
どの言葉を持って歩くか【さとゆみの今日もコレカラ/第 186 回】
若松英輔さんの本に、繰り返し出てくるのが「かなしい」という言葉にどの漢字をあてるかの話だ。
大切な人を失ってかなしみの底にいた若松さんを救ったのは、「悲しい」や「哀しい」だけではなく「愛しい」もやはり「かなしい」と読むという事実だった。
いまはなき人を想ってかなしむことは、その人を愛することでもあると知る。そのことを知るだけで、かなしいという感情が孤独で辛いものではなくなった、というのだ。
冷静に考えるとこれはすごい話だと思う。
ある感情に新しい言葉が与えられるだけで、その感情の質が変わるというわけだ。だとしたら、言葉の数だけ体験できる感情の数も増えるということになる。
感情だけではない。たとえば味を表現する言葉、たとえば色を表現する言葉、たとえば痛みを表現する言葉……。言葉を持っているということは、味の、色の、痛みのあじわいを深く濃くすることになる。「身体的」と言われる感覚でさえ、言葉がなければ味わうことは難しいというわけか。
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一方で、ある感情にひとつの言葉をあてがうことで、複雑だったその感情を単純化してしまうこともある。
本当は言葉にならない感情だったのに、その気持ちを言語化してしまうと、もうその言葉でしかその気持ちをあじわえなくなる。
たとえば、ある記憶を物語にすると、もうそのストーリーラインでしかその話を思い出せなくなる。物語からこぼれた混沌たちは、いずれ記憶から取り出せなくなっていく。
言葉にすること。
つまり、言語化することで、得るものと失うものがある。
それでもやっぱり、私は言葉を探す。言葉の力を借りて人生をなるべく繊細にビビッドに味わい刻む側のやり方を多めに試していきたいと思っている。
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昨日、自分の WILL を発掘し、言語化するワークショップを 31 名の仲間と受けた。『WILL 「キャリアの羅針盤」の見つけ方』に収録されたワークを、みんなでやってみようとなったのだ。
自分が何をやりたいのか。それを言語化することは、今まで自分が歩いてきた道に、そしてこれから自分が歩く道に名前を授ける行為でもある。自分にぴたっとハマる言葉を掘りあてた瞬間には、誰もが内側から強烈に発光するような笑顔になるのが印象的だった。
自分で探し当てた言葉を羅針盤にしながらこの先を生きていく。いつかその言葉が馴染まなくなったら新しい言葉をまた探す。なんだか人生の話みたいだなと思ったけれど、完全に人生の話だった。どんな言葉を持ち・運び・歩くのかはこれ人生だ。
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本書のはじめにに「『言葉』はあなたの人生の軌跡です」と、書かれている。
「自分の言葉」が人生を乗り越えて得た知見にぴったりマッチしているのかをジャッジするのは、他でもない自分自身だ。


