだ。自分の不甲斐なさを叱責し
たり、ひたすら他人を罵るなど、なんだって良い。ただ、最後に一言こう付け加えるのだ。「なーんて嘘だけど」と。


