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自分自身がきらめき放たれる「自分の言葉」の作り方〜『私らしい言葉で話す』

もっと早く知りたかった。34年も過ぎている人生。
自分らしい言葉は、他者と対話を繰り返していく過程で自分のオリジナルの言葉になっていく、という事実。
長年、私は涙が出るほど欲しかった。自分軸がある人が持つ「自分らしい言葉」を。

「自分らしい言葉」をバシっと生み出す人は、なんの不自由もなくその言葉を誕生させているのだろうと思っていたが、勘違いだった。

私は、人に自分の感情や経験をほとんど伝えることなく生きてきた。私には、自分の感情や経験を話す選択肢はなかったように思う。
だから、私には「自分らしい言葉」がなかったのか。
「自分らしい言葉」が自分自身に誕生しなかった理由に打ちのめされながらも、否応なく納得してしまった。

「自分の言葉」を磨くのは、他者との対話

私は小学生のころから自分軸がなかった。

3年生の時、母親が地域の小学生対象のドッジボールクラブに入るか尋ねてきた。一つ年下の妹は「入らない」と即答していた。私はというと、やってみたいと思ったのか、もしくは入りたくなかったのか、昔過ぎて詳細な心情を覚えていない。母親が声をかけてくれた、という理由が大きくて入会したのだと思う。入会後は、確実に辞めたかった気持ちを鮮明に覚えている。皮膚がカリカリに焦げそうな夏の日差しの中で練習するのは辛かった。しかし、母親に言えず6年生までドッジボールクラブに所属していた。

社会人になっても同じだった。

待ち遠しかった友人との約束の日。私と友人の2人で新宿にあるお目当ての飲食店に飲みに行く予定だった。けれど、突然友人の知人から合流したい、と友人のLINEに連絡が入った。優しい友人は私の意思を確認してくれた。結局、お店を直前で変更し初対面の2名を加えてひとときを過ごした。本当は、友人と2人きりで楽しみにしていたお店に行きたかった。

『私らしい言葉で話す 自分の軸に自信を持つために』に出会い、他者との対話なくして「自分の言葉」を得ることはできない、という見解を読んだことは、私に天変地異をもたらした。欲しくて欲しくてたまらなかった「自分の言葉」は、人に話す行為を加えないと洗練されていかない代物だったと知った。自分のような自己開示に消極的な人生では「自分の言葉」は得られない、とくっきり烙印を押されたようでショックだった。この本に巡り合うまで、会話を重ねて「自分らしい言葉」を育てていくという視点を発掘できなかった。

「自分の言葉」の下支えは、感情の受容  

理解されないかもしれないが、私にとって私の感情は重要ではなかった。

私は一瞬一瞬の出来事に対して生まれてくる感情に蓋をしていたため、自分の感情の動きに鈍感だった。感情を感知するセンサーはお休み期間が長過ぎて働き方を忘れてしまったのかもしれない。体験した事実を羅列して話すことはあっても、そこで感じた自分の感想はほとんど人に話さずに生きてきたと思う。自分の経験にも考えにも価値を感じていなかった。

感情の取り扱いに向き合ってこなかったため、モヤモヤする感情を解読する力がなかった。著者のSHOWKOさんは「自分の気持ちを知り、理解することは、自分を慈しみ、大切にするきっかけになります」と書いている。

妬み・焦り・憔悴・動揺などのネガティブな感情も全て、自分でバツをつけることなく優しく撫で撫でしてあげるべき大切な感情だ。

けれど、私は誕生した感情の産みの親であるにも関わらず、それを認知し受け止めてこなかった。私は、今まで生まれた感情に透明マントを被せ、その上で何重もの鎖で縛り抑えつけてきた。

自分の感情や経験から生じた考えは、自分のDNAを持つ大事な自分の一部だと思う。感情の一つひとつの存在を認めて、否定せずそのまま受け止めてあげる。それが、まず「自分の言葉」を構築する上で外すことができない最初の工程だと本書を読んで感じた。本書には、自分の気持ちを知るために「出さない手紙」を書くことなども紹介されている。

「自分の言葉」の開花は、自己の放出

どんな体験から生まれた感情も「自分の言葉」に開花するかもしれない、貴重な言葉の原石の「種」だ。私たちは、日々の生活の中ですでに多くの種を持っていると思う。そして、今後も種の数は人生を生き抜く上で増え続けていくものであると感じる。

私は、自分のことを内省するタイプの人間だと思っていた。

確かに、内省はしていたかもしれないが、内省の結果を誰かに共有することや、後から当事者に伝えるなどといった行動は取っていなかった。私は前述のドッヂボールの件も友人との食事の件についても誰にも話したことはなかった。ずっとグルグル自分の中でただモヤモヤさせていただけだった。

自分の思いを放出する最初の一歩を長年に渡って踏み出してこなかった。初めの一歩がないから対話の領域には当然行けない。「自分の言葉」の熟成地点になんて到達できるはずがなかった。

けれど、今、私は「自分らしい言葉」がどうしても欲しい。

自分の内側を出すような対話にトライしたい。初めのうちは「言葉の原石」が人に伝わらないこともあるだろう。相手から質問をされても返答に窮する時だってもちろんあると思う。

種から芽が出るまでの時間に違いがあるなら、花が咲くまでの時間だって均等じゃないはずだ。まだ、自分にしっくりフィットする「自分の言葉」に変換できていない感情や体験も、対話を繰り返す過程でいつの日か「自分らしい言葉」の花を咲かせる可能性を秘めている。

私が「自分らしい言葉」を欲しい理由は、昔の自分のような方に響く「自分らしい言葉」を届けたいからだ。烏滸がましいかもしれないのだが。

本書のはじめにに「『言葉』はあなたの人生の軌跡です」と、書かれている。

「自分の言葉」が人生を乗り越えて得た知見にぴったりマッチしているのかをジャッジするのは、他でもない自分自身だ。「自分らしい言葉」のフレーズ集を創造していくためにも、他者との対話というフィルターを通して自分自身に問い続けていきたい。

文/蓑和 英果

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