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毎日書くことで失われるもの【さとゆみの今日もコレカラ/第 234 回】

ワタナベアニさんの書籍、『カメラは、撮る人を写しているんだ』には、写真を学びたい人に向かって、「一泊二日の旅行に行ったら、一日目は何も撮らず、二日目だけ撮影しなさい」と指導するシーンが出てくる。

物珍しさで撮るのではなく、二度見ても新鮮さが失われなかったものだけを撮るための指令だ。

この本には、シャッターを切りたくなるまで切るな、といった趣旨のことが繰り返し書かれている。写真を撮るという行為に必要なのは愛するものへの衝動であり、この瞬間を閉じ込めたいと思う気持ちである。すると写真が保存されるハードディスクは、「自分が愛したものの化石」だけで満たされるはずだ。

「それって、文章でも同じじゃない?」と、私はこの本の担当編集者に尋ねる。

「ああ、そうだろうね」と、今野さんは言う。

ゆみ「書きたい衝動がないのに、毎日更新することが目的になってる文章ってあるよね。note の連続更新チャレンジとか(私のコレカラとか)」

今野「あるね。感性をすり減らすだろうね」

書きたくなるまで書かないことは、書くのスタートラインだ。

書きたいことがないのに書くことは、書く自分を傷つけていく。

毎日書くことで得るものはあるだろう。書く筋肉がつくという人もいる。

でもそれ以上に何か大事なものを失っていないか。筋肉がつく代わりにもっと大事な何かが痩せ細っていないか、自分。

それでも毎日書きたいのならば、毎日書きたくなる何かと出会う必要があるよな、自分。

ここ1ヶ月、自問自答してきたことの答え合わせをしたような夜であったことよ(酔った)。

【この記事をおすすめ】

──写真の本はどんな内容になりそうですか?

今野:以前担当した『読みたいことを、書けばいい。』の写真版というイメージです。「自分にしか撮れない写真とは何か」を考えられる本にしようと思っています。

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