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彼のいない八月が【さとゆみの今日もコレカラ/第 268 回】

是枝裕和監督のドキュメンタリーに「彼のいない八月が」という作品がある。日本で初めて同性との性交渉による HIV 感染を公表した平田豊さんを追いかけた作品で、フジテレビの NONFIX で放送された。私は学生時代にその録画を見た。

昔の記憶なのでやや曖昧なのだが、放送時にはすでに亡くなっていた平田さんを是枝さんが思い出すようなオープニングからスタートし、取材者と取材対象者の関係性が揺れながらからみあい深まりそして離別していく、そんなドキュメンタリーだったと記憶している。

これから映像の世界に飛び込む予定の大学4年の私にとって、そのドキュメンタリーは衝撃だった。なんだか是枝さんと平田さんの愛の交換日記を読まされているような、いちゃいちゃを見せられているような、複雑な気持ちになったのだ。

そういうもやっとしたことをそのままにしておけないのが私の悪いところで、この疑問をそのまま是枝さんにぶつけたことがある。(当時是枝さんは日芸の映画学科で講義をされていて、その授業にもぐりこんでいた私は、もぐりのくせにハイッと手を挙げて質問をしたのだ)

「あんなふうに、公共の電波を使って、あそこまで私的なドキュメンタリーを放送していいものなのですか?」

それに対する是枝さんの答えは、「そうだねえ。心のどこかで『自分と平田さんの関係性は、誰にもわかってたまるか』と思いながら編集していたかもしれないなあ」というものだった。

私は、質問するより前よりもっと混乱した。「誰にもわかってたまるか」と思いながら作った作品を、世の中に流す? どゆこと? どゆこと? どゆこと?

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このとき芽生えた「誰のために作るのか」という問いは、それから何十年もの間考え続ける問いとなった。

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昨夜、NHK カルチャーセンターで、たらればさんとスケザネさんによる「ぼくらの清少納言」というトークイベントがあった。

大河ドラマ「光る君へ」では、枕草子はたった一人の読者、中宮定子さまのために書き始めたものだという解釈が強調されていて、トークイベントでも話はそこに及んだ。

「たった一人の読者」のために書き始められた文章が、こうやって 1000 年の時を超えて私たちに届くのだ。なかにはきっと、定子様にだけわかれば良いと思って書いた文章もあったであろう。定子亡きあとに、この文章こそあの人に読んでほしかったと思いながら書いた文章もあったろう。

定子の辞世の句、

「夜もすがら 契りしことを忘れずは 恋ひむ涙の色ぞゆかしき」(一晩中契りを交わしたことをお忘れでないなら、私の死んだ後、あなたは泣いてくれるでしょう。その涙の色が知りたい)

は、一条天皇に向けた歌だと言われている。

昨夜トークイベントに参加されたたらればさんは、2016 年にこんなツイートをしている。

これは多くの人が夫・一条帝に向けた悲恋歌だと解釈してますし、私もそう思っています。しかし世界でただ一人、清少納言だけはこの歌に別の意味を捉えたのではないかとも思うのです。というのも、在りし日に一条帝から高価な紙を贈られ、「この紙は何に使えばいいと思う?」と定子から尋ねられた際、「(まさに夜どおし添い従う)枕にしてはどうですか」と答えた者こそ、清少納言なのです(これが『枕草子』のそもそもの執筆動機)。誰よりも自分を評価してくれた姫様が、辞世の句で「夜もすがら」「涙の色」と詠んだと知った時、『枕草子』の作者の心中はいかばかりか。その覚悟は。その決心は。

https://x.com/tarareba722/status/728810734893682689 https://x.com/tarareba722/status/728810981917265924

これは明確な史料に基づいた話ではなく、たらればさんの想像であると断りを入れられてはいるけれど、私はこの解釈にとても心をひかれる。

すべての創作は究極誰かへのラブレターであり、私たちはその切なラブレターを垣間見て、泣いたり笑ったりするのかもしれない。

清少納言が全霊をかけて放った愛のかめはめ波みたいな文章が、1000年先の私たちまで届いて、その衝撃波に私たちはいま揺らされているのかもしれない。

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【この記事をおすすめ】

枕草子では、清少納言はあえて中宮定子の不遇な時代を書いていなかったという学説があるらしい。不遇な妃である「推し」を盛り上げるための活動だったと。これは訳文ではなく、評論を読まないとわからないことだ。

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