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枕草子は呑気なつぶやき集ではない!?『(萌えすぎて)絶対忘れない! 妄想古文』が導く古典名作の裏事情

私の学生時代、周りには私も含めて古文好きが多かった。高校の授業で触れる古文の世界に憧れ、枕草子や源氏物語の現代語訳を読みあさり、友達と感想をシェアし合ったのは楽しい思い出だ。

あるとき、大学入試で源氏物語が出題されたときは驚いた。進路を決める大切な試験で大好きな物語が出題されるなんて、趣味と実益を兼ねるようなことがあっても良いのか。古文が好きで本当に良かったと思った瞬間だった。

私は受験勉強で古文に触れて以来その魅力にどハマりし、社会人になってからも思い出したように枕草子の「桃尻誤訳」などおもしろい訳本を読みあさる時期もあった。訳者によって文章の印象はこんなに変わるのか、この訳なら古文に縁が無い人にもアプローチできるのではないか、そんなことを思いながら訳文を読んでいた。

しかし、ただ訳本を読むだけで、隅まで味わったといえるだろうか。訳文で物語のストーリーを把握しただけでその本質まで分かったように勘違いしていなかったか。そんな疑問を喉元に突きつけてくるのがこの本だ。

『(萌えすぎて)絶対忘れない! 妄想古文』の著者は、大学院で万葉集を学んだ文芸マニア(本人いわく)。

彼女の別の著書『((読んだふりしたけど)ぶっちゃけよく分からん、あの名作小説を面白く読む方法』ではこんなことを言っている。

世の中には古典から現代作品、日本文学から海外文学まで名作は多い。評価の高さから手に取る人も多いが、自分の感想だけにとらわれるのは効果半減である。これまでの時代を生き残ってきた名作である。評論されるべき論点は出尽くし、それらを踏まえた上で新解釈が生まれている。しかも学問として。だからといって、個人で楽しむのは意味が無いということではない。むしろ、評論の方を楽しもうという発想である。

これを読んだとき、私は唸ってしまった。うーん合理的だ。

ファンが好きなドラマを見終わったときは、TwitterやWeb記事を読みあさりたくなるのと同じ心理かも。よい書き込みがあればなるほどと採り入れ、自分の解釈もバージョンアップする。

しかし、巷で見かける情報は玉石混交で、新しい視点を与えてくれるものを選ぶのは難しい。そこで満を持して登場してくれたのが、著者のような目利きの書評家。信頼できるナビゲーターが読み手のレベルに合わせて導いてくれたら、これほど便利なものはない。実際に著者の導きでよく知っているはずの古文を読むと、鱗が落ちまくるのだ。

「春はあけぼの」の一節を丸暗記している人も多いだろう。

「四季の移り変わりを読み遷っていくセンスの良い風雅なエッセイ」この本で指摘されているとおり、まさに私のイメージはこれだった。

しかし、著者によれば、枕草子は季節の移り変わりを愛で、宮中の日常生活を独特視点で切り取っただけの呑気なつぶやき集ではなかったのだ。

清少納言が仕えた中宮定子。二人は和歌だけでなく、漢詩にも精通し膨大な知識を共有する一流の知識人同士だ。上下の身分関係を越えた信頼がありながら、深い愛情も持ち合わせている。それもただの愛情ではなく、現代なら「百合」と呼ばれるような盲目的な主従関係。現代の、性を越えたカップリングはこの時代にもあったのだ。

単に仕事上のつながりだけではない。枕草子では、高学歴な二人が風雅な世界で言葉遊びするのも楽しいが、書かれた背景はもっと深い。

もし、中宮定子が父の後ろ盾を失ってから不遇で、失意のあまり出家してしまうほどの強いショックを受けたこと、清少納言が政争に巻き込まれて隠居せざるを得ないほど追い詰められていたことと知っていて読んでいたら、解釈も変わるだろう。

枕草子では、清少納言はあえて中宮定子の不遇な時代を書いていなかったという学説があるらしい。不遇な妃である「推し」を盛り上げるための活動だったと。これは訳文ではなく、評論を読まないとわからないことだ。

この本では、枕草子のほかにもたくさんの物語や歌集の解釈が示されている。

源氏物語では光源氏と時には身分を超えてカップリングされた女性達(ときには男性も)との蜜月関係、とりかやばや物語ではアニメ映画「君の名は」の発想の原点となった性入れ替えのどたばた劇といった、現代でも十分通用するエンタテインメントの素材が紹介されている。

この本の解説は物語だけではなく、万葉集や古今和歌集といった歌集まで広く解説が及んでいる。万葉集は家族から天皇まであらゆる層がつぶやく壮大なSNSだし、古今和歌集はこれまでの漢詩ではなく和歌が、はじめて本格的に愛憎渦巻く人間ドラマを描いた。

受験勉強で触れたおなじみの作品が多く、楽しく読める知識や解釈が満載だ。これらを読むと、古文の世界では推しや年の差婚、百合やBLなどカップリングの宝庫だったことを教えてくれる。現代の文芸作品にも取り上げられるテーマが、古文の世界ですでに取り上げられていたのだ。

私は、この本のおかげで、訳文からもあぶり出しのように湧き出る原作者たちの思いを垣間見ることができた。何百年も生き抜いてきた作品達は、時代によってさまざまな解釈を許しているのである。現代の作品にも通じる創作の源を、わかりやすく解説してくれる著者に感謝である。

文/二角 貴博

writer