
「共感できない」に価値がある【さとゆみの今日もコレカラ/第303回】
コンテンツに関わる人たちの間では、「ドラマは脚本家のもの、映画は監督のもの、舞台は役者のもの」と言われているらしい。CORECOLORで連載をしてくれているさわっちから聞いた。
いま、日本でもっともヒットの多い脚本家といえば野木亜紀子さんだろう。『重版出来』『逃げるは恥だが役に立つ』『アンナチュラル』『MIU404』など、続々手がける作品がすべて話題になった。
今の時代を切り取る社会課題をエンターテインメントにくるんで、気づかぬうちに没入させる野木作品。観終わったあとはいつも、世の中の見え方がちょっと変わる。
野木さんといえば、過去に非常にうなったインタビュー記事があった。「逃げ恥脚本家語る『エンタメ共感競争』への異論」という東洋経済オンラインの記事だ。先ほど、ドラマは脚本家のものと書いたが、野木脚本の映画も素晴らしい。この記事は映画『罪の声』が公開された頃に出た記事だった。
ここで、私が記憶していた野木さんの言葉は2つ。
社会課題を描く理由を尋ねられ、「声の大きい人の言葉なんて放っておけばいい。届かない声をすくい上げることに意味がある」と語っていた部分。 そして、ドラマは主人公への「共感」が求められやすいが、映画は複数人それぞれの視点があって成立すると語っていた部分だ。これを野木さんは
「主観ではなく客観」「“共感”というよりも“理解”」と語っていた。
創作物とは共感だけではない。自分と同じ考えだけではなくて、自分とこれだけ遠い人がこういうことを考えているというある種の理解と、遠い人の人生を観ることによって想像力が生まれるもの。みんながそういう想像力を持てればいいなという気がします。
また、『silent』『いちばんすきな花』の脚本家・生方美久さんは「共感」についてこんなことを話している。
極端なことを言ってしまえば、「共感した」という感想は少なければ少ないほど価値があるはず。今まで誰も触れてくれなかったことや、自分だけだと思って閉じこめていたこと。それらを描くことに意味があると思う。100人が観て、100人が「共感した!」というドラマの【共感】はきっとありきたりでありふれたもの。100人が観て、99人が「なにそれ(笑)」となったとしても、残りの1人「やっと自分の気持ちを描いてくれた」と思ってくれたらいい。
「GINGER」2024.01.05脚本家・生方美久のぽかぽかひとりごとより
それが映画であれ、ドラマであれ、小説であれ、エッセイであれ。
「共感しました!」と言われることも尊いが、「共感しなかったが理解した」と感じられることのほうが、受け手の世界を広げる。
自分とは違う人の背景を、感情を、思考回路を知ることは、お互いを尊重することになるし、分断を減らすことになる。
この、「違ったまま、理解する」ことは、書くことで私がずっと追いかけているテーマだなとも思った。『道を継ぐ』も『ママはキミと一緒にオトナになる』も、そういえば、自分とは圧倒的に違う思考をする人のことを知りたくて理解したくて書き始めたのだった。
野木さんの最新作、映画『ラストマイル』非常によかったです。
✳︎「今日もコレカラ」は毎朝7時に更新し、24時間で消滅します。今日もこれから良い一日を。
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【この記事をおすすめ】
生方さんが『いちばんすきな花』で、本当に描きたかった対立のない世界は、「共感を否定すること」だったのではないでしょうか。共感とは、他人の気持ちや感じ方に同調させることです。数的優劣をつけた瞬間から、どちらかの意見に共感が生まれてしまうのです。


